20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第20回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(8)
 翌日エンジュリンは、アスィエの小屋の畑を耕し、ぼろぼろになっていた鶏小屋や囲いの修理をした。村民たちは、みんな小屋に引きこもり、出てこなかった。
夜になって、ボルトに、この村は閉鎖し、村民はカージュに移したほうがいいかもしれないと話した。
「カージュ……ですか……」
 カージュは、極南列島なので、ここよりは温かく過ごしやすい。ただ、強制的に作業をさせられるし、怠慢なものは、懲罰房に入れられてしまう。訓練村というよりは、収容所だった。監視官として赴任することになるのでしょうかと不安そうだった。今よりももっと同胞だったものたちに憎まれるだろう。
「おまえはリド・ルアン村に行けるように推薦状を書いておく」
 ボルトがうれしそうに頭を下げた。
一の大陸南方海岸にあるリド・ルアン村は、五の大陸や極南列島の訓練村で研修を終えたものたちや赤ん坊の頃から地上に出たインクワィアの子どもたちが、シリィとしての生活を送っている村だった。
「ありがとうございます、リド・ルアン村では、シリィの娘を紹介してくれるそうなので」
 嫁をもらって、子どもを作って、家族で暮らしたいですと喜んだ。周辺の村々から相応の結納金を払って娘を連れてきて、マシンナートの男と娶わせていた。
 ボルトはインクワィアだが、『マシィナルバタァユ』当時十一歳で、まだ精通が来ていなかったので、処置されていなかった。
 翌朝、夜明け前から村の外れで飼っている山羊小屋の手入れをした。乳を採るために飼っているのだが、世話をするのがボルトとルイゼだけで、餌をやるので精一杯だったので、糞が溜まって汚れていた。
 十頭いる山羊を一度外に出して、身体を拭いてやり、優しくさすってやった。しょんぼりと元気のなかった山羊たちが、うれしそうにメェェエと鳴き出し、水を飲み、餌を食べた。外で日浴びをさせている間に、小屋を大掃除した。藁をすっかり掻き出し、糞を取り除いて、キレイに梳いて干し、雨漏りしていたらしい屋根を修繕した。
 昼過ぎに茶を持って来たルイゼが、小屋を覗き込んで、見違えたと驚いていた。
「セルドアド村でも、よく牛の世話をされていましたね」
 まだ、小さかったのにとルイゼが思い出していた。
 セルドアド村は、五の大陸イェルヴィール王国にある訓練村で、エンジュリンは、三歳から七歳まで、イェルヴィールの学院で修練していた。ヴィルヴァ学院長に連れられて、たびたびその村を訪れていた。
 そうだったなと茶をゆっくりと含むようにして飲んだ。
「家畜は、ヒトが世話してやらないと」
 死んでしまうからなと山羊たちを眺めた。
 午後には村の入口となる門扉を修繕した。村民たちが遠巻きに窺っているのはわかっていたが、そのままにしていた。
夜になって、主務所で茶を飲みながら、明日は木を切り出して薪を作ろうと考えていた。
 ふっと気が緩んだ。そのとたん、湧き上がって来たアスィエへの想い。
 なんとかして、アスィエに自分をわかってもらえないだろうか。素子はすべて憎いという心の波を痛いほど感じる。
 胸が痛い。嫌われているのがつらい。
 自分は魔導師なのだから、どんな相手に対しても冷徹に対さなければならない。時に非情とも言える対応もしなければならないのに、エンジュリンにはそれがなかなかできなかった。
 おととし、初めて処刑人として殺人の罪を犯したものを死刑にした。取り返しのつかない重罪を犯したものだ。極刑は当然。だが、エンジュリンは、そのとき、死を恐れ、生きることを断たれ、絶望に泣き叫ぶ者の恐怖と憎悪の波をまともに浴びてしまった。その波にひとつき近く苛まれ、寝ることもできず、食事を取ることもできなかった。
 その後すぐだった。『学院長たち』の非難と嫌悪に満ちた波に飲まれて、底なしの暗い闇に落とされたのは。
 そのときからいっそう、ヒトの悪意や憎悪の波がつらいのだ。まして、好きになった娘からのもの。こんな感情に捕らわれていてはいけないとわかっていても、払いきれなかった。
 つらい気持ちを落ち着かせようと、机に向かってふところから出した紙に数字と記号の羅列を書き出した。
 ラトレルに師匠に怒られると注意されたものだ。ふたつの通信衛星に搭載する気象観測システムのオペェレェションコォオドを組んでいるのだ。テクノロジイで得たデェイタを魔導師の使う算譜に使えないだろうかと考えていた。そのようなものを魔力で書き換えることなど、本来はしてはならないことだとわかっているが、どうしても天候算法や海流算法の数値記録の更新をしたいのだ。
 ここ数十年海水の温度の変化が激しく、海流の変化により海嵐や熱波、寒波が多くなっていて、さらに漁獲や農作物収穫への影響がでてきていた。算譜の更新がされていないために予測が難しく、適切な指示が出せないこともあり、学院によっては、宮廷から苦情を受けることもでてきていた。それは、『マシィナルバタァユ』後に大魔導師が約束していた『星の眼』による記録の更新がほとんどできなかったからだった。なんとか不備を補いたかった。
……少しでも近付きたかった……でも、俺は少しも近づけない、こんなことでは近づけなかったんだ。
 左手で翠の眼を覆った。
……だから、違うやり方で補うしかない。
 テクノロジイで収集したデェイタ数値を魔力で書き換えて算譜に加える。
 『理《ことわり》』に反するやり方。
 だが、それをやるしかないと眼を閉じた。
 夜更け近くになって、主務所の扉が叩かれた。なにごとかと扉を開けると、ボルトが青ざめて立っていた。
「大変です、リジットモゥビィルを見たというものがいて!」
 エンジュリンが顔を四方に向けた。周囲五十カーセル内にそのような気配はなかった。
 北に二十カーセルほど行った海岸で見たという報告があり、あわてて知らせに来たのだ。リジットモゥビィルを見かけたなど、ありえないはずだったが、ボルトはどうしましょうと眼を赤くし、泣きそうだった。
「北に二十カーセル……いつのことなんだ」
 今日の午後見かけた、上陸して内陸に向かったとのことだった。仕掛けたウサギ獲りの罠を見に行ったものがいて、今さっき、戻ってきて報告してきたのだ。仕掛けるにしても遠すぎるとは思ったものの、疑っていても仕方ないので確認しにいくことにした。
エンジュリンが見に行ってくると外套を拡げて背中に回し、肩で止めた。
「村民を起こして、集会所に集めて、全員いるか確認しろ!」
 確認できたら、帰していいと指示すると、ボルトが了解した。
 村を出て、林を抜け、海岸に出て、岩場を走った。走りにくいが、林の中よりは見通しもよく、海上に不審船がないか、気配を手繰りながら北上した。夜中でもあり、曇っていて星光りもなく、暗闇だ。海の中の変わった気配は感じられない。とにかく、現場に向かってみようと速度を上げた。
 北に二十カーセル強進んだところは、広い砂浜になっていて、緩やかな弓形の入り江だった。入り江の終わりには絶壁の崖になっている。その手前に砂が盛り上がっているようだったので、近付いてみた。細かく砂が盛り上がりっていて帯状になっている。海から上陸して内陸に向かっていた。追いかけていくと、五カーセルほど行ったところで、大きく迂回して、更に北側からまた海に戻っていた。
「どういうことだ……」
 たしかに、この帯状の跡からして、リジットモゥビィルが揚陸舟艇を使って上陸したのだ。だが、今現在、極南島《ウェルイル》で使用している雪上用以外のリジットモゥビィルはないはずだった。
「どこかに、リジットモゥビィルが残っていたのか」
 新たに製造するプラントはもうないのだ。ないはずなのだ。
 それにしても、この奇妙な跡の意味は。
 一度上陸して、また戻っている。
「まさか」
 エンジュリンは、村に戻らなければと走り出してから、これはもう『使う』ところだと、空に飛び上がった。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 26771