「どうした」 イージェンが尋ねかけて、気づいた。 「俺に遠慮だったら必要ないからな。飲まなくてもこうして指でかき回せば味はわかる」 ぐるぐると指を回した。その杯をリィイヴが取って、ぐいっと飲み干した。 「おい、なにもそれを飲まなくても」 イージェンが言うと、リィイヴがにこっと笑った。 「あなたがかき回すと、おいしくなるのかなと思って」 ダルウェルが豪快に笑い出した。 「アハハッ!確かにこいつが精錬するとなんでもうまくなるかもしれないな!」 そして、空になった杯にたっぷりと酒を注いでイージェンに突き出した。 「かき回せ」 イージェンがテーブルの下でがっとダルウェルの足を蹴り上げた。 「自分でやれ」 ぶうと膨れてダルウェルが自分でかき回し出した。イージェンがリィイヴの杯に注いだ。 「子どもはいつ生まれるんだ」 ダルウェルが片方の指を折り始めた。 「今年の秋口だな」 イージェンが少し考えてから言った。 「おまえを呼んだのは証言してほしいというのもあるが、カーティア学院長をやってほしいからなんだ。今のうちなら、マレラを連れていけるんじゃないか」 秋口に出産なら、今は身ごもって五、六ヶ月。馬車や船の旅ではないので、それほど負担なく移動できるだろう。ダルウェルが驚いて飲む手を止めてうなった。 「いや、それはそんなに簡単にはいかんだろう。総会が許さないと思うが」 「他の大陸の魔導師ではだめという決まりでもあるのか」 罷免されて野(や)に降りているのだし、たやすく納まると思ったのだ。 「決まりはなかったと思うが、留学ならともかく、他の理由で魔導師が行き来することはほとんどなかったからな。前例がないとか大陸内で対応するようにと言われそうだが」 イージェンが肩で息をした。 「今まで例がないなら、これで作ればいい。とにかくおまえたちを無職のままにするなんてもったいない」 弟子のマレラも級数は低いが特級である。ふたりも放逐して仕事をさせないでいるなど惜しいことなのである。ダルウェルが眼を空に向けた。 「俺としては願ったり叶ったりだから、もし許されるなら、ぜひ引き受けたい。カーティアのことはよく知らんが、生まれた国と思って骨身を惜しまず働くぞ」 魔導師が隠れて動くと、造反とみなされかねない。もともと仕事熱心なあまりに学院や宮廷と揉め、罷免された経緯のある男だった。そのために働きたくても働けない今の状態はダルウェルとしては蛇の生殺し状態なのだ。 イージェンが手ぶくろの手を差し出した。 「おまえならそう言うと思った。苦労すると思うが、国王陛下の側近たちもみんないいやつばかりだ。力を合わせてやってくれ」 ダルウェルがその手ぶくろの手と堅く握り合った。ゆっくりと離した後、ダルウェルが静かに尋ねた。 「その…高地の民は…やはり決まりどおりにしないとならないか…」 イージェンがしばらく考えてから、また酒を満たした杯に指を入れた。 「重病人はほとんど出ていない。ということは、あまり広まらなかったってことだろう。後代への影響については注意が必要だが、決まりどおりにするつもりはない」 イージェンとダルウェルを出会わせたある事件についてのことだった。ダルウェルが心からほっとして、目頭を押さえた。
身内だけの夕卓と言われたので、軽装で国王の居間に向かった。居間への続きの間でイリィが止められ、控えの間に行くよううながされた。ラウドが気遣った。 「よかったら、学院のイージェンたちのところに行っててもいいぞ」 イリィが首を振り、従者とともに控えの間に行った。侍女に導かれて、護衛兵が開けた扉から入った。入り口にふっくらとした中年の女性が立っていた。薄い黄色の筒のようなドレスに、髪をきちんと結い、緑の石で作られた髪飾りと首飾りをつけていた。 「ラウド殿、ようこそ。こちらへどうぞ」 奥の席に国王が座っていた。案内された向かいの席の椅子の横に立った。国王が腰を上げ、何人かいるものたちを紹介した。 「ラウド殿の右にいるのが、第一妃のイリナ、横が第二妃のルーダ、第三妃のソランジュ、左から第三王女アリダ、第四王女ヴァンレンティーズ、そして王太子のヨン・ヴィセン、余の弟のアダンガル」 先ほど迎えてくれたのが第一妃だ。第二妃と第三妃はかなり若い女だった。第三妃など、二十歳前後にしか見えない。王太子はすでに二十代半ばのようだった。第三王女も二十歳は過ぎているだろう。第四王女は十七、八、ラウドより少し年上のようだった。王弟は黒い髭で顔を覆われていて、年はよくわからないが三十くらいか、意外に若いような気もした。値踏みでもするような眼付きでラウドを見ていた。ラウドは片手を胸に当て、深くお辞儀した。 「エスヴェルンの王太子ラウドです。非公式にも係わらず、王室ご一家のおもてなしをいただき、ありがたく存じます」 国王が座るよう言い、みな腰を降ろした。硝子の杯に葡萄酒らしきものが注がれた。杯を持ち、再度立ち上がった。 「エスヴェルン、セラディム両王室に繁栄あらんことを」 国王が杯を掲げ、飲み干した。みなも続いた。ラウドも透明の硝子杯のため、いつものように一口でやめることができず、覚悟して飲み干した。葡萄酒ではなく、別の果物酒だった。口当たりはいいが、酒には違いない。腹から頭にかっと熱が広がった。急いで水を飲んだ。 食卓には色鮮やかな野菜と肉をツンと鼻にくる刺激臭のする香辛料で味付けされたらしい料理が並んでいた。給仕が仕分けたものを皿に入れて、みなの前に置いていく。国王が顎をしゃくると第四王女が立ち上がって、酒瓶を抱え、ラウドの横に立った。 「殿下…どうぞ」 か細い声でラウドの空の杯にぎこちなく注いだ。 「恐れ入ります」 ラウドは飲みたくなかったが、王女に酌をされては飲まないわけにもいかない。少し口をつけた。国王が満足そうに杯を重ねた。王弟のアダンガルが尋ねた。 「ラウド殿はご兄弟はおられないと言うことだが、妾腹の兄弟もいないのか」 きつい香辛料の肉を少しかじっていたラウドがフォークを下げた。 「はい、父王には母以外の妃はおりません。母もわたしがみっつの時になくなりました。他に兄弟はおりません」 そのくらいのことは知っているのではないか。アダンガルのどこか探るような眼が不愉快だった。 第四王女がずっと立っているのに気づいた。酌をしようと待っているのだ。ラウドが従者を呼んだ。 「わたしはあまり酒を飲まないので、もうけっこうだと伝えてくれ」 従者が第四王女ヴァンレンティーズの側に行き、耳元で囁いた。ヴァンレンティーズががっかりした顔で席に戻った。王太子ヨン・ヴィセンは黙々と肉を口に運び食べていた。 「陛下、水の都として名高い王都、とても美しくて驚きました。水の管理はどのようにされているのですか」 海に近く、河川も三本も合流している。嵐などで洪水が起こるのではないかとラウドが尋ねた。国王の代わりにアダンガルが答えた。 「各河川の上流に大きな堰があり、そこの水門と河口までにあるいくつかの水門で調整している。海の嵐はよほど大きなものでないかぎり、堤防が防いでくれているのだが、やはり年に何回かは被害に見舞われる。王宮以外は流されても修復がたやすい萱ぶきや木造の家屋がほとんどで、嵐による被害の場合は国が救済している」 最近の被害について尋ねると昨年の秋の始めに大きな嵐が来て、王都の家屋三割が流されたとのことだった。 「被害者の数は、被害額は…疫病などの蔓延の対策などは、よろしければ」 熱心に尋ねるラウドにアダンガルが眼を険しくした。 「聞いてどうされるのか」 ラウドが頭を下げた。 「政務の勉強中ですので、つい知りたくなって…他意はありません、お許し下さい」 国王がアダンガルに言った。 「後で昨年の洪水の報告書をお見せしたらどうか。公式文書ゆえ、よいのでは」 勉強熱心でよいことだと国王が感心した。アダンガルが不機嫌そうに明日にでも届けさせると了解した。 会話が続かず、食べなれない香辛料のためか、食も進まない。第一妃が途中で気遣った。 「陛下、ラウド殿も旅でお疲れでしょう。そろそろお休みいただいては」 ラウドは助かったと思った。旅の疲れはないが、ここにいるのが疲れていた。国王もお疲れなら休まれよと言ってくれたので、ありがたく挨拶をして部屋を出た。
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