二の大陸中央部に位置するガーランド王国と広大な領地を有するウティレ=ユハニ王国の国境に鋼(はがね)造りの都『ラキャテシオン』がある。 その中心部にある領主の城は、高い城壁に守られ、城の内部は、豪華な調度品や趣向を凝らした庭や東屋などが点在し、そこいらのへたな王国の王宮などよりも立派な造りだった。 その城内の執務所の領主執務室では、領主アルトゥールが、妻スティシアを『奥』から呼んで、叱っていた。 先だって、若い剣闘士を『奥』に引き込み、盗賊の一味と誤解して、闘技場で獣の餌にしようとした。そのことだった。 アルトゥールは、応接の長椅子の向かい側に立っていた。長椅子に座っているスティシアは、絹の手巾を握り締めて膝の上で拳を作っていた。 「おまえが何人小僧どもを連れ込もうと一向にかまわん。だが」 向かい側にどかっと座って、螺鈿造りの見事な机に手のひらを叩き付けた。スティシアがびくっと肩を尖らせた。 「都市軍を勝手に動かすことは許さん」 アルトゥールは、不義密通を咎めているのではなく、権限なしに都市軍を動かしたことを怒っていた。すでに、スティシアの言うなりに闘技場で矢掛けや火弾投擲を命じた部隊長を処分していた。 スティシアが顔を赤くして震えていたが、きっと眼を吊り上げて顔を上げた。 「殿がわたくしにそんなことをさせているのです!」 急に身体を震わせて泣き伏した。 「あんな者を側に置いて、わたくしには眼もくれない!」 アルトゥールが不愉快そうに眼を細め、ふうと大きく息をついた。 「最初からそういう約束で結婚したはずだ」 この壮麗な城も、数々の豪華な調度品も、溢れんばかりの衣装や装飾品も、かしずく大勢の従者侍女たちも、全ておまえのものだ、それで満足しろと突き放した。 確かに国が敗れ、亡命先のアヴム自治州でのみじめな生活に嫌気がさし、この話が持ち上がったときは、そのような約束でもいいと思ったのだ。だが、アルトゥールと見合いし、とても惹かれた。堂々たる風貌は王族と言っても通用するほどで、かつて二の大陸を統合しようとしたウティレ=ユハニの黒狼王のように、強引で大胆な性格も誇らしいものだった。そして、妻となってみると、男めかけのせいでないがしろにされることがひどく屈辱的だった。なぜ、こんなことをするのか、わかってほしかった。 「そんなもの、欲しくありません!」 あなたのお子が欲しいと椅子から転げ落ち、足元にすがった。 「ラキャテシオンを名乗るのなら、わたくしが産んだお子が跡を継ぐべきです!」 アルトゥールが険しい眼で睨みつけた。 「跡取りはもういる。ラキャテシオンの名は買ったんであって、血はどうでもいい」 すでに十三歳になる息子がいた。 扉が叩かれ、その叩き方で誰かわかったアルトゥールが入れろと従者に命じた。従者が扉を開いて招き入れた。 「アル、この帳簿のことで……」 入るなり用件を話し出した男が、スティシアがいるのに気付いて、固まった。 「スティシアがいたとは知らなかった」 出直すと肩を回した。アルトゥールが止めた。 「いやいい、話はもう終わった」 スティシアに『奥』に戻れと手を振った。スティシアが泣き顔をきっと振り上げて立ち上がり、さっさと歩き出した。扉のところで止まっていた男をすれ違いざまににらみつけた。 「その卑しい身でわたくしの名を口にしないで」 扉の外に待っていた従者に手巾を振って、廊下を歩いていった。暗い顔を伏せている男にアルトゥールが近寄った。 「みんな、同じだな、俺のこと、軽蔑してる」 「気にするな、アリアン」 昔、アルトゥールの側女になりたがった娼婦たちに「若をひとり締めした」ことを恨まれ、男娼と罵られて、ひどい目に会わされたことがあった。スティシアもあのときの娼婦たちと同じ眼で俺を見ていると首を振った。 アルトゥールが重厚な造作の領主椅子に座り、アリアンから帳簿を受け取った。 「おまえが有能な幹部だってことは、長老たちも認めている。女たちの眼など気にしなくていい」 なんとかうなずいていたが、気持ちは晴れないようだった。 アルトゥールは、本来の領主の住まいである『奥』には一度も行ったことがない。執務所の離れでアリアンと寝泊りしていた。 十五年前、戦いに敗れて捕虜も同然に連れてこられたマシンナートの親子セアドとアリアンは、ジェトゥとアルトゥールに匿われて、ヴラド・ヴ・ラシスの本部会員として働くようになった。 インクワィアであったふたりは、数値に強く、読み書きも達者で、異端の道具を使わなくても、シリィの算術や書面作成などはたちまち覚え、さまざまな文献や資料を読みこなして、組合の仕事ができるようになっていった。ラキャテシオン設立にも大いに腕を振るい、ヴラド・ヴ・ラシスの幹部として認められていった。 アルトゥールは抵抗する力もないくせに生意気な口を聞くアリアンをひどく気に入ってしまった。アリアンは、いじめてからかうと、必死に怒り、泣き喚く。そんなところが、かわいくてたまらなくて、次第に夢中になっていった。 今は亡き祖父アギス・ラドスに、側女に跡取りを産ませるからとアリアンを側に置くことを許してもらったのだ。 アリアンも、最初は、ワァカァ出身の父セアドを『父さん』と呼んで甘えたくて、不便で不潔なシリィの生活を我慢していた。シリィなど動物と同じだと思っていた。不潔で愚かだと蔑んでいた。だが、アルトゥールやジェトゥと一緒に暮らすようになって気持ちが変わっていった。そして、次第に、なにもかも強引だが自分を大切にしてくれるアルトゥールに惹かれていった。 おととし父セアドを病で失くしたときも、アルトゥールが側に居て慰めてくれたから、悲しみに絶望することなく、生きていく気力を失わずに済んだのだ。今では、掛け替えのない存在だった。 いつものようにアリアンがアルトゥールに背を向けて寝入り、その背中を抱き締めて、アルトゥールも眠りについた。 しばらくして、アルトゥールが、カタンという音がしたような気がして眼を覚まし、窓のほうに顔を向けた。 窓から入る月明かりを背にして、影が浮いていた。すでに部屋の中に入って来ていた。白い布を頭からすっぽり被っている。その布をはらっと床に落とした。 「……魔導師……」 その影は男にしては小柄だが、威圧感があった。ベッドの上で起き上がり、見据えた。 「つい先だっても小僧の魔導師たちが調べに来たが、今度は何事だ」 祖父アギス・ラドスに似て、たとえ相手が一国の国王であろうが魔導師であろうが、臆することはなかった。 影がふわっと浮きながらベッドに近づいた。 「急いでいるんで、挨拶は抜きだ、こいつに会いたい」 ふところから小さな箱を取り出し、開いて、硝子の面を光らせた。異端の道具の小箱であることは知っている。硝子の面に男の顔が映し出された。それが誰かわかって、ぐぅっと奥歯を噛み締めた。 「隣で寝てることはわかってる。早く起せ」 とうとうアリアンのことが学院に知られてしまったのだ。アリアンは、異端の指導者の息子で、かつて暗殺の対象だったと父から聞いていた。 ……アリアンが殺される。 「どうするつもりだ」 魔導師に敵うはずはない。だが、簡単に殺させはしない。かばうように身体で隠した。 「アリアン、起きてるんだろ? こっちを向け」
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