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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第50回   イージェンと鋼鉄のマリィン(1)
 南方海戦の次の日、イージェンは、セレンをエアリアに託してマシンナートたちのトレイルに向かう前に、南方派遣軍の様子を見に行った。
派遣軍の将軍は、先王の甥バディアルだった。反旗を翻した将軍はすでに捕らえ、小競り合いはほぼ終わっていた。バディアルは三十半ばほどで、王の甥でありながら両親の身分が低いため、王族の末席にも加えてもらえなかった。今回は千載一遇の好機だった。バディアルは、天幕で副官たちと相談していた。
「おそらく後援軍が派遣されてくるだろうが、ここで迎え撃てばいい。各地に逃げている旧王派に発令、周辺三国には新王の即位無効を訴える訴状を出す」
 バディアルが訴状を書くよう命じた。副官のひとりがペンを取って書き始めた。バディアルは茶を飲みながら、つぶやいた。
「ジェデルとネフィアを捕らえて殺すにしても…ネフィアは惜しいな…」
 副官が卑しい笑いを漏らした。
「お好きなようになさってからにすればよろしいのでは?」
 バディアルがにやりと笑った。
「そうだな、十分かわいがってやって…それからでも遅くないか」
 天幕から少し離れた木の上でその会話を聞いていたイージェンは、少しの間目をつぶった。旧王派への発令はどうでもいいが、周辺諸国への訴状はまずい。今出されては、一番遠方のエスヴェルンはともかく他の二国にはおそらくジェデルの謝罪文書より先に着く。それは避けたい。
しばらく様子をうかがっていると、旅装の何人かが出てきた。旧王派への発令書をもっていると思われた。その後から三人、出てきた。三国への訴状を持っているに違いなかった。
イージェンは、その三人を追った。途中三方に別れ、それぞれの国に向かうのだろう。派遣軍の陣地を出るところまで、木の上を伝って追った。そして、陣地を出るとすぐに木の上から目に見えない針を三人の首筋に打ち込んだ。
「うっ!」
三人は次々に倒れた。すっと地に降り立ち、三人を薮の中に引き込み、横にした。一晩くらい経てば目が覚めるはずであった。三人の懐から書簡を取り出した。訴状を見て、ため息をついた。
「ひどい文章だ、字もきたないし」
 訴状は三通とも煙となって消えた。
 イージェンは翌々日の朝、トレイルに着いた。
昨日は南方海岸を東に向かって進み、沿岸の村を見て回った。あの村と軍港以外はマシンナートたちも手を出していなかった。マシンナートたちを見かけたというものもいたが、軍港付近のことは、戦争が始まるので人払いされたらしいという噂に留まっていた。海岸に流れついた船の残骸や兵士らしき死体については、まだ海戦が始まる前なのにおかしい、三の大陸ティケアの王国のひとつが南方大島を攻撃したのではないかという話すらささやかれていた。
午前中はまだ王都の異変の知らせが届いていないらしく、執務所ものんびりしたものだったが、午後になってようやく新王即位の知らせが届き、大騒ぎになっていった。執務官の去就は追って沙汰とのことのようで、しばらくは執務も滞りそうだった。余計なこととは思いながら、それらの報告をまとめて、ヴィルトへの伝書を作って、遣い魔を送った。兄の仇ではあったが、その前にヴィルトは学院の頂点だ。おそらくカーティアが生き延びる手助けをしてくれるであろうと信じ、託した。
そうして、また沿岸を戻り、レアンの軍港にやってきたのだった。
トレイルの外の天幕にいたヴァンがまっさきに気づいた。咎めるような口調で言った。
「海戦のあと、来ないからどうしたのかと思った。ファランツェリが一晩待ってたけど、昨日マリィンに戻ったよ」
「そうか、悪いことをしたな」
 ヴァンがカファを杯に入れていた。
「それ、くれるか」
 イージェンが頼むと、ヴァンが意外そうな顔で遣した。ヴァンがイージェンを見回した。
「あの子、セレン、どうしたんだ」
イージェンが杯に静かに口をつけた。
「預けてきた」
ヴァンはがっかりしたようだった。アリスタがトレインの中から出てきた。
「イージェン!」
 抱きつかんばかりに喜びで弾んだ声で呼んだ。
アリスタもカファをもらって天幕の中の椅子に座った。テーブルには小さなモニタがあって、南方海戦の様子が流れていた。イージェンが、モニタの正面に座り込んで食い入るように見ていた。
「これが遠くのものを見られるやつか」
 しかも、過去のものでも見られるということに感心していた。アリスタが小箱を叩きながら、説明した。
「これはヴィデェオ、映像よ。記録しているから、後からでも見ることができるの」
 映像が一度止まり、最初からになった。熱心に見ているイージェンの横で、アリスタがヴァンに言った。
「今日の午後のミッション完了後、帰還するんですって」
 そして、ヴァンの耳元でこっそりと言った。
「参号車がこちらに向かってるわ。ユワン教授、見捨てられたみたい」
 ヴァンがさすがに口元を手で覆い、大きな声が漏れるのを止めた。搾り出すように言った。
「いくらなんでも…それは」
 アリスタがため息をついた。
「もちろん、これは内緒よ。たぶん表向きは逃げ遅れたとか、そういうことになるんじゃないかしら」
 聞こえないふりをしながらイージェンは午後のミッションが気になっていた。
 参号車移動…見捨てられた…逃げ遅れた…ミッション…そして、トレイル帰還。
 南方海戦は終わっている。おそらく、南方大島からの使者はまだカーティアの海岸にもついていないだろう。南方軍との次の戦いがあるとしても、少なくとも今日の午後ではない。では、逃げ遅れたユワンはどこにいる?
「…まさか」
 動悸がしてきた。
 アリスタが尋ねた。
「セレンは?どうしたの」
 ヴァンがアリスタの肩を叩いた。
「どっかに預けてきたって」
 イージェンがふっと顔をアリスタに向けた。
「トレイルはどこに帰るんだ?」
 アリスタは一瞬ためらった後答えた。
「…バレーよ。マリィンも戻ることになってるわ」
 イージェンが立ち上がった。
「また後で来るから、そうしたらトレイルに乗せてくれ」
 アリスタの返事を待たずに天幕から出て行った。ヴァンが杯のカファを飲み干した。
「また乗せてくれって、まさかバレーに行く気かな」
 アリスタが口に含んだカファをこぼしそうになった。
「まさか」
 あきれたような口調とは裏腹にアリスタの目はうれしげだった。


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