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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第10回   序章 異形の少年《ディフェラン》(10)
「ルロイ……」
 ルロイがサリナスにしがみ付いた。
「おとうさんを殺さないで! お願い!」
 泣きながら訴えてきた。
 もとより殺すつもりはない。剣を引っ込め、貴賓席を振り迎いで、スティシアを睨みつけた。スティシアが声を張った。
「みな、殺してしまいなさい!」
 その声と同時に、北と南、両方の口から兵たちがバラバラッと出て来て、弓を射かけてきた。ピシュンピシュンと音がして、無数の矢が飛んできた。サリナスがルロイをかばって、覆いかぶさった。その背中に何本か矢が刺さった。
「うっ!」
 エンジュリンがラトレルに剣を投げ、自分はサリナスの剣を拾った。剣を受け取ったラトレルが、降り注ぐ矢を切り払って行く。エンジュリンも弾き飛ばしながら、サリナスに近付き、背中の矢を抜いて、立つように腕を取った。
「西側の出入口に行こう」
 走れるかと尋ねると、サリナスがうなずきながらルロイを抱き上げて走り出した。その背中を守るようにエンジュリンが剣を振るいながら続いた。
「西側に逃げろ!」
 ラトレルとリギルトに怒鳴った。すでに西側口に向かっていたふたりは、観客席の最前列に並んだ兵士たちの手のものを見て、立ち止まった。
「火弾だ!」
 火薬を中に詰めた玉に火をつけて、投げ込んできた。西側口の前に投げ込まれ、破裂して、火花が散った。
「くっ、こんなものまで出してくるとは!」
 ラトレルがかいくぐるしかないかと足を踏み出した
「ありったけ、投げ込め!」
 部隊長が叫び、何十も同時に投げ込まれた。
「うわあっ!」
 爆風に飛ばされたサリナスをエンジュリンが抱きとめ、火花のしぶきからかばった。
 そのとき、貴賓席から声がかかった。
「やめろ!」
 その声の主に気付いた部隊長が停止の鐘を叩かせた。ガンガンガンと音がして、火弾の投擲と弓矢の照射が止んだ。
 もうもうと立ち込めた火弾の煙硝が去って、ようやく観客席が見えてきた。
 バルコニー状の貴賓席に、スティシアの腕を掴み、睨むように見下ろしている大柄な人物が立っていた。遠目にもわかるほど、鋭い眼光で、上背もあって堂々とした風貌だった。
「領主様だ!」
 おおっと観客たちが恐れおののくような声を上げた。
 領主が、スティシアを突き放したようだった。スティシアの姿が奥に消え、領主が闘技場に向き直った。
「見世物は終わりだ」
 解散と告げて、立ち去った。
 エンジュリンがサリナスに肩を貸し、北側口に歩き出した。その両脇にラトレルとリギルトが守るようについた。北側口に、将官の装束の男が立っていた。
「その三人、わたしと一緒に来るんだ」
 闘技場のまとめ役にサリナスの治療をするよう命じた。
「エンジュリン……」
 サリナスが申し訳なかったと深く頭を下げた。エンジュリンが片膝をついて、ルロイの頭を撫でた。
「ルロイ、そのうちきっと、かあさん、帰ってくる、それまでとうさんと待ってるんだ」
 ルロイがうんとうなずいた。
 将官の男に促されて、闘技場裏手に用意された馬車に乗った。馬車は城に向かって走っていた。濡れた手ぬぐいを渡され、顔の血をぬぐった。エンジュリンの傷に傷薬を浸した布を当て、包帯をしてくれた。
「城で再尋問ですか」
 ラトレルが向かい側に座っている男に尋ねたが、男は無言のままだった。ほどなく城の裏手門に着き、城内に入り、執務所らしき建物の裏口から中に入った。三階まで上り、長い廊下の突き当たりの重厚な造りの扉の前で止まった。
 男が扉を叩くと、従者が中に入れた。領主の執務室らしく、窓を背にして、大きな机が正面にあり、両脇にふたつづつ副机が並んでいて、壁は書類棚だった。
机の向こうには、凝った造りの椅子があり、領主がどっしりと深く腰掛けていた。従者がみっつ椅子を持って来て、三人の後ろに置いた。
「座れ」
 領主が顎で示した。座りかけたラトレルとリギルトだったが、エンジュリンが座らないのを見て、あわてて腰を上げた。
「座らないのか、別に何も仕掛けてないぞ」
 領主が口元に笑いを浮かべていた。従者がワゴンに茶を入れて運んで来た。渡そうとしたが、三人が立ったままなので、困って立ちすくんだ。
「座れ」
 そうでないと、こいつの仕事ができんと言われ、ようやくエンジュリンが腰掛け、ふたりも続いた。
 従者が小さくお辞儀しながら、皿の上に乗せて茶碗を渡した。最後に領主の前にも茶を置き、部屋の隅に控えた。
 エンジュリンが翠青の双眼でじっと領主を見つめた。領主も鋭い眼光で見据えていた。やがて、皿ごと掲げるようにして、口を付けた。ラトレルとリギルトも口を付け、リギルトがふわぁと息をついた。
「すっごくおいしい」
 ラトレルが肘で突付いてたしなめた。
 領主も茶碗を取り、口に含んだ。ラトレルがすぐに皿に戻して、尋ねた。
「ご領主みずから尋問ですか」
 ラキャテシオン領主アルトゥール。調べに依れば、ヴラド・ヴ・ラシス(商人組合) の前会頭アギス・ラドスの孫だということだった。
 年は三十一。十年前から、この鋳造所の責任者で、自治都市として独立するにあたり、イリン=エルンの大公家の忘れ形見であるスティシアの婿となり、ラキャテシオンの名を継いだ。
「俺は、小細工は嫌いだ、調べたいことがあるなら、直接俺のところに来ればいい」
 ラトレルが『鎌を掛けよう』としているのかと警戒して目を険しくした。
「どこかの宮廷の密偵にしては若すぎる。おそらくは学院のものだろう?」
 アルトゥールが手の平を机に置いた。
「学院のものにしては、間抜けすぎるが、まだ子どものようだしな」
 俺の息子と大して変わらない年だろうと笑った。
 ラトレルがふうと息をついた。
「まともに尋ねても、ご領主のご協力が得られるとは思えませんが」
 そんなことはないぞとアルトゥールが左の肘を机について、拳に顎を乗せた。
「いったい、なにを調べたかったんだ」
 ピエヴィに入り込もうとしていたのだから、異端のことについてだろうと核心を突いてきた。ラトレルがどう切り出して、真義を糺そうかと考えを巡られていると、エンジュリンが茶を飲み干し、従者を手招いて、差し出した。
「おかわりをくれ」
 えっとラトレルが仰け反っていると、さっさと話し出した。
「北海岸のヴレヴィ州のある村で、異端の道具を使っているものがいるという報告があって、その出所を調べている」
 ラトレルが驚いて、エンジュリンの袖を引いた。
「おい、そんなまともに聴くやつがあるか!」
「単刀直入に尋ねたほうが、協力を得られそうだから」
 そんなわけないと叱ると、アルトゥールがくくっと笑った。
「エンジュリンだったか、おまえと話したほうが速そうだな」
 ラトレルが拗ねたように口を尖らして、エンジュリンの耳元でつぶやいた。
「勝手にやれ」
 もう知らないと投げた。
 ヴレヴィ州かとアルトゥールが壁に掛かっている二の大陸の地図に眼をやった。
「どんな道具か知らんが、ここから出るものは鉄や硝子のような原材料だけだ」
 道具など不出だと言い切った。
「あなたが知らないところでということもありうる」
 おかわりをすすりながら、エンジュリンがピエヴィを見せて欲しいと申し出た。アルトゥールは、即答せずに壁に眼を向けた。それと、ピエヴィからの出荷帳簿も検分したいと眼の端で壁を捕らえた。
「裏帳簿も」
 アルトゥールが呆れて肩をすくめた。
「どうせ、隠し事などできはしないが、そんなに道具が持ち出されるのが心配なら、大魔導師が始末に来ればいい」
 全部始末しても、かまわないぞとうそぶいた。
 なぜか、エンジュリンが戸惑った顔を見せた。そうなると、まだ少年の年頃、幼さが出てしまった。腕も度胸もありそうだと見込んでいたアルトゥールが意外そうな顔でエンジュリンを見つめた。ラトレルがすっと前に身を乗り出した。
「使える素材があるうちは、使えというのが、大魔導師の方針です。約束を違えることがないようにしてくだされば、このまま続行できます」
 アルトゥールが席を立ち、壁の書類棚の下にある鍵の掛かった扉の前で膝を付いた。胸に下げている鍵の束から鍵を出して錠を開け、中から分厚い冊子を何冊か取り出した。どさっと机の上に置いた。
「これは三年間分だ、これより前のものは、もう保管庫に行っている」
 そっちも持ってこさせようかというので、この三年間でいいですとラトレルが手に取った。
「さきほど裏帳簿と言っていたが、ピエヴィからの出荷帳簿に関しては裏はない」
 そうですかとラトレルが開いた頁にすばやく視線を滑らせ始めた。下を向いてしまっていたエンジュリンも一冊取り、ラトレルよりも勢いよく、瞬く間に捲り終えた。
「なぜ、魔力を使わなかったんだ」
 使えば、すぐに調べられただろうと呆れていた。この若さで密偵などするのは、特級(魔力を持つ)魔導師だろう。
「それはこちらの都合です、お答えする必要はありません」
 ラトレルは、もう一冊とエンジュリンに差し出した。エンジュリンがそれもすぐに捲り終え、少しして、ラトレルが一冊分終わった。ちらっと横のエンジュリンを見たが、何も問題はないようなので、まとめた。
「帳簿に不審な点はありませんでした」
 お返ししますと差し出した。
「なかなか有効な活用をされているようですね」
 大魔導師との約束である送金の割合も誤魔化していないことを確認した。
 では、行こうかとアルトゥールが従者に外套を持ってこさせた。


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