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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第390回   イージェンと黄金の道《ブワドゥウオゥル》(1)
 イージェンは、五大陸総会後、学院長との個人面談を終え、問答集を作り、ダルウェルに複製配布を頼んで、王宮を出た。セラディムのアリュカ学院長も『空の船』に乗せていくことにした。サリュースは、アリュカを抱きかかえて『空の船』まで運び、半月湖を飛び立つのを見送ってから帰国した。
『空の船』は、カーティアを出発し、ゆっくりと大陸東に向かって飛んでいった。
 ティセアとアリュカは女同士、しかもふたりとも身籠っているので、いろいろと話すことがあるらしく、ラトレルの世話をしながら、のんびりと過ごしていた。
 一の大陸を離れ、外洋に出てから、水面すれすれに飛ぶ『空の船』に大型のセティシアンが何頭も伴泳していた。
「わあ、魚さん!」
 セレンが、甲板の手すりの上から身を乗り出すようにして下を覗き込んではしゃいだ。どれとティセアとアリュカが寄っていき、見下ろした。
「セレン、あれは魚じゃないのよ、獣なの」
 アリュカに知らないのねと言われ、セレンがしょぼんとして手すりに顎を乗せた。
「いいんだよ、あれは魚なんだ」
 怒ったような顔でアートランがセレンを抱き上げて、そのまま手すりを乗り越えて海に飛び込んだ。
「アートラン!?」
 魔力の球に包まれて、海の中を泳いだ。
「魚さんと違うの?」
 セレンが寂しそうにアートランの胸にしがみついた。
「同じさ、水の中の生き物だ」
 セレンが機嫌を直してうれしそうにうなずいた。
「水の中のいきもの」
 そうさとアートランが一番大きなセティシアンの背の上に乗った。
……飛べ。
 命じると、セティシアンがズオォォンと身体を持ち上げ、水面から飛んだ。ぐるっと身体をねじり、バシャーァァンと水柱を上げて、再び海の中に潜った。
「キャァッ!」
 セレンが悲鳴を上げて、セティシアンの背中にしがみついた。
「このままセラディムまで行くぞ」
 セレンが眼を輝かせて、冷たくざらっとしたセティシアンの皮に頬を付けた。
 イージェンが、用があるので一日留守にすると出て行った後、『空の船』は、ゆっくりと洋上を航行していた。
 ルカナが談話室で書面の整理をしていると、『空の船』の従者頭のニィイルが夕食の片付けが終わったと報告に来た。茶器も持ってきて、ゆっくりと入れて茶碗を差し出した。
「セレンさまに教わりました」
 どうぞと捧げもってきたので、そんなにかしこまらなくていいのよと笑った。ゆっくりと含んでうなずいた。
「おいしいわよ」
 ニィイルがうれしそうにうつむいた。ルカナがその様子に自分に気があるのがわかった。困ったわぁと思いながらもうれしかった。
「もう下がって休んで」
 見張り番に立つのでと腰を上げた。ニィイルがはいと了解して茶器を持って厨房に置きに行った。
 ルカナが甲板に出ると、ヴァンがリュールとウスルの入った箱の横で寝そべって星空を眺めていた。
「星見してるの?」
 ヴァンが身体を起こし、頭に手をやった。
「キレイだなと思って」
 そうねとルカナも見上げた。
「リィイヴ、たまには帰ってこられるかな」
 空や星見るの、好きだったから、ずっとキャピタァルだとかわいそうだと目を細めていた。
「お休みくらいあるでしょ?」
 魔導師だってたまにはもらえるんだからとヴァンの横に座った。
「へえ。休みのときとかって、なにしてるんだ?」
 ヴァンが意外そうに尋ねてきたので、ルカナが苦笑した。
「ヒトによるけど、わたしはいろいろな市場に行って、美味しいもの食べまくるの」
 それくらいしかお給金使うことないしと肩をすくめた。
「そっか、いいなぁ。うまいもの、いろいろあるもんな」
 ルカナが、じゃあ、今度一緒に行こうかと誘った。
「えっ、いいの? 俺、金ってやつ、もってないけど」
「付き合ってくれるなら出してあげるから」
 ひとりだとつまらないのよねと言うと、ヴァンが顔を輝かせた。
「じゃあ、セレンやカサン教授もいいかな」
 大勢の方が楽しくなるとうれしそうにしていた。
「えっ……」
 そんなに大勢と呆れたが、それもいいかと思い直した。
「ヴァシルも誘おう」
 ヴァンの提案に、そうだ、そうしよう、ヴァシルと『割り勘』にしちゃおうとルカナもうれしそうに輝く星空を見上げた。
 
『空の船』は、翌々日にセラディムに着いた。戻ってきたイージェンに、アリュカが前のときと同じく王宮北の湖に留めるよう勧めたが、断って沖合いに留めることにした。
セティシアンに乗って泳いできたアートランとセレンは、すでにセラディムの王宮に着いていた。
 アートランとセレンは、食堂で夕食を食べようと学院の食堂に入った。何十人か学院生や教導師たちがいたので、賑やかだったが、みんな、アートランが入ってきたのを見て、押し黙り強張った。アートランたちが窓際の席に座ると、入口近くの遠ざかったところに移動して、縮こまるようにして食べた。
「……あの子? アートランが連れ去ったとか……」「大魔導師様のお弟子って話だけど……」「……あの子も食べられちゃうのかしら?」「まさか……」
 こそこそと話している連中の方に向かって、アートランが指を弾いた。小さな粒のようなものがピッピッと次々に飛んできて、水の入った硝子杯を粉々に砕いた。
「ひいっ!」「きゃあっ!」
 みんな、あわてて盆を持って立ち上がり、下げ膳所に置いて出て行った。セレンが気が付いて、首を傾げた。
「アートラン、みんな、いなくなっちゃった」
 厨房から従者が出てきて、砕け散った硝子の破片を掃除していた。
「もう食い終わったんだろ」
 アートランが皿の野菜を鷲掴みして口に入れた。
 食べ終えて、学院長室で待っていると、イージェンとアリュカが到着した。
「遣い魔でイージェン様の到着を知らせておいたので、戴冠式の準備はできています」
 明日執り行うよう、すでに王都に『触れ』を出していた。
「どうりで、市場も水路も花だらけだったわけだ」
 アートランがなるほどとうなずいた。王都も王宮も、花々で飾られ、賑わっていた。
「明日、あなたたち手伝ってね」
 アリュカがうれしそうに衣装合わせをしにいきましょうとふたりの背中を押した。
「やだよ、俺がすることないじゃん!」
 アートランが嫌がったが、いいでしょとアリュカにせがまれてしぶしぶ学院の衣装部屋に向かった。後ろからイージェンも付いていき、儀式用の装束を出してもらった。
「これは」
 イージェンが無理だなと返した。金色の縁取りの肩掛けが胸で交差していて、腰布を巻くものだった。その上から白い布を被るようだったが、胸や腹、背中、脚の部分が剥き出しになるので、着られなかった。
「アランテンスが使ったものはないのか」
 それならばと年老いた衣装係が、奥から箱を出してきた。金色の縁取りがされた白い布が何枚も入っていた。
「これを巻き付けていました」
 巻き方が独特のようなので、『しきたり』の書を見せてもらうことにした。
「陛下にお会いになりますか」
 アリュカが帰国の挨拶もしていないのでこれから向かいますがと言われ、もうすぐ到着するものがいるから、そのものと訪ねると告げた。
「ヴァシルか?」
 アートランが振り向いた。ああとイージェンがうなずいた。
 ヴァシルが来るまでの間、宿舎ではなく、アートランの部屋で待つことにした。特級魔導師ひとりひとりに与えられている教導師室だった。寝たりくつろいだりする個人部屋とは別にあり、学院生に個別に教導したり、書面作りなどや道具の精錬などの作業を行なう部屋だ。
 大きな机と応接用の長椅子、何も入っていない書棚が周囲をぐるっと巡っていた。
「みごとになにもないな」
 イージェンが呆れたように見回した。
「ああ、ほとんどいなかったからな」
 アートランが肩をすくめて、長椅子に腰掛けた。窓を背にした大きな机の椅子にはイージェンが腰を降ろして、学院長室から持って来た美しく漉かれた茶色の式次第用の紙を広げた。
「おまえが書くか」
 イージェンが羽ペンをインク壺に入れる前にアートランに振った。アートランが隣に座ったセレンの耳を舐め始めた。
「あんたの仕事だぜ」
 セレンが顔を赤くして押し退けようとした。
「アートラン、師匠(せんせい)が……いるのに……」
「食いたくなってきた」
 耳の端ならいいかと聞かれて、セレンがブンブンと首を振った。
「だめっ、だめだよ」
「じゃあ、指の先とか」
 右の手の指先を柔らかく噛んだ。だめっとセレンが手を引っ込めたのをくすくす笑って、今度は左の手を握った。
「左ならいいだろ?」
 やだやだと首を振ってセレンが師匠助けてと手を伸ばしてきた。
 アートランがからかっているだけとわかっているので、イージェンは呆れて手を振った。
「少しくらいなら食わせてやれ」
 苦笑しているのでセレンがようやくからかっているのだと気が付いて、ふわぁと力を抜いた。
「もう、ぼく、ほんとに食べられちゃうのかと思った」
 アートランが食べてしまいたいくらいかわいいんだよとセレンの髪を指に巻きつけた。セレンが真っ赤になって顔を伏せた。
廊下にヒトの気配を感じたアートランが、セレンから離れた。扉が叩かれてアートランが開くと、小柄な侍女がワゴンを押して入ってきた。
「えっと……『しきたり』の書、持っていけって言われたので」
 たどたどしくワゴンの上から机の上に書物を置いていく。肘がインク壺に当たり、壺が倒れてインクが零れてしまった。
「あっ! ご、ごめんなさいっ!」
 あわてて壺を起こそうとして、逆に中身を全部ぶちまけてしまった。すばやく駆け寄ったアートランが書物を、イージェンが紙を持ち上げた。インクは机のかなりの部分に広がっていた。
「なにやってんだよ」
 アートランが侍女を叱ると、侍女が何度も頭を下げた。
「だ、大魔導師さまのとこだから、粗相のないようにって言われて……」
 余計に緊張したのだろう。雑巾を持ってきますと出て行き、ほどなく桶と雑巾を持って来て、拭き出した。
「おまえ、ヒュグドゥだったな」
 イージェンがきれいになった机の上に紙を置いて、僅かに残ったインクに羽ペンの先を付けた。侍女が顔を上げた。
「はい……」
 『しきたり』の書に手を置いて、アートランがヒュグドの心を読み取った。
 ヒュグドゥの心にヴァンのことが思い浮かんでいた。まだヴァンのところに行けるものならと思っていた。
 アートランが書物から手を放した。
「ヴァンのことは、もうあきらめろ」
 ヒュグドゥがぐっと堪えるようにしていたが、首を振った。
 アートランが桶を持った。
「ヴァンはお姫様が好きなんだ、おまえみたいな商売女、相手にしないぜ」
 早く仕事に戻れと桶を突き出した。ヒュグドゥがかっとなったようで、桶を奪うようにして取り、扉を乱暴に開けて出て行った。
「あそこまで言わなくてもいいものを」
 イージェンがペンを走らせながらため息をついた。アートランが開けっ放しにしていった扉を静かに閉めた。
「あのくらい言わないとあきらめない」
 後でどこか下働きの口でも探してやるよう副学院長に言いつけておくと長椅子に戻った。
 ヴァンは、ティセアの子どもが産まれたら、たくさん世話したいと思っているのだ。セレンやリュール、ウスル、カサン、ラトレルと『空の船』で過ごしていけるのを嬉しく思っている。ラトレルがもう少し大きくなったら思い切り遊んでやろうとわくわくしている。ときどきルカナやヴァシルと市場に遊びに行けたらいいなぁ、リィイヴやレヴァードもたまには帰ってくるかもと楽しみにしていた。ヴァンの思い描く日常に、あの娘の入る余地はないのだ。
「そうだな」
 イージェンがうなずいて、式次第を書き上げた。


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