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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第45回   セレンと混沌の都(1)
 カーティアの王宮は久々に静かな夜を迎えていた。ジェデルはようやく息をついた。父王を殺して以来、自分も周囲も血の臭いが絶えなかった。しかも、戴冠の式の前から、連日連夜、王としての政務が忙しく、ほとんど寝ていなかった。少しでも休むため、初めて後宮に入った。
ほんとうはネフィアのいる東の館で休みたかったが、王となった今、後宮がジェデルの寝所だった。落ち着いたら、兄王が妹姫を尋ねることに何の問題もないはずだ。そう気持ちを納得させた。
 ジェデルは、自分の即位を喜ぶものなどいないと思っていた。フィーリが喜ぶのは、側近であり幼なじみであるのだから当然だ。だが、先々代から宮廷に仕え、誠心の臣と言われたセネタ公を始め、若い執務官や軍人、学生、王都の民も歓迎している様を見て信じられなかった。
父も兄弟も魔導師たちも殺してしまった。しかもマシンナートを介入させた。到底隠し続けることはできないだろう。このままではすまないとわかっていた。進退窮まったときには…。
後宮の廊下を歩き、寝所の前に来た。両脇の護衛兵が扉を開けた。中では、ひとりの背の高い女を中心に両脇に五、六人ずつ並んでいた。一斉にお辞儀した。
「陛下、いらせられませ」
 中央の女が凛とした声で出迎えた。
「そなたは…確か…」
 女がおもてを上げた。
「おひさしぶりでございます。セネタ公の娘イリーニアでございます。このたび侍女長を任されまして、王宮の庶務長官も兼任することになりました」
 美しいだけでなく、切れ者という話だった。何度か宴で見かけたことはあったが、間近で見るのは初めてといってよかった。フィーリがこの姫を王妃に迎えることを勧めていたのを思い出した。
「フィーリがたくらんだのか、そなたをここに置いて…」
 イリーニアが真顔で答えた。
「たくらむもなにも、貴族の子女を狩り出さなければならないほど、どこも人手不足なのです。陛下があまりにたくさん殺してしまわれたので」
 ジェデルが目を見開いて見つめた。
「大胆だな、余が怖くないのか」
 イリーニアが頭を下げた。
「父より陛下にお味方することを打ち明けられたときから、死は覚悟しております。今更なにを恐れましょう」
 失敗すれば、反乱軍として処刑される。その覚悟をしていたということだ。イリーニアが側の侍女を招き、ジェデルの腰のものを受け取らせた。
「身の回りのことは自分でする」
 寝所の奥の寝床に向かった。湯を用意してあり、そこで身体を拭って、夜着に着替えた。ベッドのある部屋に入ったが、ベッドの前で足が止まった。ついこの間まで父王と王妃が寝ていた場所だ。急に気分が悪くなった。
「陛下」
 イリーニアが声を掛けた。ジェデルがいきなり手近にあった花瓶を投げつけた。
「入っていいと言ってないぞ!」
 イリーニアは難なく花瓶を避け、顔色一つ変えずに手にした盆上の杯を差し出した。
「寝酒でございます。これを置きましたら、下がります」
 ベッドの横のテーブルに杯を置き、頭を下げた。
「陛下、しきたりにより後宮の調度品は全て新しくいたしました。経費が掛かりましたがお許し下さい」
 砕けた花瓶の破片を拾い、盆の上に集めて、部屋を出て行った。ジェデルは、杯の中身を一気に空けた。全て新しくしたと聞いて、気持ちよく寝られそうだった。ベッドに倒れこんで眠りについた。
 イリーニアは、後宮を出て、執務宮に向かった。内府の一室で、父セネタ公とフィーリが待っていた。入ってきたイリーニアを見て、セネタ公が尋ねた。
「陛下はお休みになられたか」
 イリーニアがうなずき、壁際の茶器の置いてあるテーブルに寄った。
「朝までぐっすりお休みになられるでしょう」
 セネタ公が地図を広げた。報告によれば、南方派遣軍の抵抗はまだ続いていて、現存の勢力では制圧は無理と思われた。
「王位簒奪を聞いて、バディアル将軍が仇討ちとばかりに息巻いているらしいのです」
 フィーリが困っていた。セネタ公がテーブルを指で叩きながら言った。
「仇討ちで王位に就こうという魂胆だな」
 バディアル将軍は、先王の甥だった。つまり、ジェデルたちの従兄である。ただ、母親は侍女腹で降嫁先も大公家ではなかった。援軍を出す手はずは整っていた。明日明後日の内には出発、すでに王立軍のほとんどを掌握しているので、後援を出せば収められるはずであった。
「今日南方大島軍との戦いがあったのですが…」
 フィーリがさらに肩を落としていた。茶を入れてきたイリーニアが杯を置きながら尋ねた。
「マシンナートから戦況をお聞きになったのですか」
 フィーリが一礼して、茶を飲んでため息をついた。
「聞きました、半時で百五十隻のうち、百三十隻撃沈、敵兵のほとんどは死んだそうです」
 セネタ公もイリーニアも驚きのあまり、杯を皿にガチンとぶつけてしまった。
「半時で!」
 水中を進む鉄の槍で船底を攻撃、その槍の中には爆発する仕掛けがあって船そのものを破壊してしまうのだという。
「うぅむ、やはりマシンナートの武器は…」
 セネタ公が腕組みしてうなった。イリーニアが地図を見つめた。
「これで我が国はマシンナートを介入させた国家として、周辺諸国より攻撃されるのでしょうね」
 エスヴェルンや東バレアス公国が攻め込む。険しい山脈が国境であるルシャ・ダウナは直接行動には出ないとしても、対戦国的立場を取るだろう。それは王たるジェデルが覚悟していることではあったが、もし王立軍や民がこのことを知ったら、おそらく反乱を起こすだろう。そうなれば、もう国防どころではなくなる。
「カーティアはなくなる」
 亡国。地図から国の名前が消える。
「そのようなことにはさせない」
 セネタ公がフィーリを見た。
 フィーリもセネタ公の言いたいことはわかる。が、しかし、それをジェデルが承知するだろうか。そのとき、護衛兵が入ってきた。
「侍従医のユディトがフィーリ様に面会を申し出ています」
 フィーリが首を傾げた。侍従医長のソリンとは顔見知りだが、ユディトとはほとんど面識はない。入るよう告げた。ユデットはセネタ公たちが同席していることに戸惑い、頭を下げたままでいた。
「われらがいるとまずいのならば、席を外そうか」
 セネタ公が尋ねるとユデットが顔を上げた。
「いえ、閣下にも見ていただければ」
 そう言って懐から紙を出し、フィーリに渡した。フィーリが読んだ。驚いてユデットを見た。
「これは…」
 紙をセネタ公に渡した。セネタ公が黙って読んでからイリーニアに差し出し、読むように言った。イリーニアが読んだ。
「フィーリ殿、貴殿の苦衷は察するに余りあります。…」
 文書は、イージェンからフィーリに当てたものだった。そこには、カーティア学院長の立場で、エスヴェルンの大魔導師ヴィルトに今回の反乱とマシンナートの介入について、事情を説明した文書を渡した。新王権の取るべき対処を提示してほしいと要望した。混乱を嫌う学院が対応すれば、最悪の事態は免れるのはないかと思われる、そのためにどのような態度を取らねばならないかは、ヴィルトからの指示があるはず、それに従い、誠意を見せることである。これ以上のことはできないが、フィーリの務めがうまくいくことを願っている、とあった。
 フィーリは目を真っ赤にして堪えていた。ユデットがその文書はイージェンが王都を立つ朝、調薬の指示書に紛れ込ませて渡してきたものだと説明した。セネタ公が大きなため息をついた。
「これほどのお心遣いをしてくださっていたとは。今からでも、戻っていただけないものか…」
フィーリはただ目頭を押さえた。イリーニアが紙を畳み、フィーリに返しながら尋ねた。
「大魔導師様のご指示を待つとして、陛下はご承知なさいますか、マシンナートを排除することを」
 フィーリが困った。ネフィアに説得させることも考えたことはなかったが、おそらく兄王の前では何一つ言えないだろう。セネタ公が声を潜めて言った。
「とにかく今は大魔導師様のご到着を待とう。それまではマシンナートたちを泳がせておく。イリーニア」
 イリーニアが頭を下げた。
「明日一日、陛下を後宮に留めるように。お食事を用意し、妹君を東の館からお連れするんだ」
 イリーニアが承知した。東の館はマシンナートたちの拠点になっている。セネタ公はネフィアの安全を確保したかった。フィーリはまさかのことを心配したが、人の目の多い後宮では滅多なことはないだろうと思うしかなかった。


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