精製棟は円筒形になっていて、居住区の通路は回廊状になっている。左廻りでエレベェエタァに向かい、箱に入って、上階への釦を押した。 《ユラニス・カトリイェエム》の司令室は、地上に一番近いところにあった。以前は地下深くだったが、通信衛星『北天の星』を使ってやり取りするので、空中線を地上に出しているため、浅い地下に移動させたのだ。 ラトレルが念を押した。 「ファドレスは信用できますよね、先導師(せんせい)の『審査』を通ってるんですから」 このことは、まだ他に漏れては困りますからと釘を刺した。『審査』とは、手を握る、腕を掴むなどして、被疑者の身体に直接的に接触して真偽のほどを問いただし、嘘をついていないかどうか、調べることだ。ふたりのただならぬ仲を知っていて、皮肉ったのだ。 ヴァシルとファドレスは、エトルヴェール島新都管制主任ザイビュスとともにドォァアルギアのユラニオゥム動力爆破による地上汚染を防いだことが縁で知り合った。 ファドレスは同性愛者で、はじめて会ったときから、ヴァシルが気に入っていた。ヴァシルが魔導師であると知っても、物怖じせずに接してきて、それがかつて『空の船』で一緒だったレヴァードに似ているようで、ヴァシルはとてもうれしかった。そして、惹かれていった。 学院が禁じているのは結婚であって、必ずしも貞操を守るよう決まりがあるわけではないが、純潔ではなくなるという後ろめたさはあった。しかし、その結びつきは、ヴァシルにとってヒトらしさを得られる心地よいものだったのだ。 ファドレスは、三者協議会《デリベラスィオン》の担当官となり、エトルヴェール島からバレー・サンクーレ、キャピタァル、バレー・トゥロォワを転任、一年前から第四大陸のユラニオゥム精製棟《ユラニス・カトリイェエム》監視委員会に派遣されていた。 ヴァシルは、一か月前に臨時議員と交代してキャピタァルから転任してきたばかりで、十二年ぶりに一緒の仕事場になったのだ。 「もちろんだよ」 ラトレルの容赦ない皮肉にも動じずに腕を組んだ。 「それにしても、あの赤ん坊が」 こうも生意気になるとはとため息をついた。 「エンジュリンにティセア様の乳を取られたと泣いていたのに」 ラトレルが顔を真っ赤にした。 「赤ん坊の頃のことですよ、誰だって同じでしょう」 そうかなと笑った。 「おまえは『聡い』から、わかってて甘えてたんだよね」 ラトレルが観念して、頭を下げた。 「失礼なこと、言いました、すみませんでした」 ラトレルは一歳頃、南方大島の両親の元から五の大陸イェルヴィール王国学院長ヴィルヴァに引き取られ、それから『空の船』に預けられて、大魔導師の妻ティセアに育てられた。当時まだはっきりとした魔力の発現はなかったが、物心はついていて、美しく気高いティセアが好きになり、いたいけなふりをして、思い切り甘えていたのだ。 あまりに恐縮している様子にヴァシルも改めた。 「いや、わたしも言いすぎた」 悪かったと謝った。 司令室で当直の担当官がラトレルから二枚の紙を受け取り、画像に取り込んでキャピタァルに送信した。 しばらくして、キャピタァルの中枢《サントォオル》から音声通信が入った。 『こちら、キャピタァル中枢《サントォオル》、主任オルハです。デェイタ展開中です』 オルハは十五年前から中枢主任としてワァアクしている。現在は以前のような主任に全ての権限を集中させるような管理体制はとらず、チィイム員が交代でワァアクしていた。 アートランはバレー・トゥロォワに向かっていて、まもなく到着するはずと転送してくれた。 「オルハ主任、画像デェイタの照合はアートラン師匠(せんせい)からの指示待ちとしておいて下さい。師匠には、わたしから連絡します」 ファドレスからの情報を伝えれば、すぐに照合できるだろうが、今はまだ伏せたかった。 『了解しました』 すぐにアートランの小箱に音声通信した。何度か呼び出したが、出ない。ヴァシルがもしかしたらと手元のモニタァに地図を出した。 「『空の船』にいるのかも」 バレー・トゥロォワに行く途中、恋人のセレンに『逢いに』いっているかもしれないとアートランの小箱の座標位置を確認した。 「やっぱり」 座標位置は、『空の船』が係留している第一大陸南方海岸のレアン軍港だった。ヴァシルが、朝まで返答ないと思うよと苦笑した。 「絵を持っていったほうがいいですかね」 これからだと、昼になってしまうと困っていた。 「画像を小箱に転送しておいて、君はバレー・トゥロォワで待機していたらどうかな?」 どうせ朝には出てしまうよと言われて、ラトレルが、そうしますと、担当官にバレー・トゥロォワの中央司令室へ転送依頼の電文を送ってもらった。ヴァシルに向かって胸に手を当てて、司令室を出た。 「『空の船』か……」 お母様は元気かなと寂しい気持ちになった。
一の大陸最南の国カーティアの南方海岸は、穏やかな気候で、農耕地も肥沃で、漁場も豊かだ。その南方海岸のほぼ中央に位置するレアンの軍港の一番外れに、大魔導師の道具『空の船(バトゥシェル)』が係留していた。 空を飛ばなくなって、八年。 南方大島の沖合いに漂っていたが、魔導師たちが引っ張ってきて、ここに繋げたのだ。 船室の窓から朝陽の光が差し込んできた。 狭いベッドの上で、その光を感じて、瞼を開けた。どこまでも澄んだ青い瞳。柔らかそうな茶色の髪が額に掛かっていた。 「朝……」 まだ眠たそうな眼で、起き上がり、窓から外を眺めた。陽は差していたが、雲が多かった。そろそろ起きてと隣に寝ている金色の鱗のようなものが生えている肩を揺すった。 「アートラン」 手が伸びてきて、ぐっと引っ張り、抱き寄せた。 「もう少しいいだろう、セレン」 すっかり大人になったセレンは、優しい面立ちがとても綺麗だった。 久々に逢ったんだからと口付けした。セレンが、そうだけどと曖昧に拒みながら愛撫を受けた。 いつもながらに暖かい海の中にいるような心地よさに浸っていると、扉が叩かれ、声が掛かった。 「セレン、アートラン、朝飯」 片付かないから食べてくれと言われて、ようやくアートランが身体を離した。顔を洗って身づくろいして食堂に行くと、窓際の席に皿がふたつ並んでいた。厨房から杯と小鉢の乗った盆を持ってきてくれた。 「ヴァン、ありがとうございます」 セレンが立ち上がって盆を受け取ろうとすると、いいからと配膳した。 「なんか、夜中に呼び出し音鳴ってたみたいだぞ」 夕べはリド・ルアン村での会合があり、終わったあとにささやかな宴会があって、船に帰ったときは夜中過ぎだった。そのときに聞こえたのだ。 ヴァンもそろそろ四十に手が届く年になった。相変わらず心優しくリド・ルアン村のみんなから慕われていた。 アートランが飲みかけていた牛の乳の杯を降ろして、出入口から出ていった。 「最近は、窓から出入りしないんだな」 おとなになったとヴァンが笑った。アートランが小箱から出した線を耳に入れ、その途中に付いている粒状のものに怒鳴りながら食堂に戻ってきた。 「そんな重要なこと、朝までほおっておくな! 警告音でも出して、呼び出せ!」 どうやら、大切な連絡だったらしい。 「もういい! 俺は調べたいことがあるから、後から行く、おまえは先にリド・アサン村に向かえ!」 一方的に切って飲みかけていた牛の乳を飲み干した。 「誰なの」 ラトレルだと怒りながら小鉢のシチューを食べ始めた。 「あんまり怒らないであげて」 セレンがなだめた。まったく使えないとぶつぶつと文句を言っている。セレンとヴァンが顔を見合わせて肩をすくめた。野菜の盛り合わせを食べ切り、立ち上がった。 セレンとヴァンも立ち上がって、すぐに出発するというアートランを見送りに甲板に出た。 甲板では、カサンが綱の物干しに洗濯した手ぬぐいを干していたが、白い布を手に出てきたアートランを見て、近付いてきた。 「なんだ、もう行くのか」 アートランがああと返事をした。セレンが心配そうにアートランを見下ろした。セレンは十五歳を過ぎたころに、小柄なアートランの背を追い抜いていた。 「いろいろと大変だろうけど、いつでも息抜きに来て」 待ってるからと微笑んだ。アートランが肩口に顔を押し付けた。 「ああ、また来る」 じゃあとたちまち空に飛び上がり、光になって一瞬にして北に向かって飛び去った。 「まったく、いつも突然来て、突然行ってしまう」 勝手なやつだとカサンが怒っていた。ヴァンが、魔導師たちがいつも忙しいのはわかっていけど、もう少しゆっくりしていけないもんなのかなと寂しそうだった。セレンがまったくですねと同意して船室に入っていった。 ヴァンとセレンとふたりして厨房の後片付けをしていると、『空の船』の見張り番として五の大陸のイェルヴィール学院から派遣されて来ている女魔導師オルタンシアがやってきた。二十歳くらいで、長い黒髪を髷にしていて、切れ長の黒い瞳で、なかなか気立てもよかった。 「アートラン様は」 早朝からレアンの軍港周辺や海岸線を巡回して帰ってきたばかりだった。もう発ったと聞いて、がっかりしていた。 「夕べもお話できなかったのに」 話したいことがあったようだった。 「ティセア様の具合どう?」 セレンが心配そうに尋ねた。先月から風邪気味で、オルタンシアの調合した薬で良くなってきてはいたが、まだ床についていた。 「だいぶよいのだけど」 なかなか気力が出ないようですと心配そうだった。背中に落としていたオルタンシアの頭巾からリュールが頭を出して、クゥウンと鳴き声を出した。リュールはすっかりオルタンシアが気に入ったらしく、ずっとまとわりついていた。喧嘩友だちだった熊のウルスは五年前に寿命が来て死んでいた。 「朝飯まだだったな」 ヴァンが手を差し伸べると、ひょいと頭巾から出てきて、オルタンシアの肩を踏んで、ヴァンに飛びついた。 「待ってな、今、パン粥作ってやるから」 オルタンシアが、うれしそうなリュールの様子に微笑み、わたしにも同じものを下さいと頼んだ。 セレンがゆっくりと丁寧に茶を入れて、ティセアに届けた。 「すまないな、家事ができなくて」 ティセアがベッドの上で身体を起こした。その背中に枕を入れて背もたれにしてやった。 「いいんですよ、村からも手伝いが来ますから」 ティセアが、窓から差し込む朝の光にまぶしそうに青い瞳を細めた。ほどなく四十の声を聞く年頃だが、さすがに肌の衰えは隠せないというものの、まだまだ充分に美しく、むしろ、年を重ねたことによる成熟した美しさと気高さが匂い立っていた。 半分ほど飲んで皿に置いたとき、セレンがティセアの背中に回って、肩を揉んだ。 「ああ、ありがとう」 とても気持ちいいぞとティセアが眼を閉じた。 「なあ、セレン」 はいと静かに応えた。 「今日は気分もいいし、散歩でもするかな」 そうしましょうとうれしそうに顔を覗き込んだ。
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