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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第79回   《外伝》イージェンと銀環の月(下)-(5)
 ベッドでひとつになって、薄紅色の夜明けを迎えた。よく晴れて出発にはまたとない日和だった。朝飯を食べ、新しく汲んできた水で筒を何本か満たした。荷物とティセアを馬に乗せ、まだ首が据わらないキリオスをイージェンが布で横抱きにした。イージェンは背中にも大きな荷物を背負っていたが、馬の後から軽々と歩き出した。
「ふもとに行ったら馬車を調達しよう」
 道は狭く急だったが、最初に登ってきた獣道よりも進み易かった。
しばらく黙々と進んでいたが、イージェンが急に立ち止まった。
「待て、進むな」
 ティセアが馬を止めて振り返った。
「どうした?」
 険しい顔で崖側を見下ろしている。
「追っ手かもしれない…」
 ティセアも緊張して馬から降りた。まだ木の芽がまばらで崖下の道に進む一行が見て取れた。ティセアも覗き込んだ。
「…あれは…」
 見知った顔のようだった。
「誰だ、知っているのか」
「父の側近だったギリアムだ…殺されたのではなかったのか…」
 ティセアは衝撃を受けたようで震えていたが、急に馬に飛び乗って、走り出した。
「待て!行くな!」
 イージェンは背負った荷物を投げ捨てた。赤ん坊を抱えてあまり早く走れなかったが、後を追った。
 ティセアは死んだと思っていた部下が生きていたので驚いて我を忘れてしまった。狭い山道を駆け下りていく。誰かが下ってきたのに気づいた一行が止まった。
 ティセアも馬を止めた。四十がらみの髭の男が、馬上のものを見て、駆け寄ってきた。
「姫様!」
 馬を下りたティセアの足元にひざまずき、両手を地に付けて頭をこすりつけた。
「よくぞご無事で!どんなにお捜ししたことか!」
 ティセアも膝を付き、地に付けた両手を握った。
「ギリアム、おまえこそ、よく生きて…みな殺されたと思っていた」
 ギリアムは泣き顔を上げ、二歩下がって片膝をついた。
「わたしをはじめ鉱山の技師たちや城勤めのものたち、みな無事でおります」
 ティセアが立ち上がり、信じられないというふうに首を振った。
「ラスタ・ファ・グルアの残党はみな殺されたと聞いたぞ…いったい…」
 ギリアムの後に身体を灰色の外套ですっぽりと包んだものが立った。ティセアがつぶやいた。
「学院長…」
 イリン=エルン王国魔導師学院長ジェトゥだった。ジェトゥは胸に手を当て深くお辞儀した。
「そのことはわたしからご説明いたしましょう」
 イージェンは少し上の道から見下ろしていた。『耳』は話し声をしっかり捉えていた。
「州軍が西マキア州の隠れ里を襲ったのは、ファヴィンがティセア様を王宮の外に誘い出すために謀ったことです。謀反の計画があると州軍の将軍を動かしたのです。学院もファヴィンにティセア様が残党に連れ出されたと聞かされて、捜索するよう指示しました。そのため、軍や学院がティセア様を追うような形になったのです。メルタの村でファヴァンをお手打ちになったときにお会いできていれば、ご説明できたのですが、逃げてしまわれたので」
 ティセアが動揺しているのが上からでも見て取れた。気取られないように静かに道を下って近づいた。
「では…陛下のご命令ではないと…」
 ジェトゥがうなずいた。ギリアムも見上げて訴えた。
「陛下はファヴィンの謀(たばか)りを知り、とてもお怒りになって、ファヴィンの実家を取り潰し、なんとしても姫様をお探ししろと厳命を下されました。わたしたちも八方手を尽くしておりましたが、このような山奥に身を隠されていたとは…陛下が姫様のお戻りを心からお待ちです。早く王宮へお戻りください」
ジェトゥが顔を上げた。ギリアムが立ち上がり、馬の後にいる男に気が付いた。
「あのものは…」
 ティセアがはっと振り返った。イージェンがキリオスを抱えて立っていた。ティセアが目を逸らしてつぶやいた。
「…やとった…従者…だ…」
 イージェンは言葉を失い、目を見開いて立ち尽くした。ジェトゥが共の兵士とふたりでイージェンに近づいた。
「ティセア様のお子様だな、こちらに」
 ジェトゥが手を差し出した。イージェンは無言で首を振って後ずさった。ティセアが顔を逸らしたまま震える声で言った。
「その子を渡せ」
 イージェンは頭の中が真っ白になった。こんな…こんなこと…。
 ジェトゥが呆然としているイージェンからキリオスを奪い取った。兵士に顎をしゃくった。兵士が腰の袋をイージェンの足元に投げた。
「ご苦労だった」
ジェドゥが肩を回した。ティセアはギリアムに介添えられて立派な馬具の馬に乗って行ってしまった。キリオスもジェトゥに抱かれて。
どれくらいその場に立ち尽くしていただろうか。ようやく足元の袋を拾って地面に叩き付けようとしてやめ、堅く握り締めて、西の空を睨みつけた。

 イリン=エルン王宮の後宮の東棟に国王がくつろぐ一室がある。そこに、ティセアがすっかり身を洗い、白銀の髪飾りや耳飾をつけ白いローブをまとって窓辺に座っていた。
戦さに負け、捕らえられて王宮に連れてこられたときは、地下牢につながれた。そこで国王に身を任せれば民の命を助けてやろうと言われ、仕方なく従った。その後ここに移されたが、監視付きの軟禁状態だった。
キリオスは乳母に任じられたという女に連れて行かれた。そろそろ乳をやる時間になってきたので、乳房が張ってきて痛くなっていた。
 ギリアムによれば、鉱山では以前と同じように技師たちが仕事をしており、ギリアムもティセア探索の部隊を指揮していたという。城勤めのものたちは城の修復に携わっているとのことだった。
 侍女が入ってきてお辞儀した。
「陛下の御成りでございます」
 ティセアが椅子から立ち上がった。両開きの扉が開いて、痩せた背丈のあまり高くない、年は三十ほどの男が入ってきた。イリン=エルン国王ジルクムであった。ティセアが両膝をついて手を床につき、声を絞った。
「陛下…ごきげんよう…」
 国王が手を差し伸べた。
「よく無事で戻った」
 顔を上げて見上げ、その手を取った。立ち上がったティセアの肩を抱き、引き寄せた。
「ファヴィン、にくいやつだ。そなたによこしまな気持ちをいだいた上、大切な民を殺した。何度殺してもあまりあるが…」
 国王はティセアを隣の部屋に連れて行った。
「あれの一族を処刑した。あれの屍も切り刻んで獣の餌にしてやった。そなたに見せてやりたかったのに、何故逃げたりしたのだ。そんなに余が信じられなかったのか」
 ティセアが戸惑った顔を伏せた。
「…ファヴィンは王宮の護衛隊隊長。陛下のご信頼も厚かった。それが陛下のご命令だと言ったので…」
 国王がベッドに腰掛けさせ、銀色の髪の房に触れた。
「こんなにいとしいと思うそなたとの約束、違えるはずもない…」
 髪を払い細い首筋に口付けた。
「…陛下…!」
 ティセアが顔を赤らめて身体を離そうとした。しかし、強く抱きしめて離そうとしなかった。
「ティセア、よく男子を産んでくれた。余のたったひとりの王子だ。時期を見て王太子にする。そなたも妃にするから」
 ベッドに押し倒しながらティセアが何か言おうとする前に畳み掛けるように続けた。
「ラスタ・ファ・グルアの名も州名として残すし、修復中の城もそなたの離宮にしよう…」
「陛下…」
 ティセアの押し戻そうとした手から力が抜けた。


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