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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第30回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(18)
 ユニットに入ったアスィエは、五年ぶりのシャワーにうれしくてしばらく落ちてくる湯を浴びながら泣いていた。
「ああ、気持ちいい、これがヒトらしい生活だわ」
 用足しも洗浄消臭のできるポットでできるから清潔だ。ずっと不潔で不便な地上の生活に苦しんでいた。これでようやく人心地がついたとゆっくりと髪を洗い、泡石鹸を使って身体中をタオルで擦り洗った。
 コンマ五ウゥル(一時間)も湯を流し、ようやく止めて、しずくを拭き取り、温風で髪を乾かして、男性用の肌着を着け、薄黄色のつなぎ服を着て、ユニットから出た。
「アスィエ、大丈夫か」
 なかなか出て来ないので心配したと顔を赤らめたロイエンが扉のすぐ側に立っていた。
「久々だったから、気持ちよくて」
 にっこりと笑って寝室から出た。ロイエンがあわてて後を追った。
「あ、あの、カファ飲む?」
 壁際の棚にあった硝子の容器から軽金属の杯に注ごうとしてうっかり手にかけてしまった。
「あちっ!?」
 容器も床に落としてしまい、割れなかったが、中身を全部ぶちまけてしまった。
「大丈夫?」
 アスィエが心配してロイエンの手を握った。
「やけどしなかった?」
 そんなにたくさん掛かっていなかったが、ちょっとヒリヒリすると嘘をついた。アスィエが水で冷やしましょうと寝室のユニットに連れていき、手洗い場の水で冷やした。
冷やしてくれているその横顔をずっと見つめていた。
「ロイエン、あの後、どうしたの」
 アスィエが南方大島から連れて行かれた後のことを尋ねた。ロイエンが眼を伏せてつらそうに唇を噛んだ。
 思い出すのもつらい。だが、こうしてアスィエに会うことができたのだ。こんなうれしいことはなかった。
 応接席に戻って並んで腰掛けた。
「おまえが連れて行かれた後、俺は」 
 隣に座ったアスィエが見上げてくる視線を感じながら、ぽつりぽつりと話し出した。

 一の大陸の南方海域に位置する南方大島は、かつて統治総帥がマシンナートのテクノロジイを受入れ、鋼鉄と人造石とで出来た都を建設し、プラントで食料を作り、島民はすっかりテクノロジイによる便利で清潔な生活をしていた。
 だが、十五年前の『マシィナルバタァユ』のときに、島民を啓蒙していたマシンナートたちは、いきなり島から撤退してしまった。島民もテクノロジイを取り上げられた当初は、せっかく飢えもなくなり、病気も治してもらえたのにと恨むものもいたが、統治総帥の娘アルリカが総帥となり、弟アルシン、そして、テクノロジイを捨ててシリィ(地上の民)となったマシンナート・インクワィアのカトルによって、次第に元の島の生活に戻っていった。
 もちろん、簡単なことではなかったが、学院の助言と援助を受け、五年後にはなんとか畑から麦を収穫できるまでに回復した。
 カトルがキャピタァルから連れてきた息子は、ロイエンと名づけられ、元気に育っていた。父カトルに連れられて海に潜り、銛で魚を獲り、叔父アルシンと一緒に館の裏庭の畑を耕し、山羊の世話をきちんとする子どもだった。
将来、統治総帥の跡を継ぐべく、義母アルリカから『理(ことわり)』の教導も受けていた。『理(ことわり)』に従い、島の民と、島の空と大地と海と、そこに住まう全ての生き物を守っていこうとしていたのだ。
そう、五年前、リィイヴの娘アスィエがやってくるまでは。
 アスィエは、心疾患があるとごまかしてキャピタァルで暮らしていたが、それがばれて、地上で暮らすことになり、南方大島のアルリカとカトルの元で育ててほしいと連れてこられた。
 ロイエンは、アスィエをはじめて見たとき、たちまち好きになっていた。まだ十歳の子どもだったが、もともと頭も良く、大人びていて、ませたところもあった。
 アスィエは、島の女の子たちとは違い、白い肌と茶色の長い髪がきれいで、かしこく、愛らしい様子で、とても惹かれた。なんとか仲良くなりたいと、話し掛けたり、果物を取ってきたり、花を摘んできたりしたが、アスィエは、ロイエンをシリィなんて不潔で愚かな動物だから近寄らないでと嫌って、なかなか喜んでくれなかった。
それでも、あきらめず、父カトルに、異端の技は忘れるようにと厳しく叱られて、泣いているアスィエを何度も慰めた。
 ついにロイエンは、アスィエの気を惹きたくて、アスィエが一番喜ぶことを尋ねた。
「アスィエ、教えてよ、異端の技のこと」
 アスィエはそんなに簡単に分かるものではないわとばかにしていたが、ロイエンにそれでも教えてほしいと言われて、地上でただひとり自分を理解しようとしてくれているのだと心を開いていった。そして、ふたりだけの秘密の学習を始めたのだ。
 カトルたちもアスィエがロイエンと仲良くなったことで、地上の暮らしを受け入れているものだとばかり思っていた。
 そして、あの嵐の日。
 アスィエが南方大島に来てから、三年が経った春先のことだった。春先にはいつも大きな海嵐が島を襲い、崖崩れや川の氾濫などの被害が出ていた。その海嵐はいつもの年よりも勢力が大きく、しかも雨量が多く、進み方もゆっくりで、島は長時間に渡って、雨風にさらされていた。
 島の中央部にある山には、かつて異端たちが水門を作ろうと、川を堰き止め、作りかけのまま立ち去っていて、完全に復元されていなかった。嵐によってたびたび小規模な崖崩れなどが起きていて、危険だった。ついに、その水門跡が大崩壊し、土石流が、下流域で土手の修繕をしていたカトルたちを襲い、海まで押し流した。
 何人かは助かったが、行方不明も数人出て、泥の中から亡骸が見つかったものもいた。カトルも足を切断する大怪我を負い、出血も多く、手当ての甲斐なく亡くなった。 父が大好きだったロイエンの嘆きようは大変なものだった。それに拍車をかけたのが、アスィエだった。
「テクノロジイを捨てなければ、助かったのよ!」
 ロイエンも一緒になってどうしてテクノロジイを捨てたんだと泣き喚き、カトルの遺志を汚すような振舞いに怒ったアルリカに叩かれ、殴り返して、大変な騒ぎになったのだ。
 騒ぎを知らされて、駆けつけた魔導師のひとりが、アスィエとロイエンを引き離さなければとアスィエを島から連れ去った。
 ロイエンは、父を失ったことを嘆き悲しみ、アスィエを連れて行かれたことに憤り、学院を憎み、義母に暴力を振るうようになり、しまいには周囲のものにも当たるようになってしまった。そして、アスィエをこの島に連れてきた海を潜る船に乗ればアスィエに会えると思い込み、南ラグン港近くを何度も潜って、ついに隠された海底の穴を見つけて、潜り込んだ。 
 何日もそこで海を潜る船を待ち、やって来た船の蓋が開いて、異端の者たちが出てきたところを襲い掛かった。ふたりに大怪我を負わせ、脅して船を出航させようとした。だが、途中で取り押さえられ、島に戻された。事の次第を知った義母のアルリカ総帥が、嘆き悲しみ、怒りに震え、この手で処刑するというのを周囲がなんとか留め、魔導師に相談した。
 魔導師も諭してみたが、心が納まらない様子に、異端の罪人が流されている流刑島に送ることになった。
 その流刑島がカージュだった。カージュでの生活はまだ子どものロイエンにはつらいことだった。
 石切りや穴掘り、畑仕事など重労働が科せられているのだが、おとなと同じ仕事の量で、夜には何日かごとに徹夜で『理(ことわり)の書』を書写させられるという罰が与えられていた。同じく収容されている異端の罪人たちは、ほとんどが労働などしたこともない者たちが多く、過労や伝染病、食中毒などで倒れ、薬も地上の薬草などだけなので亡くなるものもいて苦しくつらい思いをしていた。
 ロイエンはもしかしたらいつかアスィエに会えるかもしれないとその思いだけで、生きていた。テクノロジイを捨てないと抵抗しているために流されてきた罪人たちからテクノロジイのことを少しずつ教えてもらいながら、そのときが来ることを夢に見て耐えてきた。
 そして今年になってから、海中船が助けに来てくれるらしいという噂が流れ、監視官に知られないようにみんなで協力して脱走の準備をしていた。
 そしてついに、海から上がってきた鉄の馬車が火を吹きながらカージュを襲撃、全員を救い出してくれて、黒い海中船に乗り、極北の海までやってきたのだ。


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