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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第66回   イージェンと硝子の部屋(3)
 バルシチスに連れられてヴァンとリィイヴが、ガラスの囲みに向かっていた。
「トリスト大教授、素子は何故あのふたりのために我慢しているのでしょう?」
 ボォウドの操作をしていた男が尋ねた。ガラスの中の映像を見ながら、答えた。
「シリィの言葉を借りるならば、『情に厚い』のだろう。情のために自分の命を捨てるというのは信じがたいことだがな」
 三人を盾にすれば、やたらに魔力は使わないはずといったのはバルシチスだった。そうでなければ、素子をバレーに入れたりはしない。多少の危険は覚悟の上で、トリストも賛同した。もちろん、標本が手に入ることを睨んでのことだ。それだけの価値はあると思った。
ガラスの部屋に入ってきたヴァンとリィイヴは、ずっと下を向いていた。様子はずっとモニタで流れて、声も聞こえていた。どんな酷いことをされているか、わかっていた。
「ヴァン、リィイヴ、見えるところに来てくれ」
 イージェンが話しかけた。バルシチスがふたりの肩を押した。よろけながら台に近寄った。
ふたりはおそるおそる覗き込んだ。ヴァンは開いたままの胸腹が信じられなくて、眼を覆った。リィイヴが顔に手を伸ばした。
「…イージェン…」
リィイヴが、イージェンの眼をえぐられて瞼が垂れ下がった痕に触れた。その手は冷たかったが、心地よかった。左眼をつぶり、口元に笑みを浮かべた。
「こんな…こんなひどいこと…」
 リィイヴが膝を付き、台に顔を伏せた。イージェンがまだ残っていた左の手を動かした。
「ヴァン…頼む、手を握ってくれ」
 ヴァンが両手で手を握った。
「ヴァン、俺のせいでアリスタを…詫びて許されることはないがすまなかった…おまえたちは必ず助けるから…」
 ヴァンがただ泣いて首を振った。リィイヴがイージェンの頬に頬を付けた。
「あなたのせいじゃない…魔力を使って、逃げてくれてよかったのに…こんな、こんなになる前に…!」
 リィイヴが声を上げて泣いた。
「いいんだ、おまえたちが助かれば」
 ヴァンが台に拳を叩き付けた。
「そんな約束、あいつらが守ると思うのか!おまえだけでも助かってくれたほうがよかったんだ!」
 外からのトリストの声がした。
『バルシチス、もういいだろう、そのふたりを外に出せ』
 バルシチスが引き離そうと手を伸ばしてきた。リィイヴがその手を叩き払って叫んだ。
「ヒトでなし!アリスタを返してよ!イージェンを元の身体に戻してよ!」
 バルシチスの手が止まった。
「ヴァン、リィイヴ、最後に俺を抱きしめてくれ」
 ヴァンが左腕を押さえていた輪を外した。台の上で身体を起こして両脇からふたりで抱きしめた。イージェンがふたりの鼓動を感じて震えた。
「感じる…」
 ブワンと音がして、三人を魔力のドームが包み込んだ。
「おまえ!」
 バルシチスが叫んだ。外でも異変に気づいた。トリストが釦に指を伸ばした。
「ボォウムの威力にも耐えられるか!?」
 三人を会わせたのは失敗だった、しかし転んでもただでは起きない。ヴァンのボォウムの釦を押した。
「なにっ!」
 反応がない。リィイヴのも押してみたが変化はなかった。
「そうか、あの…バリアが…」
 遠隔操作の電波を遮断しているのだ。中ではバルシチスがあわてて外に出ようとした。
「イージェン!このままぼくたちを置いて行って!」
 リィイヴが離れようとした。イージェンがリィイヴの首輪に噛み付いた。歯が魔力で光り、バリッと音がして首輪が落ちた。ヴァンの首輪も噛み砕いた。
「置いていけるか、俺は死んでも、おまえたちは助ける」
 ドームに包まれたまま、台から浮かび上がった。
「ふたりとも、俺にしっかりしがみついてろ」
 めくられていた腹の皮が元に戻って、塞がっていく。ガラスに突っ込んだ。
ガシャアーァァン!と大きな音がして、ガラスが粉々に砕け、空中を飛んで三人が出てきた。警報が鳴り出した。
「うわぁぁっ!」
 バルシチスが雨あられと降ってくるガラスの破片に悲鳴を上げた。ちらっとその方を見たイージェンが口から矢のような息を吹いた。息は光の針となってバルシチスの心臓に突き刺さった。
「ぐあっ!」
 胸を押さえてバルシチスが倒れた。イージェンが左腕を前に突き出して、灼熱に輝かせた。
「眼をつぶってろ!」
 拳からまぶしい光とともに灼熱の溶岩が噴出し、鋼鉄の壁に当たった。壁は熔け、大きな穴が開いた。
『地下レェイベル七、非常事態発生、遮断壁で封鎖。封鎖まで、後三分』
 抑揚のない女の声が聞こえてきた。
「早くこの階層から出ないと、閉じ込められます!」
 スコルがトリストをせかした。トリストが標本を銀の箱に入れさせていた。
『封鎖まで後一分』
「トリスト大教授!」
「箱に入れておけ、後で回収する!」
 眼球の入った筒だけ持って部屋を出た。
 イージェンは、廊下を飛びながら、エレベェエタを探した。あの乗り物は建物の中を通っている筒の中を動く。その筒を登れば上に上がれる。
『封鎖まで後十秒、九、八…』
「くそっ、どこだ!」
 正面に扉が見えてきた。左手を向けて溶岩で溶かそうとした。そのときだ。
『三、二、一、封鎖』
 扉の前に厚い壁が降りてきた。溶岩はそれに当たって飛び散った。
「まさか、熔けないのか!」
 廊下の天井から白い煙が噴き出してきた。
「瘴気!」
 いくらドームで包んでも自分のこの状態で長い時間耐えられるはずはない。この壁を熔かすしかない。壁の前で止まり、手のひらを押し付けようとした。急に身体の力が抜けた。
「そ、そん…な…」
 命が消える前の最後の力だったのか。
「イージェン…いいよもう、充分だって」
 リィイヴが眼を閉じた。ヴァンが片方の足でぐらぐらとしているイージェンの身体を支えた。
「ああ、すごくがんばってくれた」
 気が遠くなる。
「だめだ、だめ…だ。もう少し…で」
 …イージェン…
 イージェンが壁を見つめた。
「その声は…仮面?」
 …壁から少し離れていろ…
 なにをしようというのか、最後の力を振り絞って後に下がりドームを強くした。
 三人で座り込んで堅く抱き合った。厚い壁の真ん中が白い光の粒になっていく。たちまち壁は霧のようになって消えていった。その向こうに灰色の外套をまとい、不気味な灰色の仮面を被った背の高い男が立っていた。
「…仮面…」
 このふたりを助けてくれ。
 言おうとする前にイージェンは気を失った。
(「イージェンと硝子の部屋」(完))


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