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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第392回   イージェンと黄金の道《ブワドゥウオゥル》(3)
 それから十日ほど経った頃、ジェトゥが会頭の主務室でアギス・ラドスの代わりに書類に眼を通していたとき、窓がコツンと叩かれた。気配もなにも感じなかったので、いよいよ来たのかと立ち上がった。
 窓際に立つと、窓の外に灰色の仮面を着けた灰色のかたまりが浮かんでいた。そっと窓を開けた。
「イージェン様」
 ジェトゥが軽く頭を下げると、ふわっと中に入ってきた。机の上をちらっと見て、イージェンが皮肉った。
「魔導師が金勘定か」
 ジェトゥがふうと肩で息をした。
「リンザーから聞いたのですね」
 イージェンが首を振って、部屋の隅の長椅子に腰掛けた。
「いや、リンザーはお前のことは一言も言わなかった」
 俺がその気になれば、どこにいても探せると言われ、そうでしょうねとイージェンの前に立った。座れと言われて、長椅子の向かい側の椅子に座った。
「おまえがアギス・ラドスの子どもだったとはな」
 いきなり扉が開いた。
「父さん! サラヴィアの見世物小屋にこいつ、連れて行っていいかな?!」
「はなせ! 外に出るのはやだって言ってるだろう!」
 背は高いがまだ幼さの残る少年が、色白で小柄な男を引っ張って飛び込んできた。
「アルトゥール」
 ジェトゥがあきれて額に指を付けた。
「あれほど扉を叩いてから入れといっているのに」
 アルトゥールが、長椅子に腰掛けていた大男が振り返ったのを見て、顎をがくがくさせた。
「出ていくんだ」
 ジェトゥがふたりを押し出した。
「おじいさんには言わないように」
 ふたりの目の前で扉を閉めた。
「息子なのか」
 ジェトゥが嫌そうな顔でうなずいて、椅子に座った。
「妻子がいたとは」
 意外そうに言われて、父のために側女に産ませただけですと顔を逸らした。
イージェンが、凝った造りのテーブルの上にふところから出した書面を置いた。顎で示されてジェトゥが手に取り、さらっと眼を通した。
「総会の議事録と資料……なぜわたしに」
 返すよう出された手に戻した。
「手助けしてくれたから一応な」
リンザーだけでは鎮化できなかったのは明らかで、ジェトゥが手伝ったことはばればれだった。
「あなたとティセア様は因縁があったのですね……」
 言いかけてはっと思い当たった。
「もしや、あのときの……」
 イージェンがようやく気が付いたかと仮面をまっすぐに向けた。
「おまえとも因縁があったわけだ」
 ジェトゥが過日のあの日のことを思い出した。ティセアの子どもを抱きかかえて、呆然と立ちすくんでいた背の高い若い男。黒髪に翠の瞳。ティセアは雇った従者と言っていたが、嘘だということはわかっていた。山奥の小屋に若い男女がふたりきり、いくらティセアが身重だったといっても、なにもなかったわけがないと思っていた。
「これからおまえにやってもらいたいことがある」
 えっとジェトゥが仮面に眼を向けた。てっきり殺しにきたと思ったのだ。
「議事録にあるように、異端を地上に慣れさせるために訓練施設を作ることになる」
 その費用を各国の国力に応じて負担させるつもりだった。
「五大陸全国家、全自治州の国力を資料にして俺のところに持ってこい」
 おまえたちは正確に把握しているはずだと言われ、ジェトゥが呆れていた。
「なるほど、正直には言ってこないと見ているわけですね」
 イージェンが、どの国だって、異端のための金など出し渋るだろうからなと苦笑した。一式をふところに戻し、別の袋を出した。
「これは、グルキシャルの金庫にあったやつだが、こういうものを造るのはやめろ」
 ばら撒く金もきちんとした比重にしろとテーブルに放り投げた。ジェトゥが袋から零れた金貨をつまみ上げた。
「これはかなり前に造られたものです。父が会頭になってからは、造っていません」
 なかなか回収は難しいですと袋に戻した。袋を返そうとするのをいらんと手を振った。
「やらせるばかりではと思って、儲け話ももってきた」
 タダ働きは損得で動くおまえたちとしては不満だろうからなと不敵に笑った。ジェトゥが驚いて目を見張った。
「バランシェル湖の焼け跡に鋳造所を作れ」
 バレーを始末するまでに鉄材だけ運び出し、原料としていいいと持ちかけた。ジェトゥが言葉もなく見つめていた。
「鋳造所の炉は俺が精錬してやる」
 最強の鋼が造れる炉にしてやる、材料としても鋼鉄器を作っても高く売れるぞと言われて、ジェトゥがようやく肩の力を抜いた。
「まさか、その上前をはねようとか?」
 もちろん、何割か寄こせと平然としていた。ジェトゥがははっと笑って手を振った。
「いや、大魔導師ともあろう方とは思えない」
 そう言いながらもどこか面白がっているような笑い声だった。
「学院には内緒だ」
 それは自分の逃亡を見逃してくれるということだ。それを交換条件に受けろということだろう。
やれやれと呆れた様子で否やとはいえませんねと『たくらみ』に乗ることにした。
 そのとき、扉が激しく叩かれた。取っ手をがちゃがちゃと動かしているが、さきほど施錠したので開かなかった。
「ジェトゥ、ジェトゥ! 返事をしろ!」
 低い男の声だ。ジェトゥがため息をついて、イージェンに頭を下げてから扉を開けに行った。
「落ち着いてください、お父さん」
 開けたとたん、ジェトゥが生きていたと涙を溢れさせた。だが、後ろから灰色の仮面が出てきたのを見て、両膝を付いて、その裾にすがった。
「どうか、息子を、息子を殺さないでくれ!」
 殺すなら老い先短い自分をと頭を下げた。
「お父さん、やめてください」
 ジェトゥが立たせようとしたが、アギス・ラドスが首を振った。たとえ、相手が国王だろうが学院長であろうが、決して頭を下げるようなことはしない。金で動かぬものはないと豪語する、動かぬなら殺してしまう、それがヴラド・ヴ・ラシスの会頭アギス・ラドスだった。だが、今、魔導師の前に、ひざまずき、頭を下げ、命乞いをしていた。大切な息子のために、恥も外聞も捨てていた。
「ヴラド・ヴ・ラシスのアギス・ラドスは血も涙もないと聞いていたが、身内にはそうではないのだな」
 仮面からまだ若い男の声がした。アギス・ラドスが真っ赤な眼で見上げた。
「俺は幹部のこいつに、あまり派手にやるとつぶすからなと脅しにきただけだ」
 急ぐのでと一瞬にして姿を消した。
ジェトゥがアギス・ラドスを支えながら立たせた。嗚咽を漏らす背中をさすってやりながら、その後ろで突っ立っていたアルトゥールを叱った。
「おじいさんには言うなと言ったのに、余計な心配をかけてしまったではないか」
 言うことを聞けないのなら、遊びに行かせないぞといわれて、アルトゥールがしゅんとしてごめんなさいと頭を下げた。
「わかったならいい。アリアンに見世物小屋を見せてやれ」
 アルトゥールが、とたんに元気になって、嬉しそうに、嫌がるアリアンを無理やり引っ張って連れて行った。
アルトゥールは、抵抗する力もないくせに生意気な口を聞くアリアンをどういうわけか気に入ったらしく、いつも側に置いていた。アリアンは本拠の外に出るのを嫌がっていたが、アルトゥールはどこに行くにも一緒に連れていった。
 心配そうにしているセアドにどうやら助かったようだとジェトゥが肩で息をした。セアドがほっとしたような、困ったような複雑な顔をして、連れて行かれるアリアンを見送った。
 馬繋ぎ場から従者が引き出してきた馬にアリアンを押し上げ、アルトゥールが、その後ろにまたがった。
「やだって言ってるだろ! 外は嫌いだ!」
 アリアンが怒鳴り続けているが、アルトゥールはかまわずに馬の腹を長靴で蹴って進ませた。
「面白いぞ、サラヴィアの出し物は」
 ハバーンルークは貧乏な国なので、あまり商売にならないから、興行が回ってくることは滅多にない。サラヴィアの一座は、獣の出し物などの見世物小屋の一座で、いつもはウティレ=ユハニ国内を回っている。だが、異端の攻撃で王都や周辺が被害を受けたので、追悼のためもあって、派手な行事や興行を控える『触れ』が出ていたのだ。それで、しかたなく隣国にやってきたということだった。
「この大陸にはいない獣とか、見られるから」
 大きな猫のような獣やら大きなねずみやらいるからと聞かされ、ようやくアリアンがむすっと膨れながらもうなずいた。
「アリアン、おまえが一番好きなのは、俺だよな」
 急に言われてアリアンが背中のアルトゥールを振り返った。戸惑った顔をしていたが、すぐに、一番好きなのはとうさんだと怒った。
「おまえなんか、嫌いだ」
 一番嫌いだとぷいと前を向いた。アルトゥールが満足そうに、にやっと笑い、手綱を振って馬の足を速めた。


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