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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第3回   序章 異形の少年《ディフェラン》(3)
 闘技場は都市の北地区にあって、中心地区からは離れていた。中心地区には領主の城があり、その周辺には領主の部下たちの屋敷が点在している。城は、堅牢な城壁の中にあり、領主一族の住まいと執務所、都市軍の軍務所などがある。また、それを取り囲むように、様々な商品を扱う店が立ち並び、さらにその回りに鉱夫とその家族たち相手の市場などが天幕を張っていた。北地区にも市場は開いていて、闘技場から五カーセルも歩けば着く場所だった。
 都市の東側はバランシェル湖に面していて、湖の中にある平らな中ノ島と浮き橋で繋がっていて、中ノ島の地下から鉄を掘り出し、岸に運んで、鋳造所で鉄材や鉄器を鋳造しているのだ。
 北地区の市場に入ると、いきなり野菜売りが声を掛けてきた。
「おや、イラリア、そんな大きな息子たちいたっけか」
 イラリアが眉を吊り上げて怒った。
「冗談はよしとくれ! こんな大きな子どもがいるような年じゃないよ!」
 こんな店じゃ買わないよとにらむと、野菜売りの女があやまった。
「ごめんよ、これで機嫌なおしとくれ」
 緑の棒状でぼこぼことイボがでている苦瓜を何本かよこした。それにしてもいい男だねえとエンジュリンをしげしげと見た。イラリアが明日の試合に出るから見に来なと何か小さな木札を渡した。
「えっ、いいのかい?」
 そのかわり、お客に勧めといておくれよと頼んだ。
 スァンバタァイュは、賭け金を払うか、見料を払うかしないと見ることができない。試合のほかに、獣対格闘士や軽わざ師の出し物などもやるので、賭博をしないものも楽しめる。そのため、各地からの見物客も多かった。
 イラリアは、買い物をしながらおしゃべりが好きそうなおかみや小娘たちに木札を渡して、宣伝を頼んでいった。
 市場の中道を歩くエンジュリンを見て、行きかう女たちが、ため息をついたり、顔を赤くしたり、嬌声を出したりしていて、すっかり注目の的だった。
 紹介された店の女たちは、気を惹こうというつもりらしく、山鳥の肉や卵、野菜やら酒やらを寄越した。おかげで市場をひとまわりした後は、リギルトの背中は荷物で一杯になっていた。
「こんなに食材もらって、どこかで調理するのか?」
 エンジュリンが尋ねると、イラリアが、闘技場に厨房があって、調理師がいるので食材を渡して手間賃を払うと適当に調理してくれるのだと説明した。
「上手なのか、その調理師」
 リギルトがイラリアの頭の上から話しかけた。そこそこだよと返事をすると、リギルトがうれしそうに暮れていく空を見上げた。
「楽しみだなぁ」
 その様子にエンジュリンがふっと笑いを零した。その笑みを見て、イラリアがまた顔を赤らめ、さっさと行くよとリギルトの背中の荷物を押した。
 闘技場に戻り、厨房で調理を頼み、出来上がりには一時かかると言うので、その頃にまた取りに来ることにした。
「それまでに、剣を研いでもらっておきな」
 研ぎ場に案内された。小さなたたらもあり、刃こぼれなどのちょっとした修繕はできるようになっていた。イラリアが奥にいた四十がらみの男に声を掛けた。
「マレウス、頼むよ」
 座って作業していた黒い顎鬚の男が顔を上げた。
「イラリアか」
 イラリアの後ろに立っているふたりを見て、険しい眼をした。
「まだ子どもじゃないか」
 不機嫌そうに腰のものを寄越せと手を出した。エンジュリンが剣を鞘ごと渡した。
「研ぐ必要はないと思うが」
 フンと鼻を鳴らして鞘から剣を出した。その刃面を見て、マレウスという研ぎ師が眼を見張り、エンジュリンを見上げた。異形の青翠双眼が静かに見下ろしていた。
「たしかに必要ない」
 すっと鞘に戻し、返した。
 受け取ってから、イラリアの右手側を見た。キンキンと剣を打ちあう音や気合を入れる男の声が聞こえてくる。
「見て来ていいか?」
 修錬場だよと顎で示した。
 さっさと歩き出して通路の奥に向かっていった。マレウスがイラリアを手招いた。
「あいつ、どこで拾ったんだ」
 イラリアが北門で通行証がまずくて、ひっかかってたんだと説明した。マレウスがちらっとリギルトを見てから、刃を砥ぎ石に滑らせ出した。
「やっかいなことにならんようにしろよ」
 大丈夫だよと脳天気に笑ってエンジュリンが向った方とは別の通路に歩いていった。リギルトがどっちについていこうか、きょろきょろしてから、イラリアの後を追った。
 エンジュリンが修練場に入ると、出入口近くに立っていた子どもが見上げた。
「さっきのお兄ちゃん」
 さきほど出合ったルロイという少年だった。修練場は広く、大勢の筋骨逞しい男たちが身体を解したり、重りを持ち上げたり、剣を振って、修練していた。
 ルロイの父親も剣を振って、汗を流していた。剣そのものはたいしたものではないが、振る太刀筋は鋭く、重量感もあって、なかなかの『てだれ』のようだった。その様子を眺めていると、近くにいた小山ほどもある禿頭の男がぎろっと睨んだ。
「まさか、おまえ、剣闘士なのか」
 エンジュリンが顔を向けてうなずくと、禿頭がむっと頬を膨らませて近寄ってきた。
「おまえみたいな小僧っこ、あと十年は修練してからにしろ」
 何人かの男たちが寄ってきて、囲んだ。
「そうそう、そのおキレイな顔傷つけたくなかったら、やめとけ」
「恥かくだけだぞ」
 にやにやと笑いながら、エンジュリンを見回している。ルロイが怯えてエンジュリンにしがみ付いた。ルロイの父親が気付いて、剣を振る手を止め、大股でやってきた。
「おい、おまえたち、やめないか」
 男たちがちっと舌打ちして離れて行った。
「なんだ、偉そうに」「グエリニ自治州で部隊長だったそうだぜ」「こんなとこに流れ着くなんてろくでもないやつさ」
 こそこそと話しているのが聞こえてくる。ルロイが側まで来た父親に抱きついた。
「あいつらの言うことにも一理ある。その若さでこんな稼業に手を染めることはない」
 剣を鞘に納めて、サリナスと名乗った。エンジュリンが小さく頭を下げた。
「エンジュリンだ。別にこれを生業とするつもりはない」
 面白そうなのでやってみようと思ってと、自分を見上げているルロイに気付き、片膝を付いてルロイの顔を見つめた。
「珍しいだろう、俺の両眼(りょうめ)」
 ルロイがじっと見つめてきた。
「うん、きれい」
 くるくるっとしている茶色の巻毛の頭を撫でた。
「父さんの翠の瞳と母さんの青の瞳なんだ」
 へえとルロイが感心していた。立ち上がったエンジュリンにサリナスが険しい目をした。
「そんな気持ちでやるものではない。一度手を染めたら元には戻れないんだぞ」
 身も心も汚れてしまうぞと脅した。エンジュリンがちらっと後ろを見た。闘技場への出口が広く開いていた。棚状になっている観客席も見えていた。
 あなたは汚れているのかと真正面から尋ねてきた。はっと驚いたサリナスが唇を震わせて、顔を伏せた。
「事情がある。そうでなければ、こんな……」
 ルロイの手を引いて修練場を出て行った。


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