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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第18回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(6)
 あのときから、五年経った。しかし、三者協議会《デリベラスィオン》の計画には前進がほとんど見られず、ただいたずらに日々を重ねているだけになっていた。
 極北の海に近い二の大陸北海岸は、晴れる日が少なく、もちろん、日照時間も少ない。農耕には向かない地域だが、それでも、ライ麦や芋、豆類ならば収穫することはできる。
 ボストは、監視官の仕事をしながら、自分の畑で芋と豆を作っていた。朝の手入れを済ませて、主務所に顔を出すと、エンジュリンはいなかった。どうしたのかと外に出たところに、エンジュリンが野草を手に戻ってきた。
「朝飯はまだか」
 これから準備しますというので、卵でとじるといいと野草を渡した。香草や薬草などの野草は毒をもったものとの区別が難しいので、なかなか摘むことができないでいた。
香りもよく、身体にもいいと言われ、喜んで仕度をしに、小屋に入っていった。 
 ボストと朝飯をとってから、アスィエの小屋を訪れたが、アスィエはいなかった。ルイゼが、シュティンのところに泊ったようですと暗い顔をしていた。
 五の大陵の訓練村ではルイゼの熱心な教導で、地上での暮らしを受け入れた異端もいて、毋のように慕われていた。ここでなかなか成果が上がらないので、落ち込んでいるようだった。
 鍬を借りて、ライ麦の畑を耕し始めた。春以来手入れしていないようで、かなり固くなっている。袖をまくり、力強く鍬を振るった。
 昼過ぎに、一度手を休め、海岸に向かった。漁師小屋で網のほつれを直し、桶を持って、岩場への急な道を軽やかに駆け降りて行った。
岩場の少し入り込んだところに、小船が繋がっていて、波に揺れていた。その小船をぐいっと海に押し出し飛び乗って、櫓で漕ぎ出した。少し波があったが、力強く漕いでいるので、沖に向かって進んでいく。じっと海中を見つめ、魚影を見つけて、小船を止め、網を投じた。ぐいっと引き上げると、網の中に何匹か魚が掛かっていた。海水を入れた桶に魚を入れ、何回かすると、手桶は大小さまざまな魚で一杯になった。
岸に戻って、岩場の間を見て回り、潮溜まりで貝を採り、海藻を摘んだ。
 たっぷりと魚や貝、海藻を入れた桶を抱えて、来たときと同じように軽やかに崖沿いの道を駆け上っていく。途中で崖上にヒト気を感じた。
……アスィエ……
 その気配の主がわかって、胸がドキドキしてきて、身体が熱くなってきた。
上まで登り切ったが、小屋の側にはアスィエの姿はなく、桶や網を置いて、小屋の裏側に回った。風に二つに結んだ髪の束を靡かせて、崖の突端にアスィエが立っていた。海の彼方を見ているその後ろ姿を見つめているうちに、気持ちが昂ぶって、思わず足を踏み出し、草を踏んでいた。その音に気が付いて、アスィエが振り返った。
「あ、あなた」
 おののいて後ろに後ずさった。
「来ないで」
 その足元が危ういので、手を伸ばした。
「動くな」
 だが、アスィエは首を振って、その手を避けようと仰け反った。
「きゃぁっ!」
 ずるっと足を滑らせ、姿が消えた。エンジュリンがヒトならぬ速さで手を差し伸べたが、すでに崖から落ちていた。崖から落ちるその身体を抱き上げ、海面に達する寸前、ぶわっと風を噴出し、飛び上がった。
 アスィエが言葉を失い、灰色の瞳を見張った。すぐに崖の上に上がり、降ろすと、アスィエがガタガタと震えた。
「あなた……そ……し……」
 頭を抱えて、悲鳴を上げた。
「きゃぁぁっ!」
 落ち着けと腕を掴んだが、振り払って、叫んだ。
「触らないで!」
 エンジュリンが激しい拒絶の波を感じて、手を離した。きっと涙に濡れた顔を上げて睨みつけてきた。
「わたしは、絶対あなたがたを許さない! おばあさまやおじいさまを殺して、おかあさまを狂わせて! わたしをこんなところに連れてきて!」
 二度と近寄らないでと肩を抱きながら村の方角に走り去った。
 エンジュリンは、呆然と立ち尽くした。
 今まで、キャピタァルやバレー・トゥロォワで、同じような拒絶と憎悪の波を感じたことがなかったわけではない。素子を憎んでいるマシンナートはたくさんいる。アスィエもそのひとりだというだけなのに、胸が締め付けられていく。自分のことを何一つ知ってもらっていないのに、素子ということで嫌われるのはたまらなくつらかった。
 桶を持って、村に戻り、主務所の隣の小屋に入った。ボルトが書き物をしていて、エンジュリンに気が付いて、手を止めた。
「エンジュリン様、ラトレル様が主務所に来ています」
 えっとふいをつかれたような声を出した。ラトレルの気配に気が付かなかった。よほど、ぼおっとしていたとしか思えない。そんなにアスィエに嫌われたことに動揺しているとは。自分でも驚いていた。
 桶を厨房に置いて、隣の主務所に入った。
「エンジュリン」
 ラトレルが険しい眼をした。
「どうした、なにかあったのか」
 いつもは飄々とした感じなのに、様子がおかしいと気が付いた。だが、エンジュリンは、いや、なんでもないと頭を振り、椅子に掛けた。
「ウティレ=ユハニの学院に行ってきた」
 師匠から追補の伝書が来て、訓練村への決まり以外での支援についての調書をとれということだった。
 事情聴取してみると、監視官ボルトの要請を受け、現状調査もほとんどせずに支援物資を送っていた。三者協議会からの異端対策補助金がほとんど使われないまま繰り越されていたので、それを使えば問題はないと思ったらしい。
「ユリエン学院長もボルトの要請書を鵜呑みしていたと恐縮していた」
 要請書の写しを見せた。村民のほとんどが体調不良で、農作がままならず、収穫が望めないと書かれていた。
「そっちはどうなんだ、わかったのか」
 わかったとうなずいた。誰なんだと促すと、小さな声でつぶやいた。
「アスィエ」
 ラトレルが眼を見張ってから、口に拳をつけた。
「アスィエって、リィイヴ議長の娘の……てっきり南方大島にいるのかと思った」
 『マシィナルバタァユ』直後、五歳までのインクワイァは、強制的に地上に連れて行き、子どもを欲しがっている夫婦に養子に出した。六歳から十歳までのインクワィアは、地上に出ることを希望した一部のワァカァとともに五の大陸の訓練村で研修を受けることとなった。ルイゼはその訓練村にいたのだ。身体的に疾患のある子どもについては、メディカルテクノロジイによる治療が必要なので、残留することを許可された。
インクワィアの子どもたちを地上に連れて行くことは、指導者層としての責任を取れとの大魔導師の命令のひとつだった。もちろん、かなりの抵抗があったが、あまりに強硬に抵抗するものは、収容所か病棟に送られていた。
「たしか、ファンティア議員が診療簿のデェイタを改ざんして、心疾患があるように見せかけたんだったよな」
 五年前に発覚し、リィイヴ議長が、南方大島のアルリカ総帥夫妻に預け、そこで暮らしていたはずだった。
「二年前、ここに移動してきた」
 南方大島からここに移った経緯は聞いていなかったが、あの様子からして、ほかのものへの影響を考えて、隔離し教導するつもりだったのだろう。
「誰が渡したのかは」
 しばらく下を向いていたが、わかったと答えた。誰だと身を乗り出したラトレルに知らない顔だとエンジュリンが要請書の写しを返してから、紙をくれと手を出した。
 ラトレルが主務所の壁棚から紙と羽ペン、インク壺を持ってきた。エンジュリンが描き出したのを見て、ラトレルが次第に顔を強張らせた。
「おい、エンジュリン」
 書き上がった紙を指で摘みあげて、詰め寄った。
「あいかわらず、へただな、これじゃあ、さっぱりわからないぞ」
 おおむね顔の輪郭と思われる楕円形と眼、鼻、口、耳、髪らしき線が描かれているだけだった。
「こういう顔だった」
 アスィエを抱き上げたときに頭の中にその男が小箱を渡すのが視えたのだ。
 ラトレルがうーんと困った。エンジュリンは、地図や建物の図などは寸分の違いもなく緻密に書き上げるし、文字の筆致はとても美しいのに、ヒトや獣の絵となると、赤ん坊並になるのだ。
「わかった、ふつうに描かせたわたしが悪かった」
 魔力で描けと裏返した。魔力ならば、まともな絵になることはわかっていた。『使って』いいのかと言われて、調査に必要だからいいと突き出した。
 そういえば、さっき、とっさに『使って』いた。あれは使うところだからいいかと羽ペンを光らせて描き出した。
 仕上がった絵を見て、ラトレルも覚えのない顔だと考え込んだ。
「これをヴァシル先導師(せんせい)に描き直してもらって、画像をキャピタァルに送信しよう」
 このままでは、魔導師でなければ、この絵を見ることができない。ふつうに描き直さなければ、マシンナートたちに見せることができないのだ。
 三者協議会の議員でもある魔導師ヴァシルは、絵心があって、とても上手だった。三者協議会の中に、いくつかの委員会が設置されていて、そのひとつであるユラニオゥム監視委員会の派遣で、四の大陸のユラニオウム精製棟《ユラニス・カトリイェエム》に滞在しているはずだった。キャピタァルやバレーの動力源はまだまだユラニオゥムに頼らざるを得ないため、精製棟での精製は必要だった。
 すぐに行ってくるから引き続き監視していろと言われて、黙ってうなずいた。ラトレルが、折り畳んだ紙をふところに入れた。
「エンジュリン、おまえはなにかあるとけっこう顔に出る。ラキャテシオン領主のときも、うろたえてただろう」
 エンジュリンが戸惑った顔を上げた。
「あれは……」
 ラトレルがため息をついた。
「わたしだって、お父様のことは……」
 つらいんだぞと目を伏せて、背を向けた。
「兄さん」
 でもと振り返った。
「きっと、戻ってきてくれるって信じてる。きっと、お母様とおまえのところに、戻ってくるから」
 エンジュリンが眼を細めた。
「母さんと俺と、兄さんのところにだ」
 ラトレルが口元に寂しそうな笑みを浮かべ、主務所を出ていった。


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