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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第9回   セレンと風の魔導師(3)
 セレンは、学院の玄関ホールの前で宿舎に戻ろうとエアリアに頭を下げて挨拶した。
「部屋に戻ります」
 ホールへの階段を二、三段上りかけたエアリアが立ち去ろうとしているセレンを止めた。
「待って、買物に行くから、一緒に来て」
 少し待つように言い、ホールに入っていった。待っていると肩から斜めに布鞄を掛けて戻ってきた。付いてくるよう言われたので、黙って後ろから付いて行った。王宮の裏門の広場に来た。ちょうど執務官たちの退庁時間に当たり、乗り合いの定期馬車が動いている。そのひとつに乗り、街に向かった。官舎まで行く馬車だが、途中で降ろしてもらった。市場のすぐそばだった。食料や雑貨、衣料、はては生き物まで様々な商品が並び、食堂もあって、賑やかな出店が両脇に連なっていた。人の行きかいも多く、セレンはなんどかエアリアを見失いそうになってあわてて追いついていた。途中でエアリアがセレンの手を握った。
「迷子になったら困るじゃない、まったく世話が焼けるわね」
 セレンは、厳しくいいながらもお姉さんぶってしっかりと手を握ってくれるエアリアに一緒に売られた年嵩の少女を思い出した。どこに売られていったのか、ふたりとも二度と故郷の村には戻れないだろう。人通りの賑やかさの中でセレンは悲しさを堪えた。
市場から別の通りに入る。そこはきちんとした店構えの商店が並んでいて、そのひとつに入った。そこは紙や筆、ペンなどが並んでいる文具店だった。エアリアが小振りの羽ペンとペン先の箱、紙の束を買った。本屋で何か書物を買い、雑貨の店など回ってから、市場の方に戻った。水売りのところで、布鞄の中から持参した小さな皮袋を出して、水を入れてもらった。市場を抜けたところで腰掛られるような石を見つけ、並んで座った。皮袋をセレンに差し出して飲むよう勧めた。セレンが飲んでいると、エアリアが布鞄から同じような布鞄を出した。その中にさきほど買った羽ペンや紙の束、本屋で買った本を入れた。ぶっきらぼうに差し出した。
「これ、あげるから」
 戸惑っているセレンの膝の上に置いた。
「さっきは悪かったわ。街の幼年学校に通えるように手配するから」
 セレンが驚いて目を見張った。エアリアがつんと横を向いた。
「ヴィルト様の弟子ともあろうものが、読み書きのひとつもできないんじゃ、みっともないでしよ」
 セレンが手元を見て、つぶやいた。
「ぼく…弟子でなくても、小間使いでもいいです、師匠(せんせい)の傍にいられるなら…」
 エアリアがセレンの方を向き、布鞄を取って肩にかけてやった。
「なに、言ってるの。小間使いなんて、女の子じゃないんだから、ヴィルト様が弟子って言ってるんだし、少しがんばんなさい」
 セレンは顔を上げエアリアを見て、小さく頷いた。帰ろうと腰を上げたとき、エアリアが張り詰めたものを感じて、振り返った。近づく人影があった。セレンがその姿を見て、がくがくと震えた。
「どうしたの、セレン?」
 エアリアが尋ねたが、セレンは首を振って震えるだけだった。黒い衣の男が間近にまでやってきた。
「せ、師匠が…追い払ったって…もう二度と来ないって」
 それはあの森の小屋に二度と来ないという意味だったろうと思ったが、あの男の姿にセレンは恐ろしくて身がすくんでいた。男の後ろには馬車の御者もいた。
「こいつ、なんで、こんなところに!」
 御者がセレンを指差した。黒い衣の男が御者に言った。
「おまえ、先に帰ってろ」
 御者があわてて走り去っていく。ただならぬ雰囲気を感じ、エアリアがセレンを後ろに隠すようにして、立ちはだかった。
男はあっという間にふたりの傍までやってきた。その動きはただものではない。エアリアが恫喝した。
「それ以上近づくとただではすまないわよ」
 男が外套を肩に掻きあげ、右の腕を剥き出した。
「どうすまないっていうんだ!」
締まった筋肉がついた右腕をエアリアの頭の上から叩きつけようと振り上げた。とっさにエアリアは両の手のひらに気の壁を発し、頭上にかざした。真剣でさえ跳ね返す壁だ。徒手などたわいもないはずだった。しかし、男の腕が赤く光り出した。気の壁を砕き、エアリアは素手でその棒を受け止めるかたちとなった。
「ああーっ!」
腕は灼熱の棒となっていた。眩しい光を放ち、思わず目をつぶったエアリアの顔を照らした。フードの縁もちりちりと焦げた。
セレンが驚きのあまり気を失った。仰向けに倒れかけたエアリアの外套を男の左手がつかんだ。右手の拳を何度もエアリアの腹に叩き付けた。
「ああっっ!うっっ!」
エアリアは地面に叩きつけられて気が遠くなりかけた。その胸倉を掴んで揺さぶった。
「おっと、まだオネンネしてもらっては困る。…仮面に伝えろ。こいつを返して欲しければ、グルキシャルの神殿跡まで来い。待ってるぞ」
そして、突き放されたとたん、エアリアは気を失った。気が付いたときは日が落ちかけていて、セレンの姿はなかった。手のひらだけにでも薬を塗ろうとなんとか残った力を振り絞って何度か落ちかけながら空を飛び、学院まで戻ってきて力尽きて倒れてしまった。宿舎の傍だったので、リュールが見つけて寄ってきたらしかった。

 話を聞き終えたラウドは、驚きながらも冷静にこの大陸諸国の魔導師を手繰っていた。エアリアが侮ったとはいえ、そこまでの魔力を持つものは見当たらなかった。腹の痛みをこらえてか、身を折るエアリアの前に腕を回した。
「世は広いな。そのような魔導師がいるとは」
その腕にしがみつきかけたエアリアはしかし、思いとどまり、腕を遠慮がちに押しやった。
「しかし、それならば仮面に伝え、あれを行かせたほうが…」
言いかけて、エアリアが激しく首を振っているのでやめた。
「わたしのせいですもの、責任取らなくては。ヴィルト様に申し訳ない…」
泣いているのだと気が付いた。幼いころから気が強く、どんなにつらい修練でもけして涙など見せたことはなかった。ラウドは先程からずっと胸がざわめいていていたが、いっそうざわめきが激しくなった。それを払うかのように言った。
「俺たちはふたりして…セレンに怖い思いをさせてしまったな」
エアリアが肩越しに振り返った。月明かりの下でも瞳が潤んでいるのがわかった。ラウドの胸がきつく締め付けられた。
「なんとか、助け出さなくては。俺も手助けするから」
若気の至りか、立場を忘れてラウドは本気で命を掛けようとしていた。しばらく馬を進めていたが、森に入っていくと、月の光も届かず、ほとんど何も見えなくなってきた。ラウドは大きめの木の幹の傍に野営することにした。静かにエアリアを降ろし、木の幹に寄りかからせた。小枝を集め、焚き火をした。冬ではないので、それほど寒くはないが、獣除けのためだった。エアリアが元気なら、術で囲めばよいのだが、今は無理をさせられなかった。水を飲ませ、堅パンを小さく割って口に運んだ。
「いりません…」
「だめだ、少しでも食べないと」
 少し開けた口に入れた。なんとか飲み込んだ。懐から出した薬を指ですくって頬に近づけた。エアリアが顔を逸らした。
「自分でやりますから」
 ラウドが怒った。
「鏡もないのに、できないだろう!おとなしくしていろ」
 エアリアが目をつぶった。その目の周りと頬、唇の周りへと塗ってやる。その肌は柔らかく弾みがあった。何度か触れる指先が震えてしまった。横たわらせ、毛布を掛けてやった。手ぬぐいを濡らしなおして、顔の上に置いた。
「よく寝るんだ、早く回復しないと術も使えない」
 エアリアは毛布の下で頷いた。ラウドは周囲を一周見回り、焚き火の傍に腰を降ろした。
 エアリアに勝算はあるのか、ただ闇雲に立ち向かって勝てる相手ではなさそうだ。責任を感じているのはわかるが、相手が悪すぎるのではないか。エアリアもセレンも自分も命が危うくなったら…。命が惜しいとは思いたくない。臆病者にはなりたくない。でも、自分が死んだら、王室はどうなる。父王には自分しか子供がいない。この上もなく大事にされていることはわかっている。自分だけの命ではない。そのように考えなければならない王族であることが憎かった。しかし、今はただ、エアリアの思うとおりにしてやりたいという気持ちもあり、定まらぬまま、夜明けを待つことになった。


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