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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第65回   イージェンと硝子の部屋(2)
 ガラスの外からの声がした。
「バルシチス教授、トリスト大教授が来ました」
 ガラスの中に入ってきた。さきほどの評議会のモニタで見た男だ。バルシチスよりも若かった。
「バルシチス教授、ジャイルジーンが停職処分になったので、君も進退について、覚悟しておいたほうがいいな」
 トリストも水色の服を着て、白い帽子を被っていた。バルシチスが驚いた。
「ジャイルジーン大教授が停職処分?!」
 トリストが台をはさんでバルシチスの向かいに立った。
「素子研究はわたしの分野だ、君は自分のラボで、マリィン沈没の始末書でも書いていたらどうだ」
 バルシチスが反論した。
「お言葉ですが、標本採取は、わたしに任されています。標本はトリスト大教授にもお分けしますから、ここは遠慮してください」
 トリストがイージェンに突っ込まれていた管を握った。
「最初に麻酔が効かない時点で気づけ、こいつには薬も毒も効かない」
 管を無理やり引っ張った。
「ぐあっ!」
 管は喉の壁をえぐった。口から引き抜かれて血を噴出した。
「がぁっ!」
 何度が咳き込み、大量の血を吐いた。トリストが銀の盆の上にあるガラスの筒を取った。
「シス化合物だ、希釈していないから、少量で死に至る」
 毒性の強い薬のようだ。バルシチスが止めようと手を伸ばしたが、トリストは素早くイージェンの肩に突き刺し、中身を注入した。
「うっあっ!」
 草、蛇、虫、鉱石などの毒はいろいろと身体で試したりもしたが、今身体に入れられた毒は未知のものだ。身体の中を針が走っていくような痛みが全身に及んだ。身体が痺れ、息ができなくなる。眼が飛び出んばかりに膨らんだ。
 死…ぬ…?
 だが、すぐに毒は毒でなくなった。呼吸が戻り、身体の痺れもなくなった。
「見ろ、これでも死なないのだ。普通の薬や毒は効かない」
 トリスト以外のものはみな青ざめていた。
「イージェン、何故、魔力を使わない、何をたくらんでいる」
 トリストが冷たく見下ろした。
「ふたりを殺すと言われて使えるか…アリスタ…殺さなくても、俺は…つかわなっ…かっ…」
 アリスタのことを考えると涙が止まらない。イージェンの両手、両足を枷のようなもので台に固定した。トリストが銀の盆から短い刃の刀を取った。
「学院と関わりないというのは本当かもしれんな、もし『犬』だったら、マシンナートのひとりやふたり死のうが平気だろうからな」
 側のマシンナートがイージェンの腹のあたりをヒヤッとするもので拭いた。トリストが、刀をイージェンの腹に押し付け、縦に切り裂いた。
「うっ…わぁぁぁぁぁっ!」
 ピッと血が吹き飛んだ。固定されている身体が反り返った。奥歯を噛み締め、舌をかまないように懸命に気を尖らせた。痛みには慣れている。何度も自らの身体に刃を立てて、傷を治す修練をした。しかし、魔力も使わないで感じるこの痛みはかつてないものだった。
「あっぐあぁっ!こ、こんなこと、ゆるされると思うな…よっ!」
 腹部表面の皮をきれいに裂き、中の膜のようなものをきれいに切り分けていく。
「いつまで正気でいられるか、楽しみだな」
 …こいつら…狂ってる。
バルシチスはガラスの中から出ていかなかった。じっとトリストの手元を見ている。トリストが視線を上げてから、言った。
「邪魔をしないなら、見ていてもいいぞ。少しなら標本を分けてやる。どこがいい?」
 口元を歪めてにやりと笑った。バルシチスが戸惑いながらも覗き込んだ。
「わたしの分野はアウムズ研究です、素子の標本はいりませんが、できれば、あなたの系列に加えてください」
 教え子と言っていたから、ジャイルジーンとは師匠と弟子の関係のようなもののはず。それを失脚したからといって、すぐに鞍替えするとは。
「バルシチス、おまえは恩知らずの上に恥知らずだ!」
 イージェンが苦しい息の下から罵り、唾を吐きかけた。血の混じった唾が覗き込んでいたバルシチスの目の当たりに掛かった。
「うっ?」
 側にいたマシンナートが匙のようなものでその唾を掻き取り、皿に移した。
「滓(かす)のほうがよほど恥を知っているようだな、バルシチス」
 トリストがおかしそうに笑った。手馴れた手つき、素早い執刀で切り取ったのは胃袋だった。食道と小腸を直接つないだ。さらに中を裂いていく。
「それにしても、美しい内臓だな、肝臓をはじめ脂肪がまったくついていない。血液も清浄、筋肉の発達もすばらしい」
 別のマシンナートが小刀を持って右腕に触った。
「肩の付け根からでいいですか」
 トリストは、歌でも歌い出しそうなほど機嫌よくうなずいた。
「まず右側からな、腕と脚、その次に左の腕と脚。今のところ血管を切ってもすぐに塞がり、出血が止まっているが、限界があるはず。血液を用意しておけ、もし出血が止まらなくなったら輸血しながら行う」
 手足を切り落とすのか…。
 刀で切られる激痛、血が止まり血管が繋がると苦痛は和らぐ。しかしまた切られると神経を焼き切りそうな痛みが脳天を貫く。そして、手足を切り落とされる恐怖に歯の根が合わなくなるほど震えが来た。
どうせ死ぬのに怖いとは…。
右の腕が切り落とされた。小刀で切り、大きな丸い歯で骨のつなぎ目を切断した。切り口の血管が別の生き物のようにうねって閉じていく。
「ぐあっあっ!」
 喉の奥や鼻から血を噴出し、叫喚した。どうせなら狂ってしまえばいいのに。こいつらのように。
右の脚に取り掛かっていたとき、外からの声がした。
『トリスト大教授、パリス議長より入電、そちらで取られますか?』
 トリストが手を動かしたまま、返答した。
「再度消毒するのが面倒だ、緊急かどうか確認してくれ」
 少ししてパリスの声がした。
『トリスト、ファランツェリにそいつの眼球の標本をやってくれ。翠玉のようにきれいだと言っていたから喜ぶ。わたしはキャアピィタルに戻るが、遠からずまた会うことになるだろう、それまで元気で』
「パリス議長もお元気で」
 イージェンが叫んだ。
「パリス!復讐したいなら大魔導師相手にしろ!無辜の民を巻き込むな!」
 脚の切断部分の血管が塞がっていくさまを見ていたトリストが、薄い唇を開いた。
「聞こえてないぞ、無駄に叫ぶな」
 銀の盆が取り替えられ、別の器具が乗っていた。スコルがその器具で瞼を固定し右眼を開かせた。
「やや充血してきています。きれいなうちに摘出しましょう」
「眼を取るのか」
 トリストが顔を見せた。
「ああ、ファランツェリにやれば、あの老いぼれよりわたしになつくかもしれないな」
 刀が眼に近づいてきた。
あの子は、生きながらえぐられた俺の眼球を見て、喜ぶのか…。
また涙が出て来る。
「ああ、こんなに泣いたら身体が乾くな…」
 頭に近いからか、刀が瞼を切ったとき、酷くちくちくと強く細かい痛みが眼の奥から頭にもやってきた。眼球を抉り取られた。飲み込む悲鳴もでない。気絶したほうが楽なのに、身体がしてくれなかった。もう片方にも器具をつけようとした。
「まってくれ…見えるうちに…ヴァンとリィイヴを見ておきたい」
 トリストは黙ったままだった。少し首を巡らせてバルシチスを見つけた。
「バルシチス、頼む、そのくらいは聞いてくれてもいいだろ?ヴァンにあやまりたいんだ」
 バルシチスは戸惑ったような顔でトリストの顔色を窺った。トリストが息をついた。
「いいだろう、休憩にしよう」
 トリストが手袋を外した。
「この後は頭蓋骨を割って、脳を露出させる。脳にはいろいろな刺激を与え反応を記録してみよう。最後は心臓を摘出して、ジャイルジーンに移植してみようかと思っている。いい考えだろう?」
「そんなことまでできるのか…テクノロジイは」
 イージェンが大きなため息をついた。臓器を他人に移して使うのはどこか歪んでいる。理《ことわり》に合わないものは必ずしっぺ返しを食うものだ。いつかひどいことになるだろう。
腹の中はからっぽだ。切り取ったところは縫ってつないであるが、心臓と肺の片方がかろうじて残っているだけだ。これでよく生きていられる。これ以上切られなかったとしても長くはあるまい。
トリストがガラスの外に出た。タアゥミナルのひとつに近寄り、ボォウドを叩いていた男の後ろに立った。男が振り返って話した。
「別チィイムで、ジィノム地図作成しています。見つかるでしょうか、素子は。血液も細胞も普通のヒトと変わったところは特になく…なんであんな…そのみるみるうちに血管が塞がったりするのか…」
カファをいれるよう別の男に言った。
「素子研究は、ほとんどなされてこなかったからな、デェイタも少ない」
 もし素子を発見し抽出できれば、マシンナートの中から異能の力を持ったヒトを造り出すことができるかもしれない。
受け取ったカファをすすりながらため息をついた。
「遠大な計画だ、わたしの生きているうちにはできないかもしれないが」
 ジャイルジーンのように功を焦っては失敗するが、後代に研究を託すというのも空しいように思う。
「手っ取り早い方法も試してみるか」


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