もうすぐ、おじさまが迎えに来てくれる、ここから連れ出してくれる。 そう思うと、アスィエは、うれしくてたまらなかった。 アスィエは、インクワィアの最後の世代だ。母方の祖母で三者協議会《デリベラスィオン》議員であるファンティア大教授が、アスィエの診療簿デェイタを改ざんし、生まれつき心疾患があるとして、キャピタァルに残留させていた。 父親はリィイヴ、母親はティスラァネ、両親共にメェイユゥル(優秀種)という極めて稀な『組み合わせ』が実現して出来た子どもで、推定数値は、かつて最高頭脳と目されていたジェナイダ、ファランツェリ(リィイヴの旧名)に匹敵するものと思われた。 協議会は、残留がやむをえないインクワィアの子どもたちには、『理(ことわり)』をジェネラルとした教程を組み、教導するようにと指導していて、アスィエもそのような教程で学習するはずだった。ところが、ファンティアは、素子は、母ティスラァネを狂わせ、父方の祖父母を殺し、マシンナートからテクノロジイを奪おうとしている、憎むべき存在と教え込み、地上への嫌悪を植え付けてしまった。不正に気付いた父リィイヴ議長は、即日南方大島の総帥夫妻に預けるよう指示し、嫌がるのもかまわず、地上に送った。 父とはほとんど会ったことはなかった。娘に会いに来ることもなく、心を病んでしまった母を見舞いにも来なかった。冷たいヒトだと思っていた。素子のいいなりになって、しかも素子の女を恋人にするなんて、けがわしいと嫌悪していた。 「お父様なんて、大っ嫌い、おじさまがお父様だったら、よかったのに」 シリィの男が襲ってくるといけないのでとシュティンの小屋で一晩過ごし、翌日の昼に着替えを取りに自分の小屋に戻った。早く迎えに来てくれないかと逸る気持ちがあって、海を見に行った。沖合いにその姿が見えないかと眼を凝らしていると、がさっと音がした。 「あ、あなた」 あのシリィの男だった。襲われると、おののいて後ろに後ずさった。 「来ないで」 足元が危ういが、かまわずに下がった。男が手を伸ばしてきて、捕まえようとした。 「動くな」 首を振って、その手を避けようと仰け反った。 「きゃぁっ!」 ずるっと足を滑らせて、崖の上から落ちた。白い波が岩に当たり、飛沫が飛び散っている。 落ちる! 思わず眼をつぶった。そのとき、身体がふわっと浮き上がるような感じがして、海面に達する寸前、風が巻き起こり、飛び上がっていた。 眼を開けたアスィエが言葉を失い、灰色の瞳を見張った。すぐに崖の上に上がり、降ろされた。震えが止まらない。 「あなた……そ……し……」 頭を抱えて、悲鳴を上げた。 「きゃぁぁっ!」 腕を掴まれたが、振り払って、叫んだ。 「触らないで!」 素子が手を離した。涙に濡れた顔を上げて睨んだ。 「わたしは、絶対あなたがたを許さない! おばあさまやおじいさまを殺して、おかあさまを狂わせて! わたしをこんなところに連れてきて!」 二度と近寄らないで!と村に駆け戻った。 もう着替えを取りに行ったことも忘れて、井戸で水を汲んでいたシュティンに泣きながら抱きついた。シュティンが驚いて、釣瓶を落として、抱きとめた。 「アスィエ様、どうしました!?」 ガタガタと震えている身体を抱えるようにして、小屋に入った。まさか、シリィの男に乱暴されたのかと青ざめていると、アスィエがふところから袋を出した。 「早くおじさまに連絡して、あのシリィ、素子よ! 素子なの!」 えっと息を飲み、きょろきょろと辺りを見回していた。 「まさか、脱出計画がばれたとか……」 なんとか、アスィエだけでも連れ出してもらわなければと床下で小箱を叩いた。すぐに返信が来なかった。さすがに素子が近くにいては、難しいと困っているのかもしれない。村から離れたところまで逃げていくから、拾ってもらえないかと電文を送りなおした。 部下たちはじめ、何人かが小屋に集まってきた。主務所近くを見張らせていて、変わったことがあったら、報告するようにと指示していた。素子は、主務所隣のボルトの小屋にいるようだった。 陽が落ちてしばらくしてから、シュティンの小屋の扉が叩かれ、窓から外をうかがうと、教導師のルイゼが鍋を持っていた。部下に開けるよう、顎で示し、了解した部下が警戒しながらそっと扉を開けた。 「なんの用だ」 ルイゼが鍋を差し出した。 「アスィエに食べさせてください。あなたがたも相伴していいですよ」 こんなもの食べさせられるかと部下が鍋を取り上げようとした。叩きつけようとしたのがわかり、ルイゼがさっと鍋を引っ込めた。 「わかりました、もういいです」 そのまま鍋を持って立ち去った。シュティンが後をつけるよう言いつけ、部下のひとりがそっと追った。ルイゼは、ボルトの小屋に入っていった。 窓の下に潜んで覗き込むと、素子の男がルイゼから鍋を受け取っていた。 「そうか、うまいと思うんだが」 魚と貝から出た濃厚な旨みのスゥウプ、海藻や青菜で彩りも滋養もある鍋だった。ルイゼが前掛けで顔を覆った。 「泣かないでくれ、おまえは充分やった。おまえで無理なら、ほかの誰がやっても無理だろう」 ルイゼが深くお辞儀をしていた。 鍋を温めなおして、三人で夕飯を食べ、ルイゼは小屋に戻っていった。 その夜中、ようやく返信が来た。
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