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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第96回   セレンと水の都《オゥリィウーヴ》(2)
「また俺の勝ちだな。ちゃんと修練したのか、ダルウェル」
 イージェンが剣をシュンと一振りしてから、ヴァンに返した。ダルウェルと呼ばれた男。濃い茶色の髪を短く刈り込み、顎髭を生やした精悍な顔付きの男だった。険しくイージェンを見返していた。
 飛ばされた剣を取り、鞘に戻し、イージェンに近づいた。真向かいに立ち、互いに肩を右、左とぶつけあった後、ダルウェルがイージェンに抱きついた。
「伝書を受け取った時さすがに驚いたが、おまえが後継者というのならいろいろと納得が行くというものだ」
 イージェンもダルウェルの背中に腕を回し、抱きしめた。
「だから、俺に負けても恥ずかしくはないって言い訳にする気か?」
 ダルウェルが身体を離し、一瞬呆れた顔をし、急に笑い出した。
「ハハッ、相変わらず口の減らないヤツだな!」
 しかし、すぐに真顔になってイージェンの腕を掴んだ。
「結局師匠の言葉通り、往くべき道に進んだな」
 仮面が顎を引いた。
「ああ、どっぷりつかることになった」
 ダルウェルから離れ、ラウドの前に連れて行った。
「こちらはエスヴェルンの王太子殿下だ」
 ダルウェルが外套を翻しさっと片膝を付いて、拳を胸に当てた。
「ごきげんよう、王太子殿下、キロン=グンドのガーランド王国魔導師ダルウェルです」
 ラウドがダルウェルをしげしげと見た。
「ラウドだ。イージェンは学院とは縁がないと聞いたが、そなたのような旧知の者がいたとは、意外だ」
 イージェンが肩をすくめた。
「こいつは学院長を罷免されたんで、俺と同じもぐりだ」
 ラウドがふっと笑って、ダルウェルの腕を掴んで立つよううながした。ダルウェルが立ち上がり頭を下げた。
「恐縮です、殿下」
「つまりはイージェンと似たもの同士ということか、ということは」
 ラウドが後ろに来ていたサリュースに眼をやった。
「サリュースの悩みの種がまた増えるということだな」
 半ば面白がっているラウドに、サリュースが大きなため息をついた。どんどんイージェンに影響されていく。サリュースには、いいほうの影響とは思えないので、心配ばかりになりそうだった。
船長室で、イージェンがヴァンとリィイヴを除いたものたちを紹介した。
「エスヴェルン学院長サリュース、そっちが弟子のセクル=テゥルフの風エアリア、セレン、殿下の護衛隊隊長イリィ=レン」
 ダルウェルがエアリアとセレンの顔を覗き込んだ。
「おまえが弟子を持つようになるとは、変われば変わるもんだな」
 エアリアが茶を入れて、ダルウェルに渡した。イージェンが尋ねた。
「そういえば、おまえのあの口うるさい弟子、どうして連れてこなかった」
 ダルウェルが茶を飲み、喉を潤してから言いにくそうに口を開いた。
「いや、その…身ごもったので、置いてきた」
 ふたりが互いに憎からず思っていたことを知っていたイージェンが噴き出した。
「弟子に手を出すとはふとどきだな」
 ダルウェルが照れくさそうに頭を掻いた。
「どうせふたりとも学院から放逐されてるし、自分に正直に生きてみようと思ってな」
 イージェンの仮面が窓の外に向いた。
「そうだな、もう俺には縁のないことだが」
 仮面を継げば、ヒトとしての営みをすることはなくなる。ダルウェルが茶碗を皿に戻した。
「すまん。おまえの気持ちを考えなかった」
 ダルウェルはイージェンが好きな女と添い遂げることができなかったことを知っていた。イージェンが首を振った。
「おまえがあやまる必要はない。それに、俺は仮面になったこと、けっこう気に入っているんだ」
 負け惜しみか、強がりか。自分でもわからなかったが、誰もが望んでなれるものではないのだし、どうせあのままなら死んでいたのだ。
「なにしろ、大威張りできるからな。俺が大魔導師になったと知って、アルバロ学院長、今頃震え上がってるだろうな」
 わざと憎々しげに言った。アルバロは、ダルウェルを追い出したガーランド王国の学院長だ。イージェンとも揉めている。ダルウェルも苦笑した。
「あのことの顛末(てんまつ)を俺に証言させたいんだろう?俺としても名誉回復になる。徹底的にやってやろうじゃないか」
 イージェンがうなずいた。
 災厄が増えたと、サリュースが部屋の隅で頭を抱えていたのは言うまでもなかった。
 夕方にはセラディム王国王都に到着するという伝書を学院に向け飛ばし、『空の船』は出発した。

 午後、日が傾く空を進んでいた船のへさきから地上を見下ろしていたラウドが、前方に川か水路に仕切られた街を発見した。急ぎ艦橋に向かい、イージェンに報告しようとした。艦橋にはリィイヴしかいなかった。
「イージェンは?」
 ラウドが尋ねると、椅子に座っていたリィイヴが見ていた書物から顔を上げ、立ち上がった。
「殿下、イージェンは船長室ですよ」
 つかつかと近寄って、リィイヴの見ていた書物を覗き込んだ。
「そなた、この本の内容がわかるのか」
 ラウドにはエアリアが覚えさせられていた書物と同じものだということしか、わからない。
ケミカルはリィイヴが研究していた分野ではなかったが、環境ニュゥメリックの基礎知識はジェネラル(一般知識)として専門分野に進む前に教えられるので、内容についてはだいたいわかる。
「ええ、わかります」
 答えてからしまったと思った。内容を聞かれても答えるわけにはいかない。ラウドが眼を伏せた。
「そうか」
 身体をすばやく回し、艦橋から出て行った。
船長室にはイージェンとエアリア、サリュースがいた。
「水で囲まれた街が見えてきたぞ」
 甲板に出て、へさきから見渡した。
「ほう、見事だな、これが世に名高い水の都オゥリィウーヴか」
 イージェンが感心した。海に注ぐ三本の河川が交わるところに出来た、水路に囲まれた都で、年中温暖な気候の地域だ。海と川の混じる部分は豊かな漁場であり、交通手段は水路を通る小船や漁船、きれいに区画整理された街区は、よく緑が繁り、内外の商人たちや職人たちが多く集う商業都市であり大陸の要所だった。
「きれい…ですね」
 エアリアがつぶやいた。落ち行く夕日の光にきらきらときらめく水路に囲まれた街の景色は確かに美しかった。
「ああ、きれいだな…」
 ラウドが隣でエアリアの横顔を見てうれしそうに眼を細めた。
「船はどうする?」
 サリュースが手すりを掴んで、身を乗り出すようにして下を見回した。水路には荷物を運んでいるらしい細長い船が行きかっている。水路の両脇には店や家などが立ち並んでいて、空飛ぶ船の姿に気づいた民たちが見上げて驚いている。
「この大きさだと水路に降りるのは無理だぞ」
 かといって、王都の上空に停留するのも迷惑な話だろう。
エアリアが何か近寄ってくるものに気づいた。飛んできた影はたちまち、甲板に降り立った。風の渦が外套を纏ったかのようにその姿を隠していたが、シュルンと音がして渦が解かれ、姿が現われた。
白い長衣、頭から白い布を被っていた。伏せていた顔を上げた。年のころは三十半ばくらいか、鼻筋が通っていてはっきりと縁取られた大きな眼の器量のよい女だった。イージェンが近寄った。
 女も近づき、頭を下げた。
「セラディム王国学院長アリュカです。三の大陸ティケアにようこそ」
 イージェンが顔を上げたアリュカを見つめた。
「イージェンだ。仮面を継いだが、今すぐに承認しろというのは無理だろう。経緯や挨拶は総会でする。とりあえず」
 後ろを振り返った。
「この船をどこかに停泊させたい」
 アリュカがイージェンの背後に立つものたちをちらっと見た。
「船は王宮の北側にある湖でしたら、停泊できます。そちらにお願いします」
 王宮の北側の湖を指し示した。中の島もあるかなり大きな湖であった。船は湖に向かって動き出した。イージェンがアリュカにラウドを紹介しようとしたとき、サリュースが前に出てきた。
「アリュカ殿、こちらはエスヴェルン王国王太子殿下だ。失礼のないようおもてなししてくれ」
 アリュカがラウドの前にやってきて、両膝を付いて両手を胸の前で交差させて頭を下げた。
「王太子殿下、セラディム王国学院長アリュカでございます。セラディムは殿下のご来訪、心より歓迎申し上げます」
 ラウドが少しの間見下ろしてから応じた。
「エスヴェルンのラウドだ。大勢で押しかけ、迷惑をかけるが、よろしく頼む」
 立つよううながし、続けた。
「公式な訪問ではないので、大げさにしないでくれ」
 アリュカが立ち上がり顔を上げた。ラウドはその顔に少し驚いた。小柄だが整った顔立ちに要職にあるものの強い意思があった。そしてなにより、どこかで見たような面立ちだった。
「アリュカ、どこかで会ったことはないか」
 思わず聞いていた。イージェンが苦笑した。
「殿下、それは女を口説くときの文句だぞ」
 ラウドが顔を赤らめた。サリュースがイージェンに寄り、小声で言った。
「イージェン、いい加減にしてくれ。殿下にそのような下卑たものの言い方、改めてくれないと」
 ラウドが聞きとがめた。
「サリュース、あらたまった席でならともかく、俺はかまわないぞ」
 アリュカが頭からかぶっていた白い布を肩まで落とした。豊かな銀髪をきっちりと結い上げていた。
「殿下、非公式とはいえ国王陛下へのご挨拶はお願いいたします。すでに殿下のご来訪を報告してしまっていますので」
 ラウドが応じ、着替えると船室に入っていった。サリュースが困った顔でため息をついているのを見て、アリュカが苦笑した。
「サリュース殿、おひさしぶりです。エスヴェルンは安泰ですね、王太子殿下も器が大きいようだし、ヴィルト様の後継者もいて」
 うらやましいことと笑みを零した。サリュースがまたため息をついて自分も国王への挨拶をと着替えに行った。
「俺は総会の後がいいだろう。そのように一言言っておいてくれ」
 イージェンの頼みにアリュカが承知した。エアリアが自分を見ているのに気づいた。
「エアリア殿もおひさしぶりです。最後にお会いしたのは、あなたがみっつの時だから覚えていないでしょうけど」
 エアリアがはっと眼を見開いてお辞儀して船室に入っていった。船はすでに湖に着水するべく降下していた。


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