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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第34回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(22)
……ラトレル、おまえは兄さまなんだから、弟の面倒ちゃんと見てやるんだぞ。
 陽光の中で優しく微笑む姿。美しく気高く、そして慕わしい姿。
……お母様、わたしはいっしょうけんめいあいつの面倒見てますよ、でも、でも、あいつは……
 わたしの言うこと聞かないんですと泣きながらつぶやいた。
「しっかりしろ、ラトレル!」
 パチンと頬を叩かれて意識を取り戻した。
「あ……」
 身体中が痛くて、指先まで痺れたようになっていて動けなかった。ようやく眼を開けると、クェリスが険しい眼で見下ろしていた。
「ラトレル兄さん、どうしたの」
 心配そうなリギルトが眼を腫らしていた。エンジュリンが……と言いかけて、口籠もった。
 なぜあんなことをしたのか、異端の逃亡を助けるなんて。
 もしや、師匠の指令?
 身体に火が付いた様に熱くなっていた。
「だるい……」
 クェリスが額に手を当てた。
「ひどい熱だ」
 冷たい海に落ちて、漂っていたから風邪引いたのかもとリギルトが小屋の暖炉の火を強くした。魔導師が風邪引くなんてだらしないと怒りながらクェリスが額に光る手を当てた。
「薬草はあるのか」
 女教導師のルイゼに聞くと、解熱の薬草があるというので、煎じるように頼んだ。
 リギルトが外に薪を取りにいこうと扉を開けようとしたとき、先に外から開いた。
「せ、師匠(せんせい)!?」
 扉の前にアートランが立っていたので、驚いてしりもちをついた。
「兄貴」
 クェリスがベッドの脇の椅子から立ち上がると、アートランが近寄ってきて、枕元に立ち、ラトレルを見下ろした。怒っている様子に、リギルトが震えた。
「海に落ちて風邪ひいたかなにかでひどい熱で」
 リギルトが懸命に訴えた。
 アートランが、薬を煎じてきたルイゼに、湯を沸かして蒸気をたくさん出して、息を楽にさせるよう指示した。薬に光らせた指を入れてかき回して精練し、布玉に含ませて唇を濡らせとリギルトに渡した。
「おまえはちょっと来い」
 クェリスを外に連れ出した。来たときのことを話せと言われて、首をひねりながら話し出した。
「俺が来たときは、マリィンはここの連中も収容して逃げた後で」
 マリィンがどこにも見当たらなかったので、一角獣ナルヴァルの群れに捜させてると海の方角を見た。
「海岸近くにラトレルが浮かんでたんで、引っ張り上げたんだが、外套とか服とかぼろぼろだった」
 アートランが顎に拳を付けて考え込んだ。ちらっと小屋の方を見てからあれは風邪の熱なんかじゃないと手で制した。
「エンジュリンの魔力をまともに受けたんだ」
 えっとクェリスが息を飲んだ。
 熱で混濁してはいたがラトレルから読み取った心象からすると、テンダァでマリィンに逃げ込み、逃亡しようとしていた連中を攻撃したところ、エンジュリンがかばって、逃したというのだ。その後のことはわからないが、状況からして、マリィンを追跡している可能性があった。
「逃した……それって、兄貴の指令なのか」
 クェリスが戸惑いながら尋ねたが、アートランが首を振った。
「いや、俺は何も指示していない」
 未登録のマリィンの存在自体、知ったばかりだ。
「じゃあ、あいつの独断か」
 わからんと言いながら、しばらくはリギルトにも内緒にしておけと命じた。
 クェリスは、納得がいかず、唇を尖らせて不満そうにしていたが、了解した。
「ここはリギルトに任せて、おまえはナルヴァルたちを追え」
 俺はバレー・トゥロォワで 情報を収集し、分析すると言って、すぐに飛び立った。その飛び去る姿を見送りながら、少し晴れてきた空を見上げた。
「あいつ、勝手な真似して」
 クェリスは、エアリアとアートランの妹で、双子のかたわれだ。エンジュリンとは同い年で、セラディムの学院で育った。エンジュリンが七歳から三年間セラディムに留学に来ていて、一緒に修練していたのだが、力系でも記憶系でも敵わなかった。それが悔しくてたまらなかった。美しい容姿に似合わず負けず嫌いの荒っぽい性格で、絶対負かしてやると懸命に修練して、事あるごとに突っかかっていくのだが、一度として勝ったことはない。いつも飄々としていて余裕でかわされ、ますます水をあけられていた。
強いからっていい気になるなと北の方角を睨みつけた。
 一度小屋に戻り、リギルトにマリィンを追跡するよう指示を受けたと話した。
「エンジュ兄さんも追ってるんだよね」
 言いつけられたとおりに布玉でラトレルの唇を濡らしてやりながら、すっごく心配だと泣き出した。
「泣くな、情けない」
 しっかり看病しろと言いつけて、外に出た。ボルトが両天秤で水を汲んだ桶を担いできた。
「魔導師様、ちょっと来ていただけますか」
 案内されたのは、シュティンの小屋だった。燃えずに残っていて、床下の板を剥いで見せた。マシンナートの食料の包み、合成ペトロリゥムと思われる燃料の入った人造樹脂の容器、温風器や発動機がそのまま残っていた。
「こんなものまで、持ち込んでいたのか」
 ボルトが、気が付かずすみませんと頭を下げた。クェリスがひととおり見回し、すっと床上に上がった。光らせた手のひらを向け、シュッと何かの液を噴出した。当たった異端の道具がじゅううっと音を立てて、溶け始めた。形もわからないほどに溶けてどろどろになった。
「後でいいから、土で埋めておけ」
 ボルトが了解してから、あの……とおずおず話しかけてきた。
「エンジュリン様が、リド・ルアン村に異動できるように推薦状書いてくださるというお話だったんですが」
 そうかとクェリスが指を顎に当ててからわかったと了解した。
「ここも継続か閉村か、どうなるかわからんが、要望は協議会《デリベラスィオン》に伝えてやる」
 ボルトがありがとうございますと喜んだ。


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