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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第76回   《外伝》イージェンと銀環の月(下)-(2)
 流感はただの風邪の何倍も致死率の高い病だ。薬も普通に調薬しただけではなかなか効かない。精錬して効力を高めないといけなかった。イージェンは自分たちがかかったときのために精錬した。売りに行こうかと思ったが、やめた。さすがにこれを売れば学院に嗅ぎつけられるだろう。氷穴から氷を運んできて、藁に包んで雪をかぶせた。早く冬が終わり、春が来ないかと雪空を見上げた。
 
 真冬は一の月と二の月を跨いだ時季だ。一の月の終わりごろの夜中、ティセアが寒さに目を覚ました。イージェンはたまにぐっすりと寝ていることがあって、今夜はその時なのだろう、寒さにもかかわらず、目が覚めなかったようだった。火が小さくなっていて、外の冷え込みが尋常でなかった。薪をくべようとベッドから降りようとしたとき、腹が重くてひっくりかえり床に倒れた。ダァンッという音がして腹をかなり打ってしまった。イージェンがその音で目が覚めた。
「ティセア?」
 あわててベッドの反対側に落ちているティセアを抱き起こした。
「い…つっ…」
 横腹を押さえてティセアがうめいた。
「大丈夫か、痛いのか!」
「だいじょうぶ…」
 ぎゅっと抱きついてきた。
「さむい…」
 火が消えかけていたことにようやく気づき、ベッドに寝かせて、火を大きくした。
「すまない、よく寝てしまっていた」
 いつもはほとんど寝ないのだが、ときどきは睡眠を取らないとさすがにもたないのだ。あたたかい茶を入れているとティセアが呼んだ。
「イージェン…腹がちょっと…いたい」
 ティセアの唇が紫色になっていた。熱はないようだ。服と敷布が濡れていた。まさか小水を漏らしたのかと着替えを持ってこようとした。
「い、いたっ…いっ!」
 ティセアが腹を押さえて、身体を曲げた。
「ティセア!」
「なんか…つめたい…」
 ゆったりとしたスカートを捲り、ズロースを見た。血の混じった水で濡れていた。
「ティセア、腹の水が出ている」
 腹の中がギュウッと締まるらしく、そのたびに身体を縮こまらせていた。少しして緩やかになったようだが、イージェンが着替えをさせている間にまた締まりが戻ってきたようだ。
「イージェン、もしかしたら…」
 腹の水は少しづつだが出ていた。
「まだ早いだろう」
 そう言いつつ、寒さで身体の熱がないし、さきほどベッドから落ちたときに腹を打ったからかもと緊張した。さすがにお産についてはまったく無知だった。ティセアは初産だ。もし手当てを間違えればふたりとも…。
 母も父とふたりで双子を産んだのだから、なんとかなるのではないかと楽観的に考えていた。現実に陣痛らしきものが来て、しかも早産かもしれないとなっては、動揺してきた。
「うっ…やはり…これはっ!」
 ティセアが冷汗を掻き出して苦しんだ。納まる様子がなく、断続的に来る痛みはやはり陣痛のようだった。しばらく見ていたイージェンが迷いながら尋ねた。
「ティセア、産婆を連れてきたほうがいいよな…」
 ティセアは薄く目を開けて手を伸ばしてきた。
「無理だろう、こんなっ…ところまで…」
 その手を握ったイージェンが、ティセアの不安を感じ取り、自分にはどうすることもできないと判断した。
「いや、なんとしても連れてくる。少しの間、我慢しててくれ」
「イージェン!」
 手をほどいて外套を羽織り外に出た。雪は降っていないが星で輝く夜空に氷の粒が浮かんでいる。ものすごい冷え込みだった。馬は寝ていたが、イージェンが手のひらを当てると起きた。跨ってすぐに魔力を使って空に駆け上がった。ふもとの村には産婆がいるのではと向かった。いなかったら、産んだことのある女でもいい。とにかく連れてこなくては。
 夜明け前にふもとに着いた。朝早すぎてまだみな眠っているだろうが、いつも武器を持ち込んでいる道具屋を訪ねた。扉を叩き、主人を呼んだ。
「頼む!開けてくれ!」
 扉が割れそうなくらい叩き続けた。ようやく中から主人が目を擦りながら出てきた。
「いったい…だれなんだい、こんな朝早くに…」
 扉の前に立つイージェンの姿を見て目が覚めたようだった。
「これは旦那、どうしました」
 高値で売れる品物を安く売ってくれる上客なので、主人はいつものように丁寧に応じてくれた。イージェンが白い息を吐き、主人の肩を掴んで頼んだ。
「子どもが産まれそうなんだ!この村に産婆はいないか!」
 主人の後ろから女将も出てきた。主人が女将を見返って言った。
「ジャルジャのおっかさんのところに案内してやれ、うちの大切なお客さんだからってな」
 女将はすぐに仕度して出てきた。馬に乗せて走らせると驚いて悲鳴を上げた。
「ひぃーっ!」
 たてがみにしがみ付くようにしている女将に言った。
「どこだ、その家は!」
「村の一番北のはずれです!」
 村の真ん中を通っている道は人通りがあるため、雪も薄く締まっていて馬を走らせていけた。北のはずれの家はすぐに見つかった。女将は息も絶え絶えながら勝手口に回り、そろそろ起き出していた家のものに声をかけた。中から五十すぎの女が出てきた。
「おっかさん、この旦那の奥さんがもうすぐ産まれそうなんだとさ。取り上げてほしいんだって」
 女将が言うと産婆はなかなかに肝が据わっているのか、イージェンをじろっと見上げた。
「この付近のもんじゃないね」
 イージェンが落ち着かないようすで山を見た。
「旅の途中なんだ。予定まで後ひとつきもあるのに、腹の水が出てきて。頼むから一緒に来てくれ」
 産婆が気難しいのを知っている女将が拝むようにして頼んだ。
「おっかさん、たのんますよ、うちの亭主の大切なお客さんなんだよ」
 産婆が家の中に戻り、家のものに仕度するよう言った。それほど暖かくもなさそうな外套を羽織って出てきた。道具屋の女将に金の袋を握らせた。
「すまん、帰りは自分で帰ってくれ!」
 そのまま産婆を乗せて走り出した。
「どこまでいくんだい!」
 魔力を使って空に駆け上がろうとして止め、馬を停めた。降りて産婆を見た。
「なんだい…なにか…」
 産婆がかくんと首を折った。
「少し寝ていてくれ」
 そしてまた馬にまたがり、飛び上がった。


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