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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第14回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(2)
 ラトレルと別れたエンジュリンは、翌々日の夕方には、北海岸に到着していた。
 北海岸は極北の海に面していて、夏でも胴衣や外套が必要な日があるほどの寒冷地帯だった。北海岸の一帯は、針葉樹林帯が広がっていて、土には腐植が混じっているが、本来は農耕には向かない、痩せた土地柄だ。
 住み着くものは少なく、樹林を切り出し、木材にしたり、炭を作ったりする村が点在する程度であった。
 海岸沿いに東に向かっていくと、鈍色の海と空、白い波が打ち寄せる岩海岸に、木の小屋が見えてきた。海に降りていけそうな岩があるので、漁師小屋のようだった。ヒト気はなく、蔀戸から中を覗くと、魚獲りの網や銛が乱雑に置かれていて、あまり使われていないようだった。
 小屋からは、短い丈の草野原の中に道が伸びていた。ヒトが踏みしだいて出来た道だろう。その道は、ゆるやかに下っていて、その道を辿って、激しい海風で同じ方向に傾いている木々の間を抜けた。
 開けた場所に出た。土が掘り返されていて、畑らしかったが、雑草が生えていて、ところどころに水溜りもあり、手入れはされていない。なにか植わっているかと腰を屈めて、指で土を何箇所か、かき混ぜるようにして調べた。らい麦の種が芽を出さずに腐っていた。
「もったいないことを」
 手入れをすれば、芽が出たはずだ。
畑の中の道を歩いていくと、玉ちしゃがしおれかけていて、さらに進んだところに、小屋が点在していた。
 夏の終わりかけの季節で、この地方では、秋がほとんどなく、すぐに冬になってしまう。日が落ちるのも早い。暮れていく空の下で、夕飯の仕度の頃とあって、小屋の煙突から白い煙が立ち昇っていた。
 小屋のひとつの扉が、いきなり開いて、中から誰か飛び出してきた。
「待ちなさい、アスィエ! なんでわざと鍋を焦がすんです!?」
 飛び出してきたものの背中を女の叱る声が叩いた。
「そんなもの、家畜の餌よ、ヒトが食べるものじゃないわ!」
 答えたのは、茶色の長い髪をふたつに結び、薄青灰色のスカートを履いた十五、六の娘だった。
「きゃっ!?」
 前を見ずに走ってきて、エンジュリンにどすっとぶつかった。
「なに、ぼさっとしてるの、気をつけなさいよ!」
 抱きとめて、見下ろした。
「そっちこそ、前をよく見ろ」
 はっと娘が上を見上げた。
「なに……その……虹彩……」
 追って出てきたのは中年の女で、はっと立ち止まった。娘が、エンジュリンを突き飛ばすようにして離れ、走り去った。ああっと中年の女が肩を落として、エンジュリンに頭を下げた。
「お久しぶりです、エンジュリン様ですよね」
 不思議そうに見上げている女に、顎を引いてから、どうしたと小屋の中に入った。
「見てください、麦粥を焦がしてしまって」
 いくつ鍋をだめにしたかとため息をついた。
「地上の生活に、まったく慣れようとしません、これ以上は難しいかも」
 エンジュリンが焦げた鍋に触れた。
「そうか」
 後で詳しい報告を聞かせてくれと小屋を出て、村の中心にある集会所に向かった。集会所に隣接する主務所の扉を叩いた。中から返事がして、二十代半ばの男が出てきた。
「もしや、エンジュリン様ですか」
 来訪の連絡は来ていると伝書を見せた。ウティレ=ユハニの学院から遣いが運んで来ていた。
 ボストと名乗った男は、元は異端だったが、学院に協力して、異端が地上に慣れるための訓練村の監視官になっていた。さきほどの女は、ルイゼといって学院から派遣されている教導師で、魔力はないが、『理(ことわり)』を教え、地上での生活を指導していた。この村に派遣される前には、五の大陸の同じような訓練村にいて、一時期五の大陸イェルヴィールの学院で修練していたエンジュリンとは顔見知りだった。
「指示通り、家捜しなどはしていません」
 エンジュリンが名簿を見ながらうなずいた。
「協議会《デリベラスィオン》では、出所を探っているが、ピエヴィからではなかった」
 ボストが考え込んでいた。
「となると、やはりバレー・トゥロォワでしょうか」
 エンジュリンが壁に貼られている村の配置図をじっと見つめた。
「全数確認はした。所在が不明なものはなかった」
 だからこそ、ピエヴィではないかなどという話が出たのだ。
「ここからここまでの畑の状態がひどい。どうなってるんだ」
 指で海岸からあの娘の小屋までの畑を示した。ボストがはあとうなだれた。
「そこだけではありません。今年の春頃から、村民たちが、だんだん畑を耕さなくなりました」
 海で漁もしないし、山で山菜や薬草を摘むこともしなくなったので、食料や薬は、ウティレ=ユハニの学院から支援してもらっているという。
「そのこと、協議会《デリベラスィオン》は知ってるのか」
 ボストが困った顔でいえと首を振った。
「支援は凶作や災害の被害があったときと決まっているはずだ」
 でも、このままでは飢え死にしてしまうと肩を震わせた。
 エンジュリンが、急に厨房を貸してくれと頼んだ。ボストが首を傾げていたが、たいした食材がありませんがと隣の小屋に案内した。
 ライ麦と鳥の干し肉、乾燥豆があった。乾燥豆を水に浸してから、外に出た。さきほどの玉ちしゃをふたつほど採り、林に入って、木の根元に生えている小さなきのこを摘んだ。干し肉で出汁を取り、ライ麦ときのこで麦粥を作り、岩塩で味を整えた。出汁を取った後の干し肉を細かく切り、カリカリに焼いて、玉ちしゃを二、三枚皿のように引いた上に、残りを細かく刻み、水で戻した豆と細切りの干し肉、玉ちしゃを混ぜ、酢と油を混ぜたもので和えた。
「たいしたものですね」
 ボルトがひたすら感心していた。そこに、ルイゼがやってきた。ルイゼが、あの娘のことでと話し出した。
「アスィエは、ここに来て、二年になります。わたしは、昨年の末から、世話をするようにと言われて移動して来ました」
 今は休暇のため不在だが、もうひとり男の教導師がいて、ルイゼが来る前はそのものが教導していた。年頃になったこともあり、女の教導師のほうがいいだろうと、わざわざ五の大陸から呼んだのだ。
「シリィの男と結婚させる予定ですが、今のままでは、嫁に出すことができません」
 年頃の男をここに連れてくることも考えているが、ほかの村民が反対しているのだ。
「なにしろ、ここの者たちにとっては、『姫様』のような存在なので」
そのため不埒な真似をする者もいませんがと、ルイゼが悩ましげに首を振った。
「ところで、エンジュリン様、その目は……」
 ルイゼが改まってどうしたのかと尋ねた。
「おまえが知る必要はない」
 ルイゼが失礼しましたと頭を下げた。
 エンジュリンが作り終えた品を器に盛った。
「帰ってきたか」
 これを食べさせたいと盆に乗せた。戻っていると思いますと言うので、一緒に向かった。
 小屋には、灯りが点いていた。扉を開けてすぐ、食卓と椅子があり、右手にかまどと流し、奥に寝室への扉があった。アスィエという娘が、食卓の椅子を窓際に持っていって、座っていた。茶色の二つに束ねた髪を垂らし、じっと外を見ていた。
「アスィエ、こちらに来なさい」
 ルイゼにきつく言われても、アスィエは外を見たまま、動こうとしなかった。エンジュリンが運んできた盆を食卓に置いた。ルイゼが近付き、腕を取って、振り向かせた。
「いいかげんになさい、もうシリィとなることを受け入れなければ」
 アスィエがルイゼの手を振り払い、灰色の目を見張った。
「いやよ、わたしはマシンナートなのよ、それもインクワィア、あなたたちシリィのような愚かな動物とは違うの!」
 早くキャピタァルに返してと立ち上がった。はっと食卓の方に目を向けた。さきほどの虹彩異常のシリィと分かり、険しい眼をした。
「誰なの」
 ルイゼが答えようとしたのを、エンジュリンが手で制し、盆を示した。
「これを食べてみろ」
 アスィエがつかつかと大股で近寄り、いきなり盆をひっくり返した。ガシャンと派手な音がして、料理や皿が食卓や床に散らばった。
「こんなもの、食べたくないわ、出てって」
 ルイゼが手を上げた。ぴしゃっと頬を叩かれて、アスィエが怒りの籠もった眼でにらみ返した。
「そっちが出て行かないなら、わたしが出て行くわ」
 待ちなさいと止めるルイゼを突き飛ばして、小屋を出ていった。床に落ちた料理を手ですくって、皿に入れているエンジュリンに両膝を付いて頭を下げ、声を震わせた。
「もう、わたしでは教導できません……」
 食卓の上を片付けるよう言われて、立ち上がり、小鉢に麦粥を戻した。
「さすがにこれは食べられないな」
 家畜にでもやるようにと言い、明日また改めると主務所に向かった。
 曇った夜空には、星もふたつの月も見えない。主務所の前まで来たとき、いくつもの影に取り囲まれた。その中のひとつが、一歩前に出た。
「おまえのようなシリィに、アスィエ様は渡さない」
 木の棒のようなものを振り上げて、一斉に打ちかかってきた。さっと避け、背後に回ると、あまりの素早さに驚き、あわてて振り向いた。よろよろしながらの打ちかけでは、到底一打も与えることはできない。
「アスィエ様に指一歩触れてみろ! ただじゃすまさないぞ!」
 なんのことだと避けながらも、ひとりひとり、足払いしていく。払われると、悲鳴を上げて、棒を落とし、足を押さえ、うずくまっていった。
「なにしてる、おまえたち!」
 騒ぎに気付いたボストが、主務所から出てきた。
「こいつがアスィエ様の相手なんだろう! そんなこと、許さないからな!」
 うずくまっていた男たちが、土を握って、ボストに投げつけた。次々に投げつけて、罵った。
「学院の『犬』になんかなって、恥知らず!」
 顔に掛かった土を払いながら、ボストが青ざめた。男たちは、互いに肩を貸し合って散っていった。
 主務所の中に入って待っていると、外で顔を洗ってきたボストが戻ってきた。おそらく村民たちは、あなたをアスィエの結婚相手だと思ったのでしょうと眼を腫らしていた。仲間であったものたちから罵られてつらいのだろう。大丈夫かと気遣うと下を向いた。
「なかなか慣れないものです」
 同じ異端であった者のほうが、監視官としてよいだろうという協議会《デリベラスィオン》の判断で赴任しているが、これでは再考したほうがいいかもしれなかった。


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