一の大陸セクル=テゥルフ、二の大陸キロン=グンド、三の大陸ティケア、四の大陸ラ・クトゥーラ、そして、五の大陸トゥル=ナチヤ。 五大陸、大河の水は深い翠色に澄み、そこに飛び遊ぶ水鳥は雪のように白い。親鳥はひな鳥をいとおしみ、翼の内に守り、ひな鳥は親鳥を慕い、付き従う。春には、山や丘が青々と茂り、花は燃え出さんばかり。秋には花は実を結び、田畑は芳醇な黄金(こがね)となる。冬の仕打ちを乗り越えて、春の慰めを迎える。大いなる大地と広大なる大海の恵み、天空の雨雫、悠久の四季の流転、みな、万物の理《ことわり》なり…。
一の大陸セクル=テゥルフ中原の王国エスヴェルンのセレンは、十になる青い瞳の少年。多くの民がそうであるように、無知でさだめに流されるだけの子どもだが、そのけなげさに大切にしてやりたいと思うものたちによって助けられ、生きていた。 セレンは、エスヴェルンの第一特級魔導師エアリアとともに、カーティア王都に戻ってきて、師匠であった大魔導師ヴィルトと再会を果たした。しかし、トゥル=ナチヤのイージェンとの別れが悲しくて、喜ぶことができなかった。ヴィルトはすぐに南方海岸に行ってしまい、エアリアも寝る暇もないほど忙しく、かまってはやれなかった。 何日も元気のないセレンにカーティア王宮の侍従医ユデットが甘い茶と焼き菓子を持ってきた。 「お弟子様、どうぞ召し上がってください」 セレンは見ることもなく首を振った。ユデットが心配そうに茶碗を差し出した。 「元気出してください。学院長様はきっと戻ってきますよ」 扉が叩かれ、ユデットが返事をすると、フィーリが入ってきた。 「フィーリ様、まだ動かれないほうが」 ユデットが席を立って、手を貸した。フィーリは、マシンナートのアウムズに撃たれて肩に怪我を負い、ヴィルトに治してもらったが、身体の力が失われていて床に伏せっていた。 「いや、もう大丈夫だ、熱も下がったし、気分も悪くない」 フィーリがセレンの隣の椅子に座った。セレンの様子を心配して見に来たのだ。 「お弟子殿、ほとんど食事してないとか。どうか、少しでも食べてください」 セレンが急に肩を震わせて眼を潤ませた。フィーリが椅子を降り、ひざまずいて、セレンの顔を覗き込んだ。膝頭を強く掴んでいる小さな両手を握った。 「ここで学院長殿が戻ってくるのを待ちましょう。わたしもユデットも側にいますから」 セレンが顔を上げて、フィーリを見た。優しい笑みにセレンがようやくうなずいた。茶をすすり、フィーリが差し出した焼き菓子を食べ始めた。 ユデットが王都に呼び寄せていた調薬師たちが到着したと言った。 「それはよかった。なんとかなりそうなのだな」 ユデットがうなずき、フィーリに茶を入れて差し出した。エスヴェルンの学院から派遣されているクリンスを学院長代理とし、エアリアにも手伝ってもらって、学院生たちの教導を始めてもらっているが、調薬には手が回りそうになかったのでほっとした。 しばし茶を飲んでから、フィーリは、セレンを連れてテラスから庭におりた。 王宮内は、マシンナートのボォムで破壊されてひどい状態だった。庭も館の周辺はかなりの被害を受けていたが、執務宮と後宮の間は花園も残っていた。手を引かれて歩いている内に、セレンは周りに眼を向け出した。少しは気晴らしになったようだとフィーリがほっとした。 フィーリも気が紛れていた。昨日国王ジェデルの妹姫ネフィアの葬儀が行われた。子どもの頃からふたりに仕え、どんなときでもふたりのために尽くしていた。もちろんネフィアの死は悲しいし、ジェデルの心痛を思うと、いっそう胸が締め付けられる。しかし、フィーリは不忠ながらも心の底で肩の荷がおりたように思えていた。ふたりのことを誰にも相談することができなかった。この先どうしたらいいのかと憂いて苦しくてたまらなかった。 …ネフィア様、どうか、お許し下さい… 後宮に近づいたことに気づいて引き返そうとした。 「フィーリ殿、もうよろしいのですか?」 声を掛けられて見遣った。イリーニア姫が侍女たちと花を摘んでいた。 「イリーニア様、もう大丈夫です、ご心配おかけしました」 胸に手を当ててお辞儀した。セレンもあわてて同じように頭を下げた。 「お弟子様もお外に出て来られて、少しは元気になったようですね」 イリーニアが腰を折り、優美な笑みでセレンに薄紅色の大輪の花を一本差し出した。セレンが戸惑いながら花を受け取った。 「お姉さまに差し上げてください」 姉とはエアリアのことだろう。こくりと首を折った。イリーニアが肩を回して行こうとした。フィーリが思わず声を掛けていた。 「イリーニア様!」 イリーニアが振り返った。フィーリがひざまずいて頭を下げていた。 「どうか…陛下のことを…」 イリーニアは無言のまま眼を伏せ、去っていった。 フィーリはセレンを学院まで送っていった。自宅に帰される予定だった学生たちは、そのまま留まることになり、上級生が下級生を教えることにして、一番上級のものたちは学院の体制が決まるまでエアリアが教導師となって教えることとなった。 「イリーニア様がこれを?」 エアリアは、セレンが渡した花を手に途方に暮れたような顔をした。いたしかたなく、調薬庫に転がっていた瓶のひとつに水を入れて刺し、学院長室に持っていった。 学院長室にはエスヴェルンの第五特級魔導師クリンスが学院長の机に向こうに座って、ぐったりとしていた。 「あわっ」 エアリアたちが入ってきたのに気づいて、あわてて椅子に座りなおした。 「学院長代理殿、お疲れ様です」 フィーリがねぎらった。クリンスがばつが悪そうに頭に手をやった。 「いえ、フィーリ殿こそ、お体よろしいので?」 すっかりよくなったと言い、椅子に座った。エアリアが花を刺した瓶を学院長の机に置いた。クリンスが書簡を開きながら報告した。 「今セネタ公閣下への報告をまとめていたのですが、エスヴェルン、東バレアス公国、ルシャ・ダウナ三国学院では、カーティアの謝罪を受け入れる方向で宮廷に働きかけると言ってきました」 フィーリが喜び、ほっと肩をなでおろした。学院が受け入れてくれれば、もう安心である。後は各国の執務官との間で賠償について詰めればよい。国庫が空になろうが、借金を作ろうが、とにかく周辺諸国へは充分に償わなければ。後は南方大島がどう出るかだった。 「その後、大魔導師様や学院長殿からの伝書などは…」 フィーリが尋ねたが、クリンスたちは首を振った。
その夜、フィーリは、セレンとユデットと三人で夕卓を囲んだ。エアリアとクリンスも呼ぼうとしたのだが、教程作成などの支度で忙しくて食事も簡単なもので済ましているようで、残念ながらと断ってきた。 フィーリもユデットもセレンがほとんど読み書きもできない無学の子どもであるとわかっていたが、学院長の弟子として敬意を払っていた。 「お弟子殿はエスヴェルンのお生まれでしたね、カーティアもエスヴェルンに劣らず美しいところでしょう?」 フィーリが切り分けた肉をセレンの皿に置いた。セレンがふと思い出して、食べながら言った。 「海…とてもきれいでした」 ユデットが、フィーリが手酌しようとしていた葡萄酒の瓶を取り上げ、水を渡した。フィーリが苦笑して、水の杯を引き寄せた。 「海をご覧になりましたか。わたしは海に近い地方で生まれたんですよ」 泳ぎは得意だとユデットが言い、いつか海に行って泳ぎを教えてあげましょうと笑った。 食べ終わって、茶を飲んでいると、セレンがうつらうつらと舟を漕ぎ出した。 「あまり寝ていないようでしたから、きっと、おなかがいっぱいになって眠くなったのでしょう」 ユデットが長椅子に横にしてやった。少ししてユデットが下がり、フィーリは寝ているセレンをおぶって学院に向かった。
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