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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第31回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(19)
 話し終えたロイエンの肩が震えていた。アスィエがその肩に触れた。はっと涙で濡れた顔を向けた。アスィエの灰色の瞳が細まっていた。
「ロイエン、つらかったでしょう」
 わたしもつらかったけど、あなたのほうがもっとつらかったのねと手を差し出した。その手を恐る恐る握りながら、ロイエンが首を振った。
「おまえに会えた、それだけで俺は」
 それだけのために生きてきた。どんなに苦しくても、アスィエのことを想うことで耐えられた。
「アスィエ、おまえ、すごく、すごく……その……」
 きれいになった。そう言いたかったが恥ずかしくて言えなかった。
 いきなり、訪問音が鳴り響いた。アスィエがさっと立ち上がり、副艦長席に向かって、机のボォウドを叩いた。開閉許可を出したのだ。
 扉が開いて、さきほどの黒つなぎが入ってきた。
「アスィエ様、お迎えにまいりました」
 トゥド様がお待ちですと頭を下げた。アスィエがいきましょうとロイエンに声を掛けて、黒つなぎの案内で副艦長室を出た。
ひとつ梯子階段で階層を上がり、艦橋を見せてもらい、上級乗員の食堂に当たるミィイルルゥムに到着した。
 扉を開き、どうぞと中に導いた黒つなぎが一番奥のトゥドの隣まで連れていった。四角い大きな食卓が真ん中に据えられていて、その周りを囲むように椅子が十五ほど置かれていた。
「おじさま」
 アスィエがお辞儀すると、トゥドが右側に座るよう手を振った。
「落ち着いたか?」
 トゥドが優しく尋ね、アスィエの髪を撫でた。
「はい、もう、シャワーがうれしくて」
 何ウゥルでも浴びていたいほどでしたと微笑んだ。
「そうか、それはよかったな」
 アスィエの椅子の後ろに立っていたロイエンに気が付いて、ミィイルルゥムの艦員を呼んで、耳元で指示した。艦員がロイエンにこちらへと案内し、一番入口に近い席に座らせた。
 シュッと扉が開く音がして、何人かが入ってきた。
「アスィエ様」
 シュティンや部下たちも五名ほどやってきた。みんな、つなぎ服に着替え、さっぱりとした様子で、生気を取り戻していた。艦員に席に案内され、次々に座る。後から六名ほど入ってきて、向かい側に並んで座った。最後に黒つなぎのひとりがやってきて、その後ろから黒つなぎ服を着たエンジュリンが入ってきた。首から小箱を提げていた。
「素子……」
 アスィエとシュティンたちが険しい眼で睨みつけた。トゥドが自分の左側を示し、うなずいたエンジュリンがアスィエの後ろを通るときにちらっと見て頬を赤くした。椅子に座ったと同時にトゥドが手で示した。
「エンジュリン、三者協議会《デリベラスィオン》調査班所属、素子だ」
 アスィエが椅子をトゥドの方に向けた。
「おじさま、素子などと同席したくありません! 追い出してください!」
 捕縛もしないでと目尻を上げた。シュティンたちも同意した。
「そう言うな、おまえたちの命の恩人だぞ」
トゥドが呆れてみせた。エンジュリンの左隣に座っていた五十代半ばくらいの白衣の男が腕を組んで椅子に身を沈め、いきなり発言した。
「エンジュリン、わたしを覚えているか」
 エンジュリンがうなずいた。
「ライマンド、最高評議会副議長クィスティンの子どもで、バレー・サンクーレ評議会議員、三者協議会規則違反による処分によりカージュに収容された」
 ライマンドは、バレー・サンクーレの統廃合に反対し、処分を受けていた。エンジュリンがキャピタァルにいた頃のことだ。
「ライマンド様でしたか」
 シュティンがすっかり見違えたと眼を赤くした。十五年前はふくよかで血色がよかったが、今はやせ細り、眼も落ち込んでいた。
「わたしも素子と同席というのは不愉快ではあるが、少しでも現況を知りたいという気持ちはある」
 腕組みを外して、ぐっと身を乗り出した。
「なぜ通信衛星を打ち上げたのかということもな」
 トゥドも大いに同意し、食事しながら紹介しようと艦員にうながした。
 皿が配られ、その上に肉をすりつぶし粘質状にして調味したものが乗った。アスィエが眼を輝かせた。
「おじさま、パァテエね、大好物よ」
 好きなだけ食べていいと言われて、うれしそうにフォオクで口に運んだ。玉ねぎのスゥウプと揚げパン、乳白色の発酵乳もあり、みんなマシンナートの食べ物をうれしそうに食べた。同じものがエンジュリンの前にも置かれたが、エンジュリンはしばらく見つめてから、玉ねぎのスゥウプだけに口を付けた。
「さて、紹介をするか」
 トゥドが右側からとアスィエを示した。
「アスィエ、わたしの姪だ。パリス議長とファンティア大教授の孫でもあり、メェイユゥル(優秀種)だ」
 エンジュリンとロイエンを除いたものたちが頭を下げた。
「アスィエ様」
 アスィエが恥ずかしそうに頭を下げて応えた。ロイエンはなにかアスィエがとても遠くにいってしまったような気持ちになって、戸惑っていた。
 アスィエの隣がシュティン、もとマリィン艦長で教授、熱烈な強硬派だった。副艦長だった部下とリド・アザン村で一緒だったものたち四名も助教授でマリィンの艦橋係官だった。
ロイエンについては、トゥドが詳しくはわからないがと前置きした。
「南方大島で、シリィとして育てられたが、父親がインクワイァらしいので、優生管理局で作られたインクワィアのようだ」
 エンジュリンがちらっとロイエンを見た。
「ロイエン、アンファン・トゥロォワヴァム・六八八八九七、父カトル、母アリスタ、三〇二五・四・二九生まれ、男、『マシィナルバァタァユ』直後、父カトルとともにエトルヴェール島に移動した、という記録がある」
 下を向いていたロイエンがはっと顔を上げて、エンジュリンを見つめた。
「知っていたのか、ロイエンのことを」
 トゥドに尋ねられて、エンジュリンがああとうなずいた。
「地上に移動したマシンナートについてのデェイタはすべて記憶している」
 リド・アザン村の連中もカージェの違反者たちも全員認識番号から元所属までわかっている。
「素子は記憶力に優れているらしいからな」
 たいしたものだなとトゥドが感心してみせた。
ロイエンもアルリカ総帥が本当の母親ではないことはわかっていたが、実母がアリスタという名前であることは初めて知った。本当の母はどこにいるのか、急に知りたくなった。
 トゥドがライマンドの隣を紹介した。
「サウリ助教授、わたしの副官だ。その横は、ライマンド大教授の教え子のマドック教授、ラプネル教授」
 ハーデン助手とローヴァー助手はトゥドの部下、エンジュリンの後ろに付いている護衛班の班長がレウニス助手と紹介し終えた。
 食後のカファが配られ、ゆっくりと飲みながら、トゥドが地上での苦労をねぎらった。
「もっと早くに行動したかったが、状況が整わないうちでは、何もしないうちに掴まるだけだからな。みんなにはつらい思いをさせた」
 ライマンドがカファのおかわりを頼んだ。
「つまり、この時期に動いたのは、勝算ありという状況になったということなのか」
 それはおいおいとトゥドがかわした。


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