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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第29回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(17)
 黒つなぎがアスィエを副艦長室に案内し、用意していた小さめの薄黄色のつなぎ服を渡した。女性用の肌着がなくてと頭を下げた。
「いいわ、ケミカル繊維なら、男性用でも平気よ」
 アスィエがうれしそうに受け取り、奥の寝室に入った。ユニットの前に止まり、引き戸に手を掛けたが、すぐに開けなかった。
「使い方、お忘れに?」
 黒つなぎが教えようと近付いたが、首を振った。
「違うの、シャワーが使えるのがうれしくて」
 ゆっくり使ってくださいと寝室から出た。扉の近くに突っ立っていたロイエンに気が付いて、小箱でトゥドに連絡を取った。
「ロイエンは持ち場に戻しますか」
 学習中だったと思いますと言うと、トゥドからそのままアスィエの世話をさせるようにと指示が出た。
「トゥド様からアスィエ様の世話をするようにとのご指示だ」
 カファの入れ方はわかるかと聞かれ、うなずいた。
「わかる」
 シャワーから出で来られたらカファをお出しして、迎えが来るまで待っていろと言い残していった。
落ち着きなくうろうろしていたロイエンが、そっと寝室に入った。まだアスィエはユニットから出てきていなかった。
「アスィエ……会えた、会えたんだ」
 二年ぶりに会ったアスィエの美しさは毎晩思い描いていた以上だった。さきほど細い手を握った手のひらを見つめ、ユニットの扉の前に立って、頭を扉に付けた。

 黒つなぎたちに前後を挟まれて、トゥドの後ろから通路を歩かされたエンジュリンは、しきりにあちこちに眼を向けていた。
「おい、なにをきょろきょろしてるんだ」
 後ろについていた黒つなぎが長身オゥトマチクの先で背中を突付いた。エンジュリンが肩越しに振り返った。
「いや、ただ見ているだけだ」
 きょろきょろするなとまた突付いた。梯子階段を登って、上の階にある艦長室に着いた。トゥドが小箱を茶色の認識盤に押し当て、開いて中に入った。入って左側にある応接席の長椅子に座るように言われ、おとなしく腰を降ろした。反対側に座ったトゥドの小箱が震え、開いて横から細い線を出し、耳に入れた。
「そのままアスィエの世話をさせろ。後で迎えをやるからそれまで待ってるようにと指示しろ」
 それだけ言って線を外し、元に戻した。さてととエンジュリンに眼を戻した。
「名前と所属は」
 エンジュリンがぐるっと室内を見回してから、正面を見た。
「エンジュリン、三者協議会《デリベラスィオン》調査班所属だ」
 あなたも名乗ってほしいと翠青の瞳で見つめた。トゥドは少しも動じず、瞳も逸らさなかった。
「わたしは、トゥド、知っているか」
 エンジュリンがさっと眼を上下に動かした。
「元アーリエギア副艦長、パリス最高評議会議長の五男トゥドなら知っている」
 膨大な『マシィナルバァタァユ』報告書の中に名前があったことを記憶している。そのときに画像はなかったので、アスィエの心象からは、誰かわからなかったのだ。
「そのとおりだが、今は、レジヨンの主導者《コンデュクトゥウル》だ」
「レジヨン?」
 聞いたことがない、どういう組織だと尋ねられ、後ろに立っていた黒つなぎのひとりが長身オゥトマチクの銃口でエンジュリンの頬をにじった。
「やはり探りに来たんだな」
 今にも発砲しようとした。逸る男をトゥドが抑えた。
「そうあわてるな、別に知られてもいい。いや、むしろ、知らせたほうがいいかもしれない」
 三者協議会《デリベラスィオン》の裏切り者どもにはと口元を歪めた。
「素子に媚びる連中は、絶対に許さないということを」
 素子以上になと椅子に背中を預けて、足を組んだ。
「おまえには、協議会についての有益な情報を提供してもらえると期待したいところだが、どうかな」
 黒つなぎたちが、そんなこと、答えるはずはないと囁きあっていると、エンジュリンが何を知りたいと聞き返した。
「こいつが本当のこと、言うわけがないです」
 黒つなぎたちが、信用されるのですかと不信感を露わにした。トゥドが首から提げている小箱をいじりながら、艦員から渡されたカファの杯をエンジュリンに差し出した。
「飲むか」
 エンジュリンがうなずいて、杯を取り、飲み干した。少し顔を歪めた
「苦い、何度飲んでも慣れない」
 そうかとトゥドが苦笑し、艦員が寄越した別の杯を受け取った。
「まずは、協議会の現議員のことを聞かせてくれ」
 エンジュリンがうなずき、話し出した。
 三者協議会《デリベラスィオン》はキャピタァルの中央司令塔内に本部があり、議長はリィイヴ、元パリス議長四男旧名ファランツェリ。最初の三年間臨時議長だったファンティア大教授は、十年間議員の一員だったが、現在罷免されて病棟に収容されている。
「リィイヴ……やつだけはこの手で殺してやりたい」
 トゥドが拳を震わせていた。
 母パリスが最後に送ってきた幾つかのデェイタの中にリィイヴとのやりとりが含まれていた。キャピタァルを乗っ取って、中枢主任だった三男ヴァドに成りすまし、母の悲願を打ち砕いた。素子に味方するもっとも憎むべき相手だった。
 エンジュリンが口述するのを、壁際の机に向かっている助手らしき男がボォウドで打ち込んでいた。
 副議長レヴァード議員は、都市統合総督を兼任、キャピタァルとバレー・トゥロォワの行政官・教育官の統制をしている。教程委員会の委員長でもある。
そのほかに、オッリスやセヴランなど、かつての最高評議会議員やバレー・アーレ、バレー・ドゥーレから脱出した評議会議員が五名、バレー・トゥロォワの評議会議員が三名、五年前にキャピタァルに統廃合したバレー・サンクーレの評議会議員が二名。
「学院側はアートラン師匠、エアリア先導師、ヴァシル先導師が常任議員で、臨時議員は各王国学院から何人か派遣されてくる。調査班は俺や兄弟たちが手伝っている」
 トゥドが、学院側は聞いてもわからないなと言い、後はワァカァかと尋ねた。
「そうだ、ワァカァの組織『スウソル』から十名参加している」
 代表のサンディラ、デュインが当初からの議員で、その他に七名いると話した。キャピタァルとバレー・トゥロォワの各階層ごとにワァカァの代表が選出されていて、下部協議会が開かれ、そこでテクノロジイ放棄計画の推進をしていると説明した。
「なるほどな、それでどうなんだ、テクノロジイ放棄は進んでいるのか」
 エンジュリンが口をつぐんで、下を向いた。
「無理やり取り上げるのかと思えば、訓練だの研修だのずいぶんと手ぬるいことをやっている」
トゥドがくくっと笑った。
「進むはずがない」
 しかもだとトゥドが机に両肘を付き、組み合わせた拳の上に顎を置いた。
「新しい通信衛星を打ち上げただろう」
 エンジュリンがはっと頭を上げた。
「何故知っている?」
 少しは情報が入ってくると今までエンジュリンが話した内容を照合したデェイタを小箱に送らせた。
「嘘は言ってない。とりあえず信用しよう」
 ここからが本題だとぐっと身を乗り出した。
「通信衛星のこと、話してもらおうか」
 通信網《レゾゥ》の有効圏とかなと言われて、エンジュリンが少し考え込んでから、タァウミナルを貸してくれと言い出した。
「使えるのか」
「ああ、使える。タァウミナルを使って説明する」
 それならば、後で用意させようと立ち上がった。
「まずは、その見苦しい服を着替えてこい。それから、食事だ」
 その席で他の連中に紹介しようと黒つなぎたちに命じた。


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