翌朝、世話役の学院生を探したが、見当たらず、他のひとたちも朝から忙しそうに行き来していて声を掛けたり尋ねたりできるような雰囲気ではなかった。途方にくれていると昨日の従者が呼びに来た。とにかく断るとかそういう言葉もいえないまま、黙って付いていくしかなかった。連れて行かれたのは昨日の部屋ではなく、学院の裏側を下っていったところにある煉瓦作りの小さな尖塔の前だった。尖塔の両脇は城壁でぐるりと王宮を囲んでいる。ところどころにこのような物見用の尖塔がある。尖塔の影から紅いたてがみの馬を連れてラウドが出てきた。 「殿下…またわたしがお叱りをうけるのですけど…」 周囲を気にしながらいつも物見台の監視兵の口封じをさせられる従者がひそっとつぶやいた。ラウドが調鞭で自分の手のひらを軽く何度か叩いた。 「そんなに叱られていないだろう。俺のほうが何倍もきつく叱られている」 いたずらっぽく従者に片目をつぶって見せて、セレンを手招き、馬とともに尖塔の中に入った。床に大きな円形魔法陣が書かれている。向かい側にも扉があった。開くと王宮を囲む森に出た。セレンを馬上に押し上げ、その後に跨った。はっと声をかけ、手綱で叩いて馬を走らせた。 馬は林道を軽快に駆け抜けていく。たてがみにしがみついていたセレンはさわやかな風にここちよくなって前を見た。木漏れ日で林の中はきらきらと輝いていた。林が切れて、町の石畳に出た。馬がゆるやかに速度を落とし、カッカッとひづめの音を立てて、常足(なみあし)で歩き出した。馬車も行きかうことのできる広さの通りだったが、それほど人の往来もなく、静かな住宅街といった感じだった。しばらく石畳の通りを行く。やがて、両脇が、石造りで四、五階建てだった建物が少なくなり、平屋の家になってきた。畑や藪も見られるようになったところで、再び馬が走り出した。ぐんぐんと速度を上げていく。少ししてラウドがやや興奮した声を出した。 「セレン、見てみろ!」 言われて首を巡らせ、ラウドの指し示す方向を見た。右手に見えてきたのは、まだ遠くだったが、異様なものだった。ひらけた荒野の只中にすすけた銀色の巨大な箱。その箱の脇に馬車の車輪を黒くしたようなものがたくさん付いている。セレンはただ驚いて見つめていた。 「はじめて見たか、あれはトレイルというもので、馬でも牛でもないものの力であの鉄の荷車が動くんだ」 セレンにはなにがなにやらさっぱりわからなかった。ラウドはどんどんその銀色の箱に近づいていく。腕の中でリュールが唸り声を上げている。セレンはその箱がとてつもなく恐ろしいもののように感じていた。
昨夜数回休憩を挟んだが、結局埒もない会議は続いていた。魔導師学院の学院長は国王直属の顧問という立場も兼ねていて、現在の学院長はサリュースというまだ壮年の魔導師だった。魔力が強ければ、地位に年齢は関係ないのが魔導師の世界だ。若くしてエスヴェルンの魔導師最高位に上り詰めたサリュースは、しかしおとなしく王宮で顧問業や教導を執り行っているような性格ではなかった。これまでも、各地を飛び回ってはなかなか戻ってこないことがあり、その間に起こる災厄の対処が間に合わないことがしばしばあった。 「やはり、ヴィルト様、戻ってきてください」 サリュースが学院長に就任してからしばらくは相談役として学院に留まっていたが、おととしから隠居することにして、あの森に引っ込んだ。だが、学院の手に余ることがあるとすぐに遣魔(つかいま)が飛んできて、手伝わされていた。先日もセレンを置いて、リアルート地方の乱水脈を鎮めに行かなくてはならなかった。再度学院に戻ってきてほしい。それは学院長代理はじめ教導師たち全員の総意だった。 「サリュースが戻れば済むこと」 今朝から会議に加わった王立軍の将校が説明した。 「隣国との外交交渉に向かったのです」 外交に魔導師が出て行くと威圧と取られるのだが、今回はその意味を込めて、学院長が出座したというのだ。 「学院長殿が示唆し、陛下が許可されたので」 「それならば時来ればサリュースは戻ってくる。それでよいのでは」 しかし、やはりサリュースだけでは心もとない、戻ってきてほしいという最初の言葉になるのだ。さすがにヴィルトも面を伏せて肩で息をついた。 「エアリアに補佐をさせればいい。なぜ戻さない」 サリュースの弟子エアリアも年は若かったが、稀代の魔力を持っていた。おととし、王都を出て、極北の氷河で修練していた。 「ヴィルト様が戻ればエアリアも戻ります」 学院長代理も疲労の色濃い顔で溜息をついた。 学院生のひとりが学院長代理に紙切れを渡した。それを見て、いっそう困った顔をした。 「今朝から王太子殿下のお姿が見えないそうです」 学院生に案内されて、体格の良い青年の年頃の兵士が入ってきた。 「どうした、イリィ・レン」 将校が尋ねると、イリィがすまなそうに頭を下げた。 「申し訳ございません、殿下がまた抜け出してしまわれまして…」 従者を問い詰めたところ、魔導師の宿舎に寄留している子どもと出かけたということだった。 「セレンとか」 いきさつはわからなかったが、気に入ったかして連れて行ったのだろうと思われた。さらに昨日、白衣の男がラウドを尋ねてきたと聞かされた。 「風体からして、マシンナートだな」 ヴィルトが言うとみな狼狽して横のもの同士でざわざわと話始めた。 「そういえば、南の平地にトレインが移動してきたという報告が」 教導師のひとりが言った。 「殿下にマシンナートが近づいたこともわからなかったのか。役立たずばかりと非難されてもしかたがない」 ヴィルトが音高く席を立った。王太子護衛部隊の隊長イリィ・レンを連れて、学院を出た。イリィが、部隊数人の騎馬兵を連れてヴィルトの後を追った。急にヴィルトが走る馬上に立ち上がった。イリィは驚き、ヴィルトの馬に近づいた。 「一足先に向かう!そのまま向かってくれ!」 ヴィルトの体が空に浮き、旋風となって南に向かって飛んでいった。イリィも後続の兵馬を促して速度を上げた。
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