上級艦員用の部屋に入ったクェリスは、ベッドの上にどかっと座り、足元に置いていた袋から干した木の根と硬パン、干し肉を取り出した。ゆっくりと術を掛けながら食べ、壁棚にある浄水器から水を杯に入れて、飲み干した。 ベッドに横になって眼を閉じた。 「あいつ……いったいどういうつもりなんだ……」 エンジュリンのことが気になったが、考えてもしかたないと、眠りに付いた。 熟睡するとほとんど夢は見ない。 だが、クェリスは、幼い頃の夢を見た。 ……ばかやろー、おまえなんかに負けるかよっ! 七歳の頃、セラディムの王宮北側に広がる湖の上で、初めてエンジュリンに喧嘩を吹っかけた。セラディムの学院で自分に敵う魔導師は、母親のアリュカ学院長と兄アートランだけだ。でも、余裕でかわされた。 ……ばかにしやがって、一度も殴ってこないじゃないか! 俺のこと、女だと思って手加減してんのか! バカにするなと怒鳴りまくったら、ふっと笑って、いなされた。 ……別に男とか女とか関係ない。無駄だからやめたほうがいい。 それから何度挑んでも勝てない。こっちは本気で掛かっているのに、あっちは全然本気じゃない。 ……あいつを本気にさせたい。俺のこと、殴ってくるくらいに。 夢の中で、年を重ねるごとに、時を追うごとに、遠くなっていくエンジュリンの背中に向かって、ずっとばかやろーと怒鳴り続けていた。 眼が覚めたときは、きっかりふたとき、二ウゥル(四時間)経っていた。 ユニットで顔を洗い、艦橋に向かった。途中の通路で、三人ほど固まっていた乗組員たちと出会った。その中のひとりが話しかけてきた。 「クェリス調査員、本当に極南海まで泳ぐんですか」 二十歳くらいの若い艦員だった。 「ああ、俺は狭いところ、嫌いなんだ」 外に出たいと手を振って離れた。バレーやキャピタァルも息苦しい。あまり行きたくないのだ。将来は、三者協議会《デリベラスィオン》の議員にならなければならないが、正直嫌だった。 艦橋では、ファドレスが艦長席に座っていた。 「出るのか」 クェリスがうなずいて行法士席の後ろに立ち、海図を表示させた。ファドレスも寄ってきた。座標数値を告げると、行法士がその地点を白色でマァアクした。 「極南海に入ったこの座標で一度停艦しろ」 そこで艦内に戻ることにした。その地点を記録したのを確認してから、クェリスが反対側の扉から出ていき、艦底に降りていった。 速度は落とさなくてもいいと言っていたので、時速三十カーセルほどで航行している。艦底にある気閘(きこう)(気密室)に入り、内側にある釦を押して、注水した。ほどなく壁の電燈が赤から緑に変わり、内側の操舵管のような取っ手を回した。 クェリスは、身体を寝かせて艦外に飛び出した。吐き出されるようにして、艦から遠去ざかり、停止して、力強く泳ぎ出した。たちまち、マリィンに追いつき、先端に近い位置に付いた。 ……海の中が妙だな…… 張り詰めている。そんな感じだ。よくない気配だった。 しかし、十ウゥル経過したが、なにごともない。 艦は、第四大陸の東海岸に沿って南下し始めた。グランヴァウルからの暖かい海流が北東から第四大陸に向かって流れ込んで来ていた。通常暖流は、赤道方面から上がってくるのだが、この海域では、海底火山脈と高い地熱のグランヴァウルの影響で海流の水温が高いのだ。 ……なんだ、なにかが…… その暖流からなにかが近付く気配が感じられる。 冷たく、硬い。 暖かい流れの中の異物。 来たのかと方向を変え、マリィンの横腹に付いた。横から熱を含んだものが猛速で進んでくる。瞬時にその正体を掴んだ。 ……トルピィドゥだと!? 包んでいた魔力のドームを膨張させ強化した。 ヴァアアァァーン!! ヴァアアァァーン!! トルピィドゥがドームに激突し、破裂した。六発、同時に発射したらしく、四発はドームに当たったが、残り二発はマリィンの横腹を直撃した。 マリィンの艦体が大きく横に揺らいた。しかし、内部は揺れて大騒ぎだとしても、ラカン合金鋼の外殻に破損はない。 カージュやリド・アザン村を襲撃したマリィンかと手繰ったが、それほど大きな異物ではない。アンダァボォウトかもとトルピィドゥが発射された方向に爆泳した。 果たして、第二波が発射され、次々と魔力のドームに当たって炸裂していく。 ……効くかそんな火槍! 堅く握った拳を輝かせて突き出した。光拳から放たれた電撃がトルピィドゥ第三波を撃砕しながら突き進んでいく。ラカン合金鋼外殻のアンダァボォウトでなければ、粉砕できる。 ドォオン!という音が伝わってきて、海中に撃砕の波動が広がっていった。 ……やったか! だが、しかし、波動が静まった中、信じがたい光景が広がっていた。 黒い影が三つ、その前に立ちはだかっていたのは。 ……エンジュリン……!? 黒い影アンダァボォウトの前で、黒つなぎを着たエンジュリンが、輝く魔力の壁を作っていた。クェリスが構わずふたたび強力な電撃を発した。だが、それはアンダァボォウトに届く前に防がれていた。 電撃を跳ね返され、怒りに身体を震わせたクェリスが、エンジュリンに怒鳴った。 「おい! なにするんだっ! そいつら、反逆者だぞ!」 何故かばうと拳を突き出して、突進すると、エンジュリンがその拳を輝かせた左の手のひらで受け止めた。火花が散り、クェリスの動きが止まった。 「アスィエの喜ぶ顔が見たい」 「なんだとっ、何言ってるんだ!」 訳が分からず、クェリスが身体を引こうとしたが、まったく動けない。ふたりの間の火花がますます強くなっていく。エンジュリンから放たれている魔力の光の圧力が高まっているのだ。 「アスィエが好きなんだ、あの娘(こ)に喜んでもらいたいんだ」 だから、ユラニオゥム燃料をもらうと険しい眼で睨んできた。 「ばかな、ばかな……ありえん……」 ぶるぶると憤りに震えるが、少しも動くことができない。 「魔導師が……好きな女のためにだと……」 ふざけるなと言われて、エンジュリンの青翠の眼が暗い光を帯びた。 「俺は……魔導師じゃない、俺は」 ぐっと唇を噛み、黄金の光の粒を纏った右の手のひらでクェリスを突き飛ばした。 「異端だ!」 ドォオオン!と爆音がして、魔力のドームが破れてゴボボボッと泡が立ち、クェリスが吹き飛ばされ、海底の岩に叩きつけられた。 「ぐあっ!」 背中を打ちつけ、口から血を吐いて、眼を剥き、力を失って漂った。
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