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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第2回   序章 異形の少年《ディフェラン》(2)
「おい、エンジュリン!?」
 呼び止めたが、止まらずに行ってしまうので、しかたなく、ふたりも追いかけた。ラトレルがエンジュリンを小声でたしなめた。
「なんで付いていくんだ、逃げようって話してただろう」
 木の扉を開けて薄暗い石段を降りていくイラリアの背中を追いながら、エンジュリンが周囲を見回した。
「面白そうだから」
 ラトレルが呆れて、後ろのリギルトに肩をすくめてみせた。
「いつもの悪い癖だ、なんにでも首を突っ込む」
 リギルトも困った顔でうなずいた。石段は二階分ほどで地下通路に降りた。通路はかなり広く、大勢のヒトでごった返していた。
「おい、砥ぎ師の部屋はどこだ!」「甕(かめ)の水、取り替えてねぇぞ!」「飯はどこで食うんだ!?」「足湯の用意したっけ」
荒々しく怒鳴る筋骨隆々とした大男連中に混って、下働きらしい男や女が忙しそうに走リ回っていた。きょろきょろと見回していたエンジュリンに、何かがぶつかった。ぶつかってひっくり返りそうになった小さな身体をひょいと抱え上げた。
「大丈夫か」
「うん、へいき」
 年のころは六つか七つくらいのまだ幼い男の子だった。
「ルロイ!」
 男の子が呼ばれて、振り返った。
「おとうさん」
 身の丈一九〇ルクはある大柄の男が寄ってきた。大振りの剣を帯び、胸当てと外套を纏っている。黒々とした髭を蓄えた、見るからに武骨な剣士という風貌だった。
鋭い目つきでエンジュリンを見ていたが、エンジュリンがルロイをそっと降ろしたのを見て、目元を緩めた。
「息子が粗相をしたようだ、あいすまん」
 礼儀をわきまえているようで、男が小さく頭を下げた。エンジュリンが首を振った。
「このヒトゴミだ、子どもの手は離さないようにしたほうがいい」
 ルロイの手を男の方に差し出した。男が小さな手を握り、また首を折った。
「言われるとおりだ、気をつける」
 男はさっと肩を回してルロイと来た方向に戻っていった。遠くからイラリアが呼ぶ声がして、エンジュリンも肩を回した。
 しばらく歩いていくと、ヒトの行き交いもまばらになってきた。両脇に木の扉がいくつもあり、木札が掛かっていた。イラリアは、『五五八』と書かれた札の部屋の扉を押した。
「さあ、お入り」
 遠慮しないでと三人を招きいれた。中は角形のテーブルと椅子が四脚、窓はなく、隅に甕がひとつと流し場があり、奥に扉があった。座ってと勧められ、椅子に掛けていると、イラリアが木の杯に甕の水を入れて持って来た。
 にこにこと機嫌よく杯を配っているイラリアに、ラトレルが尋ねた。
「ところで……なんで、わたしたちを……」
 イラリアが、あははと笑った。
「なんでって、あんたたち、スァンバァタァユで、一儲けしようって潜りこもうとしたんだろ? あたしに任せておきな、稼がせてやるから」
 スァンバァタァユとは、ならず者や軍人崩れ、匪賊などが剣や格闘で戦い、どちらが勝つか、金を賭ける賭博だ。
「いや、ちがっ……うぐっ!」
 違うと言いかけたラトレルの口をエンジュリンが塞いだ。
「稼げるのか」
 イラリアがにやっと笑って、エンジュリンの顔を覗き込んだ。
「ああ、あんたなら、勝っても負けても、出るだけで、稼げるよ」
 丁度若くていい男を捜していたんだよとうれしそうに水を飲んだ。
「それにしても、変わってるね、右と左の眼の色が違うなんて」
 きっと街中の女どもが見に来るよと艶めかしい目つきで見回した。
「あたしはイラリア、闘技士の世話役やってるんだ。闘技に参加するにも免符もってる世話役が登録しないといけないんだよ」
 知ってたかいと三人を見回した。三人が揃って首を振った。
 免符とはヴラド・ヴ・ラシスが出している許可証で、さまざまな商売をするのに許可証を設けてその申請料を巻き上げているのだ。
「名前教えとくれよ」
 ラトレルが名を偽ろうとしたとき、エンジュリンがイラリアを見つめながら答えた。
「エンジュリン」
 本名名乗るやつがいるかとラトレルが睨み付け、リギルトがぎょっとして仰け反った。
 イラリアが頬を少し赤くした。
「な、なんだい、あたしの顔に何かついてるのかい」
 エンジュリンがいやと首を振った。
「年はいくつくらいかと思って」
 イラリアがムッとした。
「女に年のことなんか、振るんじゃないよ!」
 そっちはと顎でうながされ、ラトレルが疲れたようなため息をついた。
「ラトレルだ」
 残っていたリギルトにさっさと言いなと怒鳴った。
「リギルトです……」
大きな身体を縮こませて小さな声で名乗った。
 イラリアは、さっそく登録しにいってくるからねと言い残して、出て行った。
扉が閉まったと同時に、ラトレルがのんきに水を飲んでいるエンジュリンの襟首を掴んだ。
「なんで本名名乗るんだ!」
 こんなときは偽名だろうと怒ると、エンジュリンがラトレルの手を軽く払いのけた。
「知ってるやつなんかいないだろう」
「それはそうだがやはりまずいぞ。それでなくともおまえは目立つのに」と険しい眼をした。
「早くここから逃げて、調べに行こうよ」
 リギルトが頼むからと拝むように手を合わせた。ラトレルもそうしたいがと腕を組んだ。
「どっちにしても、夜でないと調べられないだろうからな」
 ここで夜まで待とうと扉の方に眼をやった。
 リギルトが背負ってきた大きな袋から堅パンを出して、食べ始めた。腹が減ってしかたないとぼやいている。エンジュリンが立ち上がって、空になった杯に水を注ぎ足してやった。
「あ、ありがと、エンジュ兄さん」
 ラトレルがわたしにはと空の杯を覗き込むようにした。
「自分で入れたら」
 エンジュリンに素っ気無く言われて、ラトレルがガタンと立ち上がって、水甕に寄って行った。
「まったく、おまえは、兄に対して敬意が足りないぞ」
 ちっとも言うこと聞かないしと不機嫌そうに自分で入れた水を飲み干した。肩をすくめたエンジュリンがふっと隣との壁に眼を向けた。
「どうした?」
 ラトレルが見咎めて、近寄った。
「いや、なんでもない」
 ラトレルがすぐ側に立ち、じっとエンジュリンの顔を見つめた。
「まさか『耳を澄まして』るんじゃないだろうな」
「『澄まして』ない」
 本当だろうなと念を押すラトレルにうんうんと何回かうなずいた。リギルトが顔を上げた。
「師匠(せんせい)、なんで、『使うな』って言うんだろう。おかげで何するにもすっごく大変だよ」
 はあとため息をつくリギルトにラトレルが修練だからしかたないと椅子に腰を降ろした。
 しばらくして、イラリアが上機嫌で戻ってきた。
「あんたたち、運がいいよ、明日にも試合に出られるよ」
 丁度対戦相手を探している試合があって、これこれこういう闘技士だと言うと、すぐに決まったらしい。
「腕がどれくらいか、わからないのにいいのか?」
 ラトレルが呆れていると、イラリアがまた大口を開けて笑った。
「いいんだよ、別に負けてもさ、闘技料は出るんだから」
 それじゃあ、夕飯の買出しに行くからとエンジュリンに付いて来るよう手招いた。
「あちこち、顔見世して来なきゃね」
 あんたは荷物持ちについておいでとリギルトを指差した。
「わたしは」
 ラトレルが尋ねると留守番していなと言われた。なんでだと怒っているラトレルを置いて、イラリアがふたりを連れて、闘技場の外に出た。


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