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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第88回   セレンと空の船《バトゥウシエル》(3)
 その声と同時に船が小さく振動し、浮き上がって前進した。前方の暗い洞門に入っていった。空の船はゆっくりと進んでいく。船の手すりについている光の玉の照り返しで洞門の壁がわずかに見えた。洞門は自然の洞窟というのではなく硬い岩盤を刳り貫いたようで壁が滑らかだった。
「この空の船は千三百年ぶりに外に出る」
 暗闇の道の先が小さく粒のように光った。王都から東に五カーセル離れた切り立った谷の腹にある門が開いたのだ。徐々に光の粒が大きくなって目の前が真っ白になった。ラウドが前方の窓に駆け寄った。急に目の前が開けた。
「うわぁ!」
 ラウドが子どものような歓声を上げて、食い入るように見つめた。谷の腹から外に出たのだ。目の前には澄んだ青い空、下には東に広がる緑深い森が広がった。
「へえ…」
 リィイヴやヴァンも感心して眼下の景色を見た。イージェンがみなを呼び寄せ、窓の前に透き幕を出して地図を見せた。五大陸が緑の筋で描かれている地図だった。赤い点が現在の位置であると言った。
「ティケアまでは天候にもよるが一日もあれば着くだろう。総会の会場のセラディム王国王都へはさらに一日。二日で着く。早いもんだろう?」
 サリュースがうなった。
「確かに。わたしたちが飛んでいくより早いかも…。馬や船で乗り継いだら、十五日くらいは掛かるし」
 イージェンがリィイヴに尋ねた。
「リィイヴ、トレイルで走ったとして、エスヴェルン王都から東海岸に最短でどれくらいで行く?」
 リィイヴがびっくりして眼を見開いた。戸惑っていると、ヴァンが言った。
「聞かれてるんだから、答えなきゃ」
 リィイヴが地図を見つめて言った。
「王都から東海岸へは直線距離で約三百カーセル、トレイルで休みなしで全開走行して六時間ですが、それは計算上のことで、実際には十時間以上かかると思います」
 イージェンがうなずいて、地図を拡大し、東海岸とティケアとの間の海のあたりにした。
「馬でなら四日くらいかかる」
 船で順風としてティケアまでは四日、港からセラディム王国王都まで七日。そのくらいの距離だ。ティケアはセクル=テゥルフよりも広大な大陸だった。セラディムの王都は海岸沿いにあるが、セクル=テゥルフからの船が入港できる港はない。
「急いでなければ馬の旅でもよかったが、五大陸の学院長たちをそんなに待たせるわけにもいかないので、こいつを使うことにした」
 イージェンから地図に眼を移したサリュースがむすっとして言った。
「こんな大所帯で行く必要なかったのに。殿下もご静養されていたほうが」
 イージェンが手元の台で手のひらを動かした。地図が天井に移動した。
「こいつを動かしたのは千三百年ぶりだ、あちこち清掃しないといけない。殿下、ヴァン、セレンは甲板を拭き掃除、エアリアとリィイヴは厨房と食堂、サリュースは船長室、きれいにしろよ。イリィは食料を食料庫に運べ」
 サリュースが顔を赤くして言い返した。
「わ、わたしはともかく殿下まで使う気か!無礼な!」
 しかし、当のラウドはセレンからリュールを受け取り、イージェンに渡して、セレンやヴァンたちとさっさと艦橋を出て行った。
「殿下、お待ち下さい、そのようなこと、なさる必要は…」
 追いかけてきたサリュースにラウドが振り向いた。
「サリュース、ちゃんとやらないとイージェンにお仕置きされるぞ」
「殿下…」
 ひとりサリュースを置いて、みなそれぞれ持ち場に向かっていく。しかたなく船長室に向かった。開けたと同時に冷えた空気が廊下に流れてきた。学院長室に置かれているような重厚な机、窓以外は書棚になっていて、書物がぎっちりと並んでいた。イージェンが入ってきて、窓を開けた。風が部屋の中を抜けていく。書棚を示した。
「なかなか貴重な書物ばかりだぞ。おそらく、おまえも見たことがないと思うがどうだ」
 サリュースが書棚に寄り、一冊引き出して開いた。その隣の本も出してみた。
「たしかにこれは…紀元後まもなく書かれたものだ」
 椅子に腰を降ろし熱心に頁をめくり始めた。
「ツヴィルク…四の大陸の大魔導師、シャダイン…二の大陸の大魔導師…著者は大魔導師か」
「ここにあるのはほとんど大魔導師が書いたものだ。魔力でもなくセンティエンス語でもなく、エリュトゥ語で書いてある。紀元前後は、魔力を持つ者は大魔導師しかいなかった。センティエンス語も特級が生まれるようになってから使うようになったんだ」
 サリュースが書物に没頭していくのを見て、イージェンがパンパンと手を叩いた。サリュースがはっと本から顔を上げた。
「先に掃除しろ。書棚も全部。終わったら書物の目録を作れ」
 言い返したいところをこらえて、イージェンが持ってきた木桶と雑巾を受け取った。
「おまえはしないのか」
 少しは言ってやろうと文句を言うと、イージェンが左手で右肩をほぐした。
「夕べ一晩かけて船室を全部掃除した。これから船倉をやってくる」
 サリュースががっくりと肩を落として木桶に雑巾を浸した。
 船倉に下りる前に甲板を覗いた。セレンが雑巾でこわごわと拭き始めていた。その様子にラウドが近寄ってすぐ側に膝を付いた。
「端のほうは俺がやるから、真ん中を拭いていろ」
 ラウドが気遣った。セレンがほっとした顔でうなずいた。端は下が見えるのでこわかったのだ。ヴァンは手馴れた感じで拭き始めている。ラウドが端の手すりの周りを拭き始めた。
 ヴィルトがラウドをことのほか大切にしていたわけだと改めて思った。
厨房ではエアリアとリィイヴが食器や道具を洗っていた。扉をコンコンと叩いた。ふたりが手を止めて振り返った。
「終わったら、エアリアはサリュースを手伝え。リィイヴは俺と船倉清掃、夕方になったら夕飯の支度をふたりでしろ」
 ふたりはうなずいた。イージェンが立ち去ってから、リィイヴが肩をすくめた。
「ヒト使い荒いね」
 エアリアが扉口を振り返った。
「そうですね。でも、なんでも修練ですから。鍛えていただいていると思ってます」
 リィイヴが困ったような顔でエアリアが洗った皿を拭いた。
「君たち魔導師さんたちはそれでいいだろうけど、ぼくやヴァンはこき使われてるって感じだよ」
 エアリアがきれいな目を見張った。
「働かないと追い出されますよ?」
 リィイヴがにこっと笑った。
「わかってるよ。冗談、冗談」
 エアリアも笑い返した。ふと気になって尋ねた。
「リィイヴさんやヴァンさんは魔力を信じるんですか?マシンナートたちは信じないはずですけど」
 リィイヴが後ろの食器棚を拭き始めた。
「確かに魔力は、ぼくたちが知っている理論では説明できない、説明できないものは認められないということになっているけど」
 エアリアが首だけ巡らせて、リィイヴの背中を見た。
「魔力の存在とその威力は、ぼくたちの先祖は嫌ってほど知らされている。『もぐら』のように陽の当たらない場所で隠れて生きていかなくてはならなくなったから」
 雑巾を洗って別の段を拭きながら続けた。
「評議会や大教授連中はなんとか証明できないものかとは思っているけれど魔力を証明する理論は見つけられないままなんだ」
 エアリアは、皿や茶碗を洗いながら聞いていた。
「ぼくは目の前で見たし、恐ろしさも知った。だから魔力を信じる。畏敬の念すら抱いているよ」
 リィイヴが拭き終わった皿を食器棚に納めていった。
「君も魔導師だけど」
 リィイヴがエアリアの横顔を見つめた。視線に気づいて、横に眼を向けた。灰色の眼がまっすぐに向けられていた。
「恐ろしいというよりかわいい、とても」
 エアリアが耳まで真っ赤になってあわてて目を逸らした。
 急いで終わらせ食堂もざっと清掃し、厨房を出た。船長室を通り越して甲板を覗いた。広い甲板の半分まで終わらせたラウドたちが船尾に行ってしまって、船首の方には誰もいなかった。
 かわいいなどと言われたのは初めてだった。ラウドとはお互い想い合っていることはわかっているが、なにか、自分のことをはっきりと言われたことはなかった。イージェンに器量がいいとからかわれたことはあったが、何故昨日今日知ったばかりのヒトにそんなことを言われたくらいで心が乱れるのかわからなかった。
 船長室ではサリュースがまだ書棚も拭き終わっていなかった。エアリアが手助けに来たと知り喜んだ。
「よかった、書物が多くて、棚から出すのが大変なんだ」
 サリュースの要領が悪くて進んでいないようしか見えなかった。内心呆れながらも夕方食事を作るまでに済ませないとと、急ぎ取り掛かった。


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