レヴァードは、エンジュリンを十二階居住区にある自室に連れて行った。エレベェエタァで降りる途中、小箱で子ども用のつなぎ服や下着、靴などを頼み、職員に届けてもらっていた。着替えるようにと渡すと、エンジュリンは寝室で着替え終えて、居間に出てきてすぐに窓に近付いた。 「どうした」 レヴァードが横に立って、窓の外を見た。なんでもないとつぶやいたエンジュリンが、レヴァードを見上げてきた。 「レヴァード、俺はあなたが止めてくれたから生まれてくることができた」 レヴァードがはっと眼を見張って、エンジュリンを見つめた。顔つきは記録ビデェオに残っていた父親に似ていたが、青い眼のあたりは母親に似ていた。 「ありがとう」 あなたと会えたら言おうと思ってたと、エンジュリンが手を握ってきた。 かつて、わずかな間だったが、エンジュリンの母親たちと『空の船(バトゥシェル)』で一緒に過ごしていたことを思い出し、胸が締め付けられた。 「まさか、おまえに礼を言われるとは思わなかった」 父親に教えてもらったのかと尋ねると、首を振った。 「父さんが書いた記録誌を読んだ」 そうかと寂しそうに笑うレヴァードの手をぐっと握った。 レヴァードの心に浮かび上がってきた母ティセアの顔。美しく気高く、そして幸せいっぱいの笑顔だった。 レヴァードから母への想いの波が伝わってきた。 ……ああ、これ、この気持ち…… さっきの女の子に感じた気持ちに似てる。 「『空の船』に帰りたいんだな」 エンジュリンの言葉にレヴァードがうなずき、黒髪の頭に手を置いて撫でた。 「でも、まだ当分無理そうだ」 レヴァードの辛さが伝わってきた。エンジュリンが足元の床を蹴り、浮き上がって、レヴァードの首に腕を巻きつけて抱きついた。 「エンジュリン?」 戸惑いながら、レヴァードが抱き止めた。 「みんな、待ってるから」 エンジュリンの身体から温かい光が溢れてきて、レヴァードを包み込んだ。 「陽の光を浴びているみたいだ」 気持ちいいなと眼を閉じた。生きているうちに『空の船』に戻りたいと心から願った。
中央統制塔二十三階の議長室から地下にある中枢《サントォオル》に降りたリィイヴが、手を伸ばして、小箱を認識盤に押し当てた。ピッと音がして扉が開き、天井が黒いドーム型の部屋に入った。 「議長」 四、五名いた当直の担当官が席に座ったまま、頭を下げた。アートランは、部屋の中央にある、丸く階段状になっている総指令席の前に立っていた。 「姉さん、もう出発したのか」 明日かと思ったと肩をすくめた。少し顔を赤くしたリィイヴが、総司令席に近付き、担当官が寄越した耳覆いを掛け、口元に細い管を近づけた。 「正面に網《レゾゥ》図を投影して」 耳覆いから了解する声が聞こえてきて、正面の大型モニタァに地上の地図が表示された。南半球のある位置から、白い光を中心に円が出てきて、モニタァの地図上を覆っていく。 「南天の星《エテゥワルオストラル》、有効圏内」 アートランが腕組みしてつぶやいた。その声が耳覆いに届いていたリィイヴがうなずいた。次に地図上の北半球のある位置から、青い光を中心に円が出てきて、やはり、地図上を覆っていった。 「北天の星《エテゥワルノオォル》、有効圏内」 その白円と青円が重なり合い、五大陸のほとんどを覆い尽くしたが、一部は覆えないところがあった。運行システムは順調だとアートランが指で示した。 「だが、どうしても、極北海と極南島《ウェルイル》の一部、ジガンテクスメェエル(巨大大洋)が抜けてしまう」 アートランが指をパチンと弾いた。担当官が肩越しに振り返り、うなずいて、ボォウドを操作した。この惑星の半分以上を覆っている巨大な海域ジガンテクスメェエルの上に橙色の光が出てきて、円が描かれていく。 「中天の星《エテゥワルサァアントラル》の仮想有効圏内だ。これを稼動させれば、全惑星上を掌握できる」 リィイヴが顎に指をつけて、モニタァを見上げながら、考え込んだ。 「そこまでする必要はないと思う。現状で運用していこう」 これ以上、新しくテクノロジイリザルトを造ることはしたくないと首を振って、後方にある作戦机に向かった。四角い大きな机にはいくつもモニタァが置かれていた。 並んで腰掛けたふたりに、ワァカァの職員が、カファの杯を運んできた。アートランが受け取り、口を付けた。 「他の連中にも飲ませてやれ」 職員が了解して、給湯所に向かった。 「エンジュリン、どうして連れてきたの」 こんなところにと不愉快そうに言うリィイヴに、アートランが手元のボォウドを動かした。 モニタァに第一階層の様子が映し出された。監視キャメラが切り替わり、中央統制塔から出てきたモゥビィルを捕らえた。次々に監視キャメラが追いかけていく。モゥビィルには、レヴァードとエンジュリンが乗っていた。 「あいつには、協議会の議員になってもらわないといけないからな、ここでテクノロジイについて教える」 もっとも教えることはほとんどないだろうけどなと、楽しそうに話しているふたりの映像を見つめた。 「教えることはないって?」 自分の前のモニタァにも同じ映像が映し出されていたので、そちらを見ていたリィイヴが尋ねた。 「おそらくだが、仮面が生まれる前からテクノロジイのことを書き込んでいたみたいだ」 ここにと指で頭をくいっと示した。リィイヴがそうなのと険しく目を細めた。 キャピタァルに来る前に、エトルヴェール島の地下中央管制室で事前レクチャーをしようとしたところ、ほとんど教えることなくタァウミナルの操作をこなし、ジェネラル(一般知識)は完璧、コォオドに関する知識はメェイユゥル(優秀種)レェベェルだった。 アートランが髪に指を掻きいれ、じりっと頭皮をこすった。 「テクノロジイを捨てさせるには何年掛かるかわからないから、俺たちがいなくなった後のことも考えなくてはいけない」 「いなくなった後って」 もちろん、死んだ後のことさと椅子に背中を預け、両足を作戦机にどかっと乗せた。 「もっともエンジュリンに後を託しても、まだ足りない。俺とあいつは十四しか違わないからな」 少なくともあと二世代は引き継がないといけないと難しい顔でカファの杯の縁を指でたどった。 「まったく、肝心なときにいなくなる、あいつは」 急にぶるっと震えて、下を向いた。 「アートラン……」 どうしたのかと心配して声を掛けた。長い前髪に隠れて表情は見えなかったが、その頬に一筋の涙が伝っていた。
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