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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第69回   イージェンと仮面の魔導師(3)
 青い空がどこまでも続いている白い砂漠の上に、イージェンは立っていた。その身体は、手足も元の通り、澄んだ翠(みどり)の瞳もふたつ揃っていた。
 遥か彼方の砂丘の上にヒト影がふたつ見えた。ひとりはすらっと美しい姿の女、長い黒髪をなびかせて白い頭巾のついた長衣を着ていた。
「かあさん…?」
 違う、似ているが母ではない。もうひとりは大柄な男で、短い銀髪に灰色の頭巾のついた長衣を着ていた。
「……」
 何か言っている。砂に足を取られながら、走った。しかし、走っても走ってもなかなか近づけなかった。ようやく砂丘を登りきった。女が手を差し伸べてきた。
「…我が素子…おいで…」
 優しくもあり厳しくもある声。イージェンは震えながら、その手を握った。握ったその手は光を放った。ふたりは光の粒となり、ひとつの球となった。男が手を差し伸べた。
「…我らを継ぐもの…」
 ひとつとなった光の球から手が伸びてきて、その手を握った。
 
 ヴァンとリィイヴは、どうすればいいかわからず立ち尽くしていた。
「どうしたらいいんだろ…」
 リィイヴがペタリと座り込んで困った顔でヴァンを見た。ヴァンも渋い顔で首を振った。
「わからない、イージェン、ほんとに戻ってくるんだろうか」
 バレーはなくなった。生まれ育った場所だが、失った悲しさなど感じる余裕はなかった。どうしたらいいのかわからず、頭が混乱していた。
恐らく夜になったのだろう、わずかに空が見えていた谷間は真っ暗になった。バレーのあった奥も暗闇。途方に暮れているとヴィルトから預かった書簡が淡く光り出した。灯りとして十分な明るさだ。
「戻ってみよう」
 ヴァンが言い、リィイヴもうなずいた。
 中心までパァゲトゥリィからでも五カーセルはある。おそるおそる歩いていった。バレーのあったところは、大きな空洞になっていた。ヴァンが急に立ち止まった。
「どうしたの?」
 尋ねるリィイヴに前方を指差して震えた。リィイヴが前を見て、眼を凝らした。灰色の外套を着た背の高いヒト影がふたりに向かってきた。だんだんはっきりしてきた。輝く書簡の光の下に見えてきたその顔は、灰色の仮面だった。
「あの…イージェンは…」
 バレーを消滅させると向かったあの魔導師だと思い、リィイヴが尋ねた。
 仮面の魔導師は、ふたりに近寄り、両腕で引き寄せ、しっかりと抱きしめた。
「ヴァン、リィイヴ…ふたりとも、助かってよかった…」
 ふたりは驚き、仮面を見つめた。仮面から聞こえてくる声。
「…イー…ジェン…?」
 リィイヴが目を赤くして見上げた。
「ああ、俺だ」
 仮面以外は手も足もあり、身体も元に戻ったようだった。信じられないことに驚きながらも、ふたりは堅く抱きつき、ただ泣いた。イージェンがふたりの背中を優しくさすった。
 リィイヴが尋ねた。
「あのヒトは…」
 イージェンが後ろを振り返りながら首を振った。
「バレーを消滅させて力尽きた。もともと寿命が来ていて、残った力を使い切って…」
 リィイヴが書簡を渡した。
「これ、渡してくれって」
受け取ったイージェンが、懐に入れた。ふたりをうながし、ゆっくりと外に向かって歩き出した。歩きながら、イージェンがふたりに尋ねた。
「ここ以外にもバレーはある。マシンナートたちのところに戻るか?」
 ふたりは薄暗い中だったが、顔を見合わせた。ヴァンが消え入るような声で言った。
「俺は…もう、戻りたく…ない…」
ヴァンには両親がいない。ふたりとも水路作業員だったが、作業中の事故で死亡していた。リィイヴの両親は別のバレーにいるが、リィイヴがヴァンの手を握って、イージェンを見た。
「戻っても、多分、処刑されるか、またあなたを脅す道具にされるだけだよ」
「それは困るな、俺はともかく、おまえたちが苦しめられるのは見たくない」
 イージェンの足が止まった。
「いや、俺といるともっと苦しむかもしれない…俺はマシンナートを…」
 殲滅する。その言葉を飲み込んだ。仮面の後継者になった。マシンナートから見れば、殺戮者ということだ。
 リィイヴがもう一方の手でイージェンの手を握った。
「いいよ、同じ苦しむなら…あなたの側にいたほうが」
 イージェンがリィイヴの手を握り返した。ヴァンが不思議そうにイージェンの右腕を握った。
「腕や脚、元に戻ったんだな」
 魔力というものはこんなことまでできるのだろうかと驚いた。イージェンがまるで苦笑しているかのように肩を動かした。
「ああ、大魔導師はヒトに顔や身体を見せないのが決まりなんで、こんな仮面を被り手袋をしているけどな」
谷の入り口までやってきた。夜空には星が降るほどに輝いていた。イージェンが、ふたりを両脇に抱えて、飛び上がった。
「わあ!」
 リィイヴが歓声のような声を出した。地上に光はなく、深い森が続き、背後には険しい山が連なっていた。川の側に降り、ふたりに水を飲ませた。
「少し寝よう、明日になったら、レアンの軍港まで戻る」
 山に近く、夏でも夜は冷えるので、暖を取らなくてはならない。枝をかき集めて火を点けた。大きな木の下の草の上に横になったふたりにイージェンが外套を外して掛けてやった。ふたりの額を優しく撫でた。
「ふたりとも、ゆっくり休め」
ふたりはすーっと眠りについた。周囲に獣避けの術を掛け、木の上まで登った。
夜空を見上げた。満天の星の海、その中に、ひときわ強く輝く星がある。
「『星の眼(エテゥワルウゥユ)』」
 マシンナートが監視衛星と呼ぶ、大魔導師の道具だ。後継者となったとき、ヴィルトから受け継いだ。三千年分の膨大な知識と記録も一緒に受け取った。つい先ほどバレーのベェエスから移したマシンナートのデェイタもあった。
マシンナートはヴィルトの死を確認する術を持っているのだろうか。あのバレーのベェエスにはなかったが、キャアピィタルや他のバレーにないとは言い切れない。
…最後のアルティメットが隠居してから二年、長くとも五年待てば死ぬ。そうすれば、監視衛星が使えなくなるから、通信衛星を打ち上げることができたのに…
パリスの言葉が蘇ってきた。もし、バレーと共にヴィルトを始末できたと思っているとしたら。五年後としていた計画を繰り上げるだろうか。
「打ち上げるか、通信衛星」
 そうなれば、バレー間のデェイタ通信が瞬時に可能になり、テクノロジイの発展に拍車が掛かるだろう。そして、アルティメットがいなくなったとみて、かつてのようにテェエルの主(あるじ)としての君臨を望み、この五大陸に散らばるバレーが一斉にテェエルを攻撃してきたら。
「ヴィルト、こいつは俺ひとりじゃ、どうにもならん」
 イージェンは、懐から鈍色の板を出した。ぼおっと淡い光を放ったそれを握り締めた。

 セクル=テゥルフ・アーレという名のバレーから脱出した核フロアは、海中を進んでいた。最高評議会のあるキャアピィタルからの指示で、五の大陸トゥル=ナチヤのバレー、トゥル=ナチヤ・サンクーレに向かっていた。
「ふうん、それじゃあ、これしか持ち出せなかったんだぁ」
 ファランツェリが、ジャイルジーンの教授室で、机に置いたガラスの筒を目の前にして、呆れていた。机の向こうには、トリストがいかんともしがたい表情で立っていた。
「後で取りに行くつもりで、保管箱に入れていたんだ。しかし、すぐにコォオド7が発動されてしまって」
「間抜けだね、大教授なのに」
 辛辣な言い様にさすがにトリストも不愉快な眼を向けた。
 ファランツェリが翠玉のような眼球が浮かんでいる筒に手を伸ばして触れた。
「でも、もともと偶発的に手に入ることになっただけで、ミッションでもなんでもないんだし」
 ガラス越しにトリストを見た。
「アルティメットを殺すほうがプライオリティ高いから、最高評議会も目を瞑ってくれるんじゃないかな」
 トリストがほっとした吐息をついた。ファランツェリが椅子を踏み台に机の上に乗った。筒を抱きかかえるようにして、机に座った。足をぶらぶらとさせて、筒を撫でた。
「これ、あたしにくれるんだよね?」
 もし生体標本がひとつでも残っていると報告したら、心象は良くなるだろう。しかし、ここはファランツェリの機嫌を取ったほうがよい。
「ああ、パリス議長から君が喜ぶだろうと言われて採ったんだ。君にあげよう」
 ファランツェリが筒を置いて、しげしげと見て、笑った。
「ふふっ、ほんと、きれい、イージェンに見られてるみたい」
 トリストがうっとりと見ているファランツェリの肩に手を置こうとした。
「お父様は残念だったけど、これからはわたしが面倒見るから、心配しなくていい…」
 トリストはパリスがジャイルジーンの搬出の手配をしなかったのだろうと推測したが、ファランツェリには手配したが間に合わなかったと告げた。
ファランツェリが肩を振った。潤んだ眼で見上げて、つまらなそうに下を向いた。
「なんだ、とうさんの代わりかぁ…」
「ファランツェリ…」
トリストがファランツェリの小さな肩を抱いた。
揺ら揺らとガラス筒の液の中に漂う翠の眼球がふたりを冷たく見据えているようだった。
(「イージェンと仮面の魔導師」(完))


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