大河の水は深い翠色に澄み、 そこに飛び遊ぶ水鳥は雪のように白い。 親鳥はひな鳥をいとおしみ、翼の内に守り、 ひな鳥は親鳥を慕い、付き従う。 春には、山や丘が青々と茂り、花は燃え出さんばかり。 秋には花は実を結び、田畑は芳醇な黄金(こがね)となる。 冬の仕打ちを乗り越えて、春の慰めを迎える。 地の恵み、空の雨雫、悠久の四季の流転、 みな、万物の理《ことわり》なり…。
澄みしき青空高く、鷹らしき鳥が悠然と旋回していた。遣い魔かと見上げていたラトレルが、降りてこないので、違ったかとため息をついた。 師匠から『二の大陸北海岸のある村に流布している異端の道具の出所を突き止めるため、自治都市ラキャテシオンを探れ』との指令を受けて、潜り込んだはいいが、エンジュリンのいつもの悪い癖でよけいなことに首を突っ込み、スァンバァタァユ(闘技賭博)で闘技士として戦うはめになり、しかも、探りに失敗して、掴まった挙句、あやうく獣の餌にされそうになり、と散々な目に会った。 それというのも、師匠が、指令遂行のときには魔力を『使うな』と無茶なことを言うからだった。修練のためとわかっているが、それでも、不便なこと、この上なかった。 周囲二カーセルほどの小さな湖の畔にある大きな杉の木の下に腰を降ろし、幹に寄りかかって、伝書を書き始めた。なにしろ、エンジュリンが、勝手に有り金全部飲み食いの支払いに使ってしまったので、旅費が一銭もなくなってしまった。 馬を買うこともできず、ひたすら歩きで北海岸に向かい、沼や池の魚や野ウサギを捕まえ、雑草を摘んで、腹の足しにし、夜は野宿を強いられていた。ウティレ=ユハニの学院に伝書を送り、少し貸してもらおうと思ったのだ。 書き終えて、遣い魔を呼ぼうとしたとき、急に湖からしぶきが飛んできた。 「わっ!」 いきなりだったので、避けられず、伝書はもちろん、頭からずぶ濡れになってしまった。 「なにするんだ!」 立ち上がり、水際まで行くと、すぐ前に素っ裸のエンジュリンがやって来た。 「兄さんも洗え」 服ごと洗ってしまえばいいと、ばしゃばしゃ水をすくって掛けてきた。 「や、やめろっ!」 ラトレルが避けようとしたとき、エンジュリンが濡れてゆるくなっていた岸辺を踏みしめて、ラトレルの足元にずぼっと穴を開けた。体勢を崩して、ラトレルは、バシャァアンと音を立てて、湖の中に落ちた。 「わあ、ラトレル兄さん、おっこちた!」 側で下穿きを洗っていたリギルトがきゃっきゃと赤ん坊のような声で喜んだ。 「なんてことするんだ!」 ラトレルがせっかく書いたのに、濡れてしまった伝書を握り締めて、エンジュリンを睨み付けた。 「水浴びしようって言ってるのに、兄さん、しないから」 ラトレルが岸に上がって、外套を脱いで絞り、木の枝に掛けた。 「わたしはおまえたちのような子どもじゃないんだ、こんなところで裸になれるか」 エンジュリンがへえと感心して見せてから、じゃあ『使って』乾かすのかといじわるを言った。ラトレルがぐっと拳を握って、振り上げたいのを我慢し、背中を向けて、服を脱ぎ始めた。濡れた服を枝に掛け、袋から毛布を出して、包まった。 その間にも、エンジュリンとリギルトは、水を掛け合って遊んでいた。 「ほんとにふたりとも子どもなんだから」 リギルトは、図体は大きいが十二歳で、まだ子どもの年だから、しかたがない。だが、エンジュリンはもう十五なのに、リギルトと一緒になってふざけてばかりなのだ。 「ラトレル兄さん、シリュゥル捕まえたよっ!」 リギルトが大振りのシリュゥルという魚を振り上げていた。ずんぐりむっくりした形で、泥の中に住んでいる、ぬめぬめとした皮の沼魚だった。 「……シリュゥルか……」 臭みを消す香草や香辛料がないので、そのまま焼くしかない。泥臭くて食べにくいと文句を言った。 「食べられるだけいいだろう」 エンジュリンがしらっとしている。誰のせいでこうなったのか。まったく堪えていない。 そのとき、頭の上を影が覆って、日差しを遮った。 エンジュリンが、リギルトを抱きかかえ、湖から飛び出て、岸に降ろした。影は湖に落ち、ドォオンと発破のような音をたてて水柱を立てた。 「なんだ!?」 ラトレルが目を見張って後ずさった。影がヒトならぬ速さでエンジュリンに一直線に向かって来て、拳を光らせて、叩きつけようとする。光の拳が到達する寸前にさっと避けた。次々に拳が繰りだされるが、皮一枚でよけていく。なかなか当たらなくてじれたのか、拳から電光を発した。 「よせっ!」 ラトレルが制止したが、電光はエンジュリンを直撃しようとした。 だが、エンジュリンは、すでに相手のふところに飛び込んでいて、両腕を掴んで水面に押し倒した。大きな水音をたてて浅い水辺に重なり合うようにして倒れた。 「くっそっ、放せ!」 甲高い声は、まだ少年か、離れろと怒鳴った。エンジュリンが顔を近づけようとすると、短い金髪の頭を振って、頭突きを食らわそうとした。ひょいと避け、ぶるぶると震わせている腕をぐいっと底に押し付けた。 「俺にかなうはずないだろう、無駄なこと、やめろ」 足を振り上げて蹴り飛ばそうとしたが、脚の間に身体を挟まれて、身動きできなかった。 「なんで裸なんだっ! へんなものが当たる! どけっ!」 紫がかった青い瞳を見張って、身体を光らせた。ドォオンと衝撃音がして、水柱が立ち、金髪とエンジュリンの黒髪が逆立った。それでも、びくともしないエンジュリンに歯をむき出してうなった。 「くっそ、くそぅ!」 エンジュリンがやれやれとまた顔を近づけた。 「卑怯だぞ、俺は魔力を『使って』ないのに」 ふっと笑って、両手を離した。そのとたん、拳が繰り出されたが、さっと身体を離し、飛びのいた。 「クェリス姉さん、シリュゥル逃しちゃったよ」 リギルトがせっかく獲ったのにとぐずぐず言うので、クェリスが声を荒げた。 「うるさいっ!」 水から上がり、毛布に包まっているラトレルにずんずんと近寄って、ふところから書筒を出して、突き出した。 クェリスは、すらっと背が高く、輝くばかりの金髪を短く刈り込んでいて、顔立ちの整った美しい娘だったが、はっきりと縁取られた大きな紫がかった青い瞳に凶暴な光が宿っていた。 「兄貴からの伝書だ」 「師匠(せんせい)から?」 クェリスは、ラトレルたち三兄弟の師匠の実妹だった。魔力が強いが、気も強く負けず嫌い、幼い頃からどう頑張ってもエンジュリンにかなわなくて、いつも突っかかるのだ。 ラトレルが蓋を開けて、中から出した。 「エンジュリン、北海岸にはおまえだけで行けと書いてある。リギルトはクェリスとカージュに向かい、わたしにはウティレ=ユハニの学院を訪ねろとある」 エンジュリンが手を差し出し、伝書を受け取った。 「カージュ……なにか、あったのか」 極南列島の西海域の島にある施設だった。クェリスが知らないと顔を逸らした。 「クェリス姉さんと行くの……」 リギルトが不安そうだった。クェリスが大きな瞳でぎろっと睨むと、リギルトがびくっとしてエンジュリンの後ろに隠れるようにして、こわいよと大きな身体を縮こませた。エンジュリンがリギルトの頭を撫でた。 「クェリス、リギルトをいじめるなよ」 泣かせたら承知しないからなと睨み返した。 「フン、情けないやつ」 伝書には、リギルトのみ、『使って』いいと追記してあった。 「わたしはまだだめなのか」 ラトレルががっくりしたが、ウティレ=ユハニの王都は一晩もかければ着く。なんとか人心地がつける。 シリュゥルを食ってからじゃないといやだとぐずるリギルトの首根っこを捕まえて、さっさと行くぞとクェリスが飛び上がった。 「いいか、エンジュリン、かならずおまえを倒してやるからな!」 覚悟しておけと言い残して、南に向かって飛び去った。 「何しに来たんだ、クェリス」 伝書だけなら遣い魔でいいのにとラトレルが首をひねった。その時南の空の方から鋭い音がした。エンジュリンが手を上げて何かつかんだ。 「これをもって来たんだろう」 手の中に小さな箱があった。 「それで調べられるのか?」 エンジュリンがふところに入れた。 「村の中なら共有網に入ってくるだろう」 ラトレルが、やっかいだなと北に目をやった。
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