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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第59回   イージェンと鉄の箱《トレイル》(5)
 以前にファランツェリがタァミナルを使っていた部屋に入った。タァミナルを使わせてくれるなら、ヴァンには悪かったが、アリスタとふたりきりになることもしかたないかと考えた。タァミナルに向かうと、アリスタが背中から抱きついてきた。
「よせ」
 イージェンがいらだった。
「…どうして?私のこと、嫌い?」
 アリスタが鼻に掛かった甘い声で囁いた。
「嫌いじゃないが、俺はヴァンがおまえを好きだと知っていて抱くような恥知らずじゃない」
「ヴァンの気持ちはわかっているわ、だから、このミッションの間ずっと一緒に過ごしたのよ…でも、今はあなたが…欲しいの」
 イージェンがアリスタの腕を引き剥がしながら振り返った。アリスタは目を赤くしていた。
「バレーに戻ったら会えなくなると寂しがっていた」
事情はいろいろあるだろうが、情を交わした相手なのだから、それなりの別れの惜しみ方があるだろうと言った。
 イージェンは黙ってしまったアリスタを置いて部屋を出た。モゥビィルの倉庫に向かった。

 いろいろな種類のモゥビィルが何台も並んでいて、底を持ち上げる装置を使って浮き上がらせ、何人もその下に潜り込んで作業をしていた。ゆっくりと見て回っていると、奥の方で声がした。
「イージェン!」
 リィイヴだった。じろじろと見られていて少し居心地が悪かったので、ほっとして早足で近寄った。
「おまえも整備するのか?」
 リィイヴが首を振って、横にあるモニタを示した。
「ぼくはモゥビィルの行程のデェイタをまとめてるんだ。分析はインクワイァがするんだけどね」
 モニタにはこの大陸の地図が写っていて、緑や青、赤の線が書かれていた。緑がこの間王都から乗ってきたモゥビィルの軌跡だという。青や赤は別の日のもので、エスヴェルンで動き回っていたのがわかった。
「極北にも行ったことがあるんだってな」
 リィイヴがうなずいた。ボォウドを叩いて表示を変えた。
「半年前かな、極北の海でマリィンから補給受けたよ、その後マリィンはバレーに帰って、ミッシレェ装備してから南方海岸に来たってこと」
 リィイヴが回りに聞こえないようにこっそりとイージェンに言った。その補給を受けたという場所を指差した。
 バレーは海中にあるのか?少なくとも、海岸沿いでないと、マリィンは海に出られないだろう。
「…バレーはどこにある…」
 独り言のようにつぶやいた。リィイヴがはっとイージェンの横顔を見たが、何も言わなかった。
 午後になって、ヴァンがやって来た。整備はほぼ終わっていて、
ヴァンがチィイムの整備士に謝っていた。
 午後遅くにトレイルが停まった。
『トレイル・ラボ、全車停止、明朝連結作業ののち、パァゲトゥリィゲェイト進入路に向かう』
 マリィン艦内で聞いたのと同じ抑揚のない女の声が響いた。アリスタが倉庫に迎えに来て、排出口から小型のモゥビィルで外に出た。壱号車に入り、アリスタとイージェンが降り、運転士がひとりで戻っていった。
 バルシチスの部屋に向かった。部屋に入ると、バルシチスはまだ横になっていて、ファランツェリが壁際の椅子に座って、タアゥミナルをいじっていた。
「あ、イージェン!」
 入ってきたイージェンに気がついて、席を立ち、飛びついてきた。抱きとめて、バルシチスに近づいた。
「どうなった」
 バルシチスがアリスタに向かって、手を振った。
「アリスタ、車庫で待っていろ」
 アリスタが頭を下げて出て行った。
「イージェン、評議会での結論が出た」
 バルシチスが横になったまま言った。イージェンは次の言葉を待った。
「特殊検疫を済ませれば、バレーへの訪問を許可すると言ってきた」
 イージェンが驚いた。実にあっさりと許可したものだと逆に不信感を抱いた。
「特殊検疫って何だ?」
 イージェンの胸に顔を押し付けていたファランツェリが言った。
「テェエルに出たマシンナートは全員検疫を受けるの、バレーに雑菌や危険物質を持ち込むといけないから、検査するんだよ。特殊っていうのは、念入りにってこと、イージェンはシリィだから」
 見下ろすとにこにこと機嫌よく笑っている。
扉の向こうに気配を感じた。それも複数だ。自動の扉が開いて入ってきた。入ってきたものたちを見て、ファランツェリが不機嫌そうに言った。
「えー、もしかして、迎え?」
 三人は教授たちが着ている服を黒くしたものを着ていた。中で一番背の高い男がお辞儀をした。
「ファランツェリ様は先にお帰りをとのことです。お連れします」
 バルシチスがうなずき、ファランツェリに言った。
「ファランツェリ様、先にお帰り下さい」
 ファランツェリが不満そうにイージェンから離れ、つま先立った。
「イージェン、先に行ってるね、待ってるから」
 顎を上げて目をつぶった。イージェンは閉じた瞼の上に口付けした。
「また会おう」
 ファランツェリが嬉しそうに笑い、三人を従えて出て行った。
「弐号車に乗車しろ。ゲェイトをくぐって、パァゲトゥリィで検疫を受けて陰性なら、バレーに入れる。おまえの場合は、雑菌だらけだろうから、そこで殺菌することになる。そのときに暴れたりするな、おとなしくしていろ」
 バルシチスが相変わらず居丈高に言った。
「殺菌というのは、毒とか薬とか使うのか」
 一応聞いておこうと思った。
「余計な菌を持ち込んでは困るからな、菌が見つかれば、薬剤と放射線で殺すことになる」
 放射線とは身体の中の異物を殺傷する見えない光だという。
「わかった…」
 その検疫を受けなければ入れないのならしかたない。さきほどのファランツェリの様子からもそれほど深刻なものではないようだ。
「おまえは別の大陸から来たらしいが、どこからだ」
「五の大陸トゥル=ナチヤだ。それがなにか」
 バルシチスが首をふった。
「そう言えば、あんたは魔導師は平気で嘘をつくと言ってたな、マリィンで会ったときも魔導師は口が達者なものばかりとも言ってたし、どこかで魔導師と会ったことがあるのか」
 バルシチスが毛布を握った。
「若い頃に、三の大陸ティケアを巡行していたことがある。そのときに会ったが、いつも命だけは助けてやるから、さっさと出て行けと偉そうに…。人助けしようとテクノロジイを使っても啓蒙すれば始末すると脅された。それに…」
 言いかけて止めた。
「いずれわかるだろう」
 バルシチスは休みたいと吐息をついた。イージェンはバルシチスの部屋を出て、車庫に戻った。

 車庫で待っていたアリスタが、壱号車の小型モゥビィルを出してもらっていた。弐号車に送ってもらった。アリスタが小さく頭を下げて上の階に向かい、分かれた。
ヴァンたちの部屋に行った。部屋にはリィイヴしかいなかった。ふたりでランチルゥムに向かった。リィイヴが配膳しているものに何か頼んでいた。持ってきた盆に緑の豆汁とゆでた人参、玉ねぎのスライスが乗っていた。
「アリスタがこれなら食べられるんじゃないかって」
 玉ねぎのスライスに塩を掛けて口に入れた。
「ああ、なんとか」
 実際に食べられるかどうかというより、アリスタの気遣いがうれしかった。優しい女だ。自分への好意も好奇心だけではないと思う。ただ、ヴァンのことを考えると応えてはやれなかった。
リィイヴがカファを飲んで、すっかりヒトがいなくなったランチルゥムを見回した。
「今日でテェエルともさよならだから、手が空いてる連中は屋上で月を見てるよ」
「そうか…」
 食べ終えて屋上に向かった。弐号車の上だけ、観月に集まっているようだった。満天の星と第一の月が夜空に冴え輝いていた。
「空はいいね、昼も夜も」
 腰を降ろしながらリィイヴがぼつっと言った。アリスタも空と海が気に入っていたようだった。
「バレーに空はないのか」
 イージェンがリィイヴの横に腰を降ろした。
「あるけど、なんていうか…作った空だから」
 しばらくして、見ていたものたちが降りていった。最後にふたりになった。
「ヴァンは」
 イージェンが尋ねた。リィイヴは寝転がって見上げていた。
「アリスタに呼ばれて部屋に行ったよ」
 イージェンの諭しが効いたようだった。
「そうか」
「ヴァンうれしそうだった」
 リィイヴも自分のことのようにうれしそうだった。
 春の夜の風が心地よく吹いていた。
(「イージェンと鉄の箱《トレイル》」(完))


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