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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第26回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(14)
 アリアンがびくっとして、身体をゆっくりと向けてきた。
「言うこと、聞かなくていい」
 だが、意を決したようで、身体を起こした。
「アリアンだな」
 黙ってうなずいた。確かに転送されてきた画像の顔に似ていたが、微妙に顔つきが違うように思えた。
「二の大陸北海岸にリド・アザン村という村がある。その近くに行ったことはあるか」
 ふいを突かれたという顔をした。
「……いや、行ったことはない」
 聞いたこともないと首を振った。
「この絵の男は、そのリド・アザン村にいたマシンナートの娘にブワァトボォウドを渡した」
 えっと息を飲み、もう一度見せてくれと手を伸ばしてきた。その手に小箱を渡した。
「いつのことだ」
 おそらく、ここ半年ばかりのことだと言うと、アリアンが首を振りながら、まさかとつぶやいた。
「おまえでないとしたら誰だ」
 魔導師がぐいっとアリアンに詰め寄り、小箱を取り上げた。アリアンがその魔導師の紫がかった青い瞳に縛られたようになり、声を震わせた。
「……トゥド……」
 でも、まさかとまた首を振った。
「母さんと一緒に死んだはずだ」
 だが、その顔は十五年前の二十歳頃の顔ではない。明らかに三十半ばの自分と同じ年月を重ねた顔だった。
「生き延びている可能性はあるか」
 魔導師がベッドの縁に腰掛けてきた。アリアンがしばらく考え込んでいたが、ようやく話し出した。
「アーリエギアが消滅する前にマリィンかアンダァボォウト、もしくはプテロソプタで艦外に出ていたのかも」
 それはないと魔導師が否定した。当時のマリィンは全艦点検し、乗組員全員を把握していた。アンダァボォウトやプテロソプタに関しても同様だ。
「それは正式な登録番号のものだけだろ? 登録外のマリィンやアンダァボォウトがあったんだ」
 魔導師がえっと戸惑った声を出した。魔導師はけして動揺などしないと思っていたので意外だなとアルトゥールが見回した。
「そんなものがあったのか」
 アリアンが当時のことを思い出しながら説明した。
 母パリスは、議長就任後、老朽化により廃艦するとして、バレー・トゥロォワ所属の大型マリィン一艦を登録外とし、私有した。アンダァボォウト十隻、リジットモゥビィル、プテロソプタも何台か持っていた。議長を罷免された後、ひそかに極南島のキャピタァルを出て、未登録のアンダァボォウトで極北海のアーリエギアにやってきたのだ。パリスが未登録のアウムズを私有していることは、そのマリィンの乗員と一部の腹心たちくらいしか知らなかったはずだった。
「マリィンについては、ヴァド兄さんも知らなかったんじゃないかな」
 確かにヴァドが知っていたら、リィイヴと入れ替えるためにコォオドやデェイタを吸い上げたときに記録があったはずだ。
「母さん、ヴァド兄さんにも知らせてないこと、たくさんあったし、俺やトゥドが知らないこともあったはずだ」
 パリスは二重三重の手を打つために子どもたちにすら全容を明らかにしていなかったのだ。
「……まさか、ユラニオゥムミッシレェを搭載していたのか」
 声が震えていた。考え込んだアリアンにどうなんだと詰め寄った。
 だが、アリアンは答えられなかった。ほんとうに知らなかったのだ。
「当時、どの辺りにいたんだ、その艦」
「たしか、グレニオス海峡辺りだったと」
 グレニオス海峡とは、第二大陸と第五大陸の間の海域のことだ。だが、通信衛星と電波塔による『網(レゾゥ)』の開通後、移動命令があったかもしれないけどと付け足した。
「もし搭載していたら、あの大魔導師の最緊急通信を見て、発射してたのでは」
 そのマリィンの艦長は母の教え子で、塔載していたら発射システムは独立系だったはずなのだ。
魔導師が、あの時に発射していたら、始末されてるなとつぶやいた。
「そのマリィンの型式と覚えてる限りのことを書き出せ」
 わかったとアリアンが掛布の上にあった絹のガウンを素肌の上に着て、ベッドから降りた。アルトゥールも降りてきて、灯りを点け、テーブルに置いた。
 紙に羽ペンを走らせているのを覗き込んでいた魔導師が窓のほうを向いた。ガシャンと音がして、何かがぶつかった。
 アリアンとアルトゥールが驚いて顔を向けた。
「遣い魔だ」
 アルトゥールが、護衛兵たちが侵入者かと騒ぐといけないから言ってくると寝室を出て行った。窓を開けると、下に大鴉が落ちていた。拾って中に戻り、赤い筒を開けた。大鴉は力尽き死んでいた。筒の中身を見て、眼を険しくした。
 アルトゥールが茶器一式を持ってきて、茶碗に茶を注いで、アリアンと魔導師の前に置き、自分も飲んだ。魔導師が、手にしていた大鴉の死体をバリッと食べ始めた。
「うっ……そのまま喰うのか」
 アルトゥールが驚いて眼を丸くした。アリアンも強張っていた。
「ああ、生で食べるのは俺くらいだが」
 死んだ遣い魔はたいてい調理して食べてやるんだと狼や大山猫が食べるような音を立てて、噛み砕いていく。羽も足の先もくちばしも食べ切り、茶をもらった。
「さすがにいい茶葉だな」
 セラディム王室に納められている品と同じだとおかわりした。
 アリアンが書きおえた紙を渡した。
「この型式のユラニオゥムマリィンは燃料棒の交換が十五年から二十年ごとだ。今でも可動していてもおかしくない」
 アリアンが茶を含んだ。
「そういえば、おまえは動力機関専門分野だったな」
 魔導師がアルトゥールからおかわりの茶碗を受け取った。アリアンが戸惑った顔をして手の中の茶碗に眼を落とした。
「忘れた、もうそんなこと」
 震えている。気が付いたアルトゥールがアリアンの隣に座った。はっと見上げてきたアリアンを不安そうな眼で見下ろした。
「アリアン、おまえさえよければ、キャピタァルに戻ってワァアクしてもいいぞ」
 テクノロジイ放棄が完了するまではまだ時間がかかるから、それまでの間はテクノロジイを使わないといけないからなと、魔導師が口元ににやっと笑いを浮かべた。アルトゥールがぶるっと震えた。
「アリアン……」
 好き好んでテクノロジイを捨てたわけではなく、もう大好きな父セアドはいない。アリアンに地上で生きる意味はないのだ。
「セアドも戻っていれば死なずに済んだのにな」
 魔導師が口元に薄笑いを浮かべたまま、かわいそうなことをしたなと少しも同情していない声で言った。
 アルトゥールが手で魔導師の杯を振り払おうとした。その素早い動きを上回る速さですっと避けて杯を飲み干した。
「この茶器、セラディムの王宮にあるものと同じだ。壊したらもったいないぞ」
 アルトゥールが怒りに拳を握った。
「言っていい事と悪い事がある!」
 魔導師だから何を言っても許されると思うなと拳を膝に叩き付けた。アリアンがその拳に手のひらを乗せた。
「アル」
 見つめてきたその眼に自分が映っていた。
「アリアン」
 アルトゥールが、アリアンの柔らかい頬に触れた。
 大きな手。大きく、指が長くて、皮も堅いアルトゥールの手。
 その手で幾度となく触れられた。身体だけでなく。心も。
「俺はここに……いる」
 ここで仕事すると魔導師の方に顔を向けた。アルトゥールが奥歯を噛み締めていたが、眼が熱くなるのを止められなかった。
 魔導師が肩をすくめた。
「そうか」
 アリアンがしっかりとうなずいた。魔導師が立ち上がり、紙をふところに納めた。
「一応、言っておく。その未登録マリィンらしき不審船が、極南列島にある収容所を襲撃して、百人からの違反者を連れ去った」
 ほとんどが降伏の条件を受け入れない男のインクワィアたちだった。女のインクワイァの違反者はキャピタァル内の病棟に隔離していた。
「トゥドが何かしようとしてる?」
 反乱など無駄だがなと魔導師が窓に寄った。ふたりも立ち上がった。床に落とした白い布を拾ってふわっと被った魔導師が、窓の前で振り返った。
「マシンナートのアリアンはもう死んでいる。ここにいるのはシリィのアリアンだ」
 せいぜいヴラド・ヴ・ラシスらしく金を稼ぐ算段を考えるんだなと不敵に笑って飛び去った。
 アルトゥールが、魔導師の去り方を見ているアリアンの後ろに立った。
「なあ、アリアン」
 ふっと後ろを振り向いたアリアンに尋ねた。
「おまえが一番好きなのは、俺だよな」
何度尋ねてもアリアンは、同じ答えを言う。
「おまえなんか、嫌いだ」
一番嫌いだと子どものようにぷいと前を向いた。アルトゥールが満足そうに目元を緩め、背中から抱き締めた。


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