宿舎のセレンの部屋に連れて行き、ベッドに寝かせた。靴だけ脱がしてやり、毛布を掛けてそっと出て行った。 セレンはぐっすりと眠った。夢を見ることもなく。 何かを感じて起きた。暖かなぬくもり。誰かが添寝してくれているのだと思った。 フィーリさん…? うっすらと眼を開けた。空よりも海よりも青いセレンの瞳に灰色の仮面が映った。手ぶくろをした手がセレンの髪を撫でた。 「ヴィルトさ…ま…?」 静かに見下ろしているその仮面。抱き締められた。暖かく、優しく…そして、力強い…。 違う。違うような気がする。このぬくもりは。 「…師匠(せんせい)…?」 「セレン」 イージェンだ。この声。セレンは急に動いて、両腕を背中に回すようにしてしがみついた。 「師匠!なんでぼくを連れて行ってくれなかっ…たの…!」 身体を震わせて泣き叫んだ。 「捨てられたと思った、ぼくは、いっしょに…いたかっ…たのに!」 窓から差し込む月光が仮面に影を作った。震える背中を擦った。 「…俺も一緒にいたかった、でも、あんなところに…連れて行かなくてよかった」 セレンが抱きついたまま言った。 「もう黙って置いていかないでください」 「ああ、もう黙って行かない。どこか行くときは連れて行くか、置いていくにしても訳を話す」 セレンがやっと涙に濡れた顔を上げた。仮面をしげしげと見つめた。 「ヴィルト様と同じになったんですか」 大魔導師の意味がセレンにわかるはずもないが、仮面を被り手ぶくろをして肌を見せない姿となったことを言っているのだろう。 「ああ、ヴィルトから仮面を継いだ。…ヴィルトは亡くなった」 セレンの身体が硬くなった。そして、また抱き締めてやると、ひきつけたように泣いた。 セレンはそのまま泣きながら寝入ってしまった。イージェンはベッドから降り、窓から外に出た。窓の下にヴァンとリィイヴが潜んでいた。ヴァンが部屋の中を覗き込んだ。 「よかった、セレン、無事で」 ヴァンが嬉しそうに言った。イージェンがふたりに来るよう手を振った。 イージェンたちは、ルシャ・ダウナとの国境山脈からレアンの軍港に戻り、ふたりの服を調達し、着替えさせて連れてきた。 真夜中、王宮はひっそりと寝静まっている。学院の扉を開けた。 広間も静まり返っている。学院長室に向かった。学院長室からは灯りが漏れていた。扉の前に立ち、取っ手に手を掛けようとした。その前にキィと音がして扉が開き、扉の間からエアリアが顔を出した。 「…イージェン殿?」 だが、その顔を見て息を飲み、こわばった顔で後ずさった。扉を押し開けて入ってきたものを見て、学院長席に座っていたクリンスが立ち上がった。 「ヴィルト様…お戻りになったんですか」 エアリアがよろよろと歩み寄った。 「まさか…継がれたのですか…」 仮面が首を折るのを見て、震えた。クリンスが穴が開くほどに見つめて椅子から離れ、少し近寄った。 「ヴィルト様…ではないのか?」 「ああ、イージェンだ。おまえとは一度会ったな、王太子殿下たちを引き渡しに行ったときに」 クリンスがよろけて、机の角にぶつかった。イージェンがさっさと動き、学院長席に座った。 「まあ、座れ、おまえたちも」 エアリアとクリンスがヴァンとリィイヴを見て、首をかしげた。エアリアが壁際の椅子を示し、ふたりはおずおずとした様子で座った。クリンスがふたつ椅子を持ってきて、エアリアとふたりで座った。イージェンは肩で息をつき、仮面を巡らせてエアリアとクリンスを見た。 「俺が仮面を被っている意味はわかるな。ヴィルトは亡くなり、俺が仮面を継いだ」 エアリアが眼を見開いたまま涙を零した。クリンスが両手で顔を覆った。 「ヴィルトはすでに寿命がきていた、最後にマシンナートのバレーを消滅させて力尽きた」 エアリアが目を落とした。他の大魔導師たちと同じく隠居したということから、薄々そうではないかと思っていたが、衰えた様子もなく、そしてなにより、余命少ないとは信じたくなかったのだ。 イージェンが机の上の文書を見た。 「詳しくは五大陸総会というところで話す。エアリア、おまえも一緒に来い」 「あ、いや、その…総会は各大陸学院の代表として二名の学院長が出席するのですが」 やっと顔を上げたクリンスがびくびくしながら言うと、イージェンが紙に光らせた羽ペンを走らせ始めた。 「ヴィルトは、俺から直接事情を聞いて総会を開くつもりだった。こうなったのだから、大魔導師の名において、俺が召集する。あのバカ学院長とおまえ、それと東バレアスかルシャ=ダウナのどちらかの学院長を呼ぶ。どちらがいいと思う?」 話している間も次々に伝書を書いていく。エアリアが壁際の棚から伝書用の書筒をたくさん持ってきた。 「ルシャ=ダウナの学院長様は、エスヴェルンに留学していたことがあります。小さいころ一緒に学びましたが、聡明な方でした」 東バレアスの学院長は五十を過ぎていて隠居も近いはずだった。ルシャ=ダウナにしようと滑るようなペン使いで書き上げてエアリアに渡した。エアリアが書筒に入れ、魔力で行き先を刻んで筒の蓋をした。十通の伝書のすべてに封をした。最後に書いた伝書は学院長宛ではなかった。 …ダルウェル…?キロン=グンドのガーランド王国学院長だった方? 確か何年かに問題を起こして、学院長を罷免されたということだった。知り合いなのだろうか。総会に呼ぶつもりのようだ。 「総会はエスヴェルンで開くのですか」 クリンスが尋ねると、イージェンが首を振った。 「ヴィルトはティケアで開く予定で各大陸の学院長に伝書を送っている。ティケアには行ったことがないので、ちょうどいい」 明日フィーリたちに挨拶をしてから、エスヴェルンに向かい、サリュースを連れて三の大陸ティケアに向かう予定を立てた。 「エアリア、このふたりにひとつでいいから部屋を用意してやってくれ」 ヴァンとリィイヴに横になるように言った。エアリアはふたりを連れて学院長室を出た。宿舎に向かい、空いている一室に案内した。ひとつだが大きなベッドがあった。 「こちらで休んでください。お水、持ってきますから」 エアリアがもってきた灯りをテーブルに置いて、部屋を出て行った。リィイヴが窓に寄った。ヴァンはベッドに横になり、リィイヴの背中に話し掛けた。 「なあ…リィイヴ、後悔してないか?俺はともかく、おまえは…」 窓の外を見ていたリィイヴが振り返らずに言った。 「そりゃあ…バレーみたいに清潔で便利な生活はできないだろうけど。でも…」 リィイヴが振り返って、微笑んでヴァンを見た。 「リィイヴ…」 ヴァンが胸を衝かれて、戸惑いながら身体を起こした。 小さく扉が叩かれ、エアリアが入ってきた。水差しと杯を乗せた盆を持ってきた。テーブルに置き、出て行った。 しばらくしてヴァンがベッドから降り、水をふたつの杯に注ぎ、ひとつをリィイヴに渡した。 「酒じゃないけど…」 リィイヴが杯を受け取った。 「うん…乾杯…だね」 ヴァンの杯とかち合わせた。ふたりは暖かく柔らかい寝床に朝までぐっすりと寝た。
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