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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第37回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(25)
 がくっと身体が折れる感覚がして、レニウスがはっと頭を上げた。どうやら、居眠りをしてしまったようだった。
 カージェ襲撃から五日間、仮眠はとっていたが、ゆっくりと休んでいなかったので、疲れが溜まっていたのだ。
「これは」
 肩まで毛布が掛かっていた。目の前では、エンジュリンがカタカタとボォウドを叩いていた。目覚めたことに気が付き、作業を続けながら、声を掛けてきた。
「かなり疲れているようだ。すくなくとも後二ウゥルは寝たほうがいい」
 レニウスが、ばっと毛布を跳ね除けて、オゥトマチクを構えた。
「そういうわけにはいかない。おまえを見張っていないとな」
 叩く手を止めて、背後の天井付近を振り仰いだ。
「どうせ、監視キャメラが動いているんだろうから、寝ても大丈夫じゃないか?」
 だから、交代も来ないのだろうとまたモニタに眼を戻した。レニウスが肩でため息をついて、オゥトマチクを降ろした。
「なにもかも、お見通しってことか」
 レニウスの小箱が震えて、電文が届いた。トゥドからだった。読み終えてから、エンジュリンの後ろに立った。
「少し休まないか、艦内を案内する」
 エンジュリンが振り向き、翠青の瞳を見開いた。よく見ると、両眼の色が違っているだけでなく顔立ちが整っているのだなとレニウスが目を細めた。
「いいのか」
 エンジュリンは、寝なくていいのかと気遣いながらも、うれしそうな様子だった。
 部屋を出て、オゥトマチクを肩から提げ、前を歩くレニウスの後をエンジュリンが付いていく。ブリーフィングルゥムやランチルゥムなどを見て回った。今はワァアクの時間なので、だれもいなかった。それでも、興味深そうに見ているので、初めて見るのかと尋ねた。
「いや、何度も乗った」
 輸送マリィンに監視と護衛を兼ねて乗り込むこともあったと、ランチルゥムの配膳所の棚の間から中を覗き込んでいた。
「じゃあ、特に珍しいこともないだろう」
「たしかに仕様は同じだが、艦員たちがそれぞれ使い勝手がいいように備品の配置を変えたりしていて、それが面白い」
 そんなことが面白いのかと呆れて、次行くぞと手を振った。もう少し見たそうな素振りをしていたが、付いてきた。
 梯子を使って、艦底に降りていくと、ぽっかりと広い空間があり、何人かが、設置されている仮想機を使って、操縦などの訓練を行なっていた。壁際には、筋力訓練装置も何台か設置されていた。
「ここはミッシレェ格納区画だ」
 エンジュリンが見回していた。
「ああ、この艦にはミッシレェは積んでいない、攻撃用のアウムズは、トルピィドゥだけだ」
 やってきたレニウスに気が付いて、三人いた黒つなぎたちが背筋を伸ばして敬礼した。
「班長」
 レニウスが顎を引き、一番奥の仮想機に近寄った。テンダァの操縦訓練らしく、正面のモニタには、海の映像が映っていた。その前に操舵管とさまざまな計器を表示した平面モニタがあり、いろいろな場合を想定して、計器を見る訓練をしているのだ。
「あっと、ロイエン、それじゃあ、動かないぞ」
 えっとロイエンが振り仰ぎ、すぐ横に立っていた男に戸惑った顔を向けた。
「燃料計とプライムムゥヴァの循環油計が不足していて警戒域になってる。温度計も壊れてるし」
 男が指で示しながら、ロイエンの横のワゴンに置いてある四角い板状の携帯式モニタに表示されているマニュアルを表示させた。
「ここからここのところ、発進前点検表」
 ロイエンが懸命に目を凝らしていた。
「ご苦労だな、ルヴィン」
 レニウスが声を掛けると、ロイエンにレクチャーしていた薄水色のつなぎ服の男が頭を下げた。
「班長、いや、こいつが無茶言うんですよ」
 タァウミナルもろくに使えないうちから、テンダァの操縦ができるようになりたいから教えてくれと頼み込まれて、しかたなくレクチャーしてるんですがと困った様子だった。
「ロイエン、そんなにあせってもすぐにできるようにはならないぞ」
 レニウスがロイエンからマニュアルモニタを取り上げた。ロイエンが、でもと下を向いた。
「少しでも早く役に立てるようになりたいんです」
 まずボォウドが打てるようになれとたしなめた。
 急に背後でざわめいた。ロイエンが顔を上げ、扉の前に立っているアスィエを見て、頬を赤らめた。ほかのものたちも、アスィエの愛らしい姿が見られてうれしいようで、席を立って頭を下げた。
「ロイエン」
 アスィエが笑いながら寄ってきた。だが、側にエンジュリンがいるのに気が付いて、顔を強張らせ、立ち止まった。ロイエンが席を立ち、駆け寄った。
「アスィエ」
 エンジュリンも素早くアスィエに近寄り、手を伸ばしてきた。
「きゃぁっ!」
 アスィエが悲鳴を上げ、エンジュリンがびくっとして手を止めた。ロイエンがアスィエを引き寄せ、背中で隠すようにしてかばった。
「なにするんだ!」
 アスィエが恐ろしがって震えていた。
「素子……近寄らないで……」
「俺は……その……」
 戸惑ったエンジュリンが口籠もっていると、上から声がした。
「どうした、アスィエ」
 壁際の階段の踊り場にトゥドが立っていた。
「おじさま、この素子を追い出してっ!」
アスィエが悲鳴のように叫んだ。トゥドが胸から下げた小箱をいじりながら、ゆっくりと階段を降りてきた。
「ずいぶんと嫌われたものだな、エンジュリン」
 エンジュリンが悲しそうな目を逸らした。トゥドがふうとため息をついて、アスィエの側に寄った。
「アスィエ、エンジュリンはおまえのことが好きなんだ、だから、助けてくれたんだよな?」
 エンジュリンが顔を赤くしてうなずいた。
「そんなばかな、二、三日前に知ったばかりよ」
 青ざめたアスィエが首を振った。エンジュリンがうつむいてつぶやいた。
「五年前、キャピタアルで見かけた。そのときから……おまえのこと……」
 アスィエが頭を抱えて悲鳴を上げた。
「いやあっ!!」
 エンジュリンが肩を尖らせて、後ずさった。
「知らない、わたしは、知らないわ!」
 拒絶と嫌悪の波が被さってきた。崩れそうになるアスィエの肩をロイエンが抱き支え、睨みつけた。
「アスィエに何かしてみろ、許さないからな!」
 トゥドが手を振ると、護衛担当とロイエンとふたりでアスィエを両脇から抱えて連れて行った。
「アスィエ……」
 その後姿を見て肩を震わせるエンジュリンに、トゥドが艦長室に来るよう、うながした。怒ったような顔のレニウスに腕を引っ張られるようにしてトゥドの後から付いていった。艦長室の応接席に座らせ、トゥドが向かい側に座った。
「かわいそうにな、好きな娘にあれほど嫌われたらつらいだろう」
 同情するような口ぶりで慰めた。エンジュリンが戸惑った顔を上げて、小さく首を振った。
「俺はただ……アスィエの……喜ぶ顔が見たいだけだ」
 あなたやロイエンに見せたような顔を俺にも見せてほしいだけだとつぶやいた。トゥドがそうかと艦員にモニタを持ってこさせた。ボォウドを操作すると、モニタにふたつの影が映った。かすかに音声も聞こえてきた。ロイエンが、怖いと震えているアスィエの肩を抱いて、手を握りながら、囁いていた。
『だいじょうぶ、俺が守ってやるから』
 アスィエがロイエンに寄りかかった。
『……ロイエン、おねがい、側にいて、怖いの』
『ああ、側にいる、ずっと』
 ロイエンがアスィエの頬に手をかけ、顔を近づけようとした。エンジュリンがはっと眼を赤くして、モニタを消そうとしてボォウドを叩きかけた。その前にトゥドが小箱を開いて、音声通信した。
「ロイエンを学習室に戻せ」
 モニタの中で訪問音が鳴り、あわててアスィエがロイエンから離れて、机に向かった。すぐに護衛担当の黒つなぎが入ってきた。黒つなぎが顎をしゃくった。
『ロイエン、学習室に戻って、ジェネラル(一般教養)教程の続きをしろ』
 ロイエンは、しばらく動かなかったが、黒つなぎに腕を引っ張られ、立ち上がって出ていった。悲しそうに眼を伏せていたアスィエが、副艦長机の椅子に腰掛けてボォウドを叩き出した。エンジュリンがモニタの中のアスィエを食い入るように見つめていた。
 トゥドが身を乗り出した。
「このままだと、アスィエはロイエンのものになってしまうな」
 エンジュリンの両の拳が膝の上で堅く握られ、小刻みに震えていた。
「わたしに手を貸してくれないか、そうすれば」
 アスィエは必ずおまえに喜ぶ顔を見せてくれるぞと茶色の瞳を光らせた。エンジュリンが戸惑った翠青の瞳を向けた。


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