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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第71回   《外伝》イージェンと銀環の月(上)-(1)
 五つの大陸、セクル=テゥルフ、キロン=グンド、ティケア、ラ・クトゥーラ、トゥル=ナチヤ。その地にあまた存在する王国では、魔力と知識でもって真義と秩序を守る魔導師が王室と宮廷を補佐し、国政に強い影響を与えていた。かつては、その絶大なる魔力をもって大陸の魔導師たちの頂点に立っていた大魔導師と呼ばれる五人によって、五大陸全域の統制も行き届いていたと言われていた。しかし、今では、大魔導師のほとんどは亡くなり、多くの大陸は『麻の如く』乱れていた。各王国は、自国の繁栄を求め、鉱山、水源、沃地、漁場の利権を求めて、隣国と争うことが多くなっていた。中には争乱行為を黙認する学院もあった。また国内でも王位争いや貴族の横暴、匪賊、軍人くずれの盗賊などが治安を乱し、人々を脅かしていた。

 五の大陸トゥル=ナチヤのイージェンは、黒髪に黒い瞳、痩せて背が高く、鋭く冷たい眼光を宿した男。「忌まわしい存在」。「現し世にいてはならない存在」。禁忌を犯した魔導師の父と汚された聖巫女の母から生まれた。恩義ある男の依頼を受けて弱みもあり、断りきれず、魔導師や王族を殺害して、生まれ育った大陸から逃げなければならなかった。魔力を持ちながら、学院で育たず、真義と秩序のために使うべき魔力を破壊と混乱のために使ったのだ。父も母も亡くし、たったひとりの大切な双子の兄とも離れ離れとなり、友とも別れ、二の大陸キロン=グンドにやって来た。紀元以来、王国の統合、分裂を繰り返してきた二の大陸キロン=グンドは、大魔導師シャダインが亡くなってから五十年余りが経とうとしていた。
 大陸間を渡る船便はトゥル=ナチヤを出てから数日間後イリン=エルン王国の港に着いた。嵐の少ない時期にしか船は出ないので、潮の流れもよく順調だった。船底に潜り込んでいたイージェンは、税関を通らずこっそりと上陸した。
 さっそく港市場に向かい、店やヒトの波の中を巡って『耳』を研ぎ澄ます。さまざまな話が聞こえてきて、この街の様子が伺いしれるのだ。
「…ラスタ・ファ・グルアの残党が逃亡先の西マキア州で皆殺しになったそうだが…」
「…女子どももいたのでは。むごいことだ」
「利権がらみだろ、ラスタ・ファ・グルアの鉱山の…」
 ラスタ・ファ・グルアは国内で自治を保っていた州のようだ。魔導師学院がないと国として認められないし、魔導師や学院が教導する調薬師、医師がほとんどいないので、薬の調達や医師の確保が難しい。ただ、高い学費を払って他国の学院に留学生を派遣して、医術や調薬を学ばせることもできないわけではない。必要な薬も他国から仕入れれば済むことであるし、イージェンのようなもぐりの調薬師もいる。
キロン=グンドは自治州が多いと聞いていたので、おそらく調薬を生業とすれば、食いっぱぐれることはないだろう。
「おにいさん、これ、買わない?」「安くしとくよ!」
 市場の女や男たちが品物を差し出しながら声を掛ける。天幕の店ではなくきちんとした店構えの薬屋の看板を見つけて入った。壁一杯の引き出しを背に店番がふたり勘定台の向こう側に立っていた。いらっしゃいを言うこともなく、見かけたことのない旅装の男―年頃はかなり若そうに見える―を疑わしい目で見ていた。イージェンがつかつかと勘定台に近寄り、ふところから袋を出して台の上に置いた。
「いくらになる」
 ふたりが顔を見合わせてから年嵩の男が袋を取って開け、中を覗き込んだ。ちらっと上目遣いでイージェンを見上げた。
「ちょっと待ってください」
 側の男に耳打ちした。奥に引っ込んで別の男を呼んできた。袋を開けた男が奥から出てきた恰幅のよい男に見せた。男は袋を広げて中身を少し摘んでにおいを嗅いだり指先で潰したりした。
「これはどこで手に入れたんですか」
 イージェンが袋を取り上げた。
「面倒なことを言うならいい。薬屋はここだけじゃない」
 男があわてて手を振った。
「いやいや、別に言いたくないならいいんですよ。ぜひうちで買い取らせてください」
 独特の葉の香りがするので、『見る』ものがみればわかる良質の解毒の薬だ。男が紙に金額を書いた。イージェンがちらっと見て袋の口を閉じた。
「話にならんな」
 男は困った顔で店の隅にあるテーブルに座ってしばらく待ってくれるよういい、奥に引っ込んだ。引き込み際に使い走りらしい男に茶を出すよう言った。少しして茶が出てきたが、古くてうまくないものだった。
「おい、上客に出す茶じゃないぞ」
 イージェンがカチャンと音を立てて皿に茶碗を置いた。入れなおすように言いつけている男に手を振った。
「いらん」
 ようやく身なりのよい店主らしき男が姿を現した。テーブルまでやってきて、軽く頭を下げた。
「店主です。よいものをお持ちだそうで、拝見させていただけますかな」
 イージェンがテーブルに置いていた袋を差し出した。店主が受け取り、中を開けて先ほどの男と同じように指ですりつぶし、舌先で確認して、うなった。先ほどの紙に買取値を書き直した。
「こちらでいかがですか」
 イージェンが眉を寄せて紙をにらみ付け、店主を見た。
「…もう一声と言いたいところだが、また寄せてもらうかもしれんからな」
 店主が手を叩いて店番の男に紙を渡した。薬の袋の口をさっさと閉めて、男が持って来た金の袋を差し出した。イージェンがそのままふところに入れた。
「確かめなくてよろしいので?」
 店主が首を傾げた。イージェンが肩を回した。
「信用する」
 店から出て行くと中ではすぐに店主たちがひそひそと話し合っていた。
「これは魔導師が調薬した薬だ。間違いない」
「…では、どこかの貴族の館から…」
 盗んだものと思ってくれるならそのほうがいい。
 水売りから水を買い、こぎれいな宿をいくつか聞き出し、その内のひとつに泊まった。
 一日、二日と、トゥル=ナチヤから出て来るときに友であるリアウェンからもらった書物を読み、のんびりと過ごした。地図を買い、この港街からそう遠くないところに王都があると知った。
「ここにあったのか、ラスタ・ファ・グルア自治州」
 その地は隣国ガーランドとの国境にあった。山脈の中にあり、そこに鉱山があるのだろう。西マキア州というのは、王都の西側にあった。
 翌日、野営の道具と馬を調達し、西に向かった。西マキア州での残党皆殺しに興味を持った。戦争でもない一方的な殲滅を学院が許したことをあざ笑ってやりたかったのだ。
 なにが真義だ。なにが秩序を守るだ。薄汚いうそつきのくせに。
 俺だって魔導師なんか…。
 魔導師だった父がいかさまの術で金持ちから金を巻き上げ、それがばれて母は殺され、父も不具にされた。ようやく苦境から救ってくれた養い親も魔導師に殺されてしまった。双子の兄ウルヴは魔導師を憎み、イージェンが魔力を持つと知って死ねと罵った。
「おまえもあいつと同じだっ!ただの薄汚いイカサマやろうだ!魔導師なんか、みんな死ね、おまえも死ね!」
それでも。
ウルヴに会いたかった。罵られてもいい、一緒にいたかった。
 寂しい。
 西マキア州の関門は、王立軍の兵士で警戒が敷かれていた。かなり物々しいのはまだ残党がいるからだろう。イージェンは夜になってから、馬を抱きかかえるようにして空に飛び上がり、関門を越えた。


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