リンザーは、てっきりユリエンが自分とアルバロ以外の学院長に同調を求める伝書を送っていると思っていたのだ。だが、探りを入れてみたが、そのような伝書は受け取っていなかった。スキロスやハバーンルークなどの学院長たちは、それぞれの立場でどうするかを考えているようだった。リンザーがふらっと身体を揺らした。 「まだ回復してないのか」 ユリエンが支えながら池のほとりの石に腰掛けるように連れて行き、その前に立った。 「ああ、ここへもアルバロとリギルトに連れてきてもらった」 だいぶ良くなってきたがと疲れた様子だった。 「あのようないやしい育ちのものなどを大魔導師として戴くことなどできないと思っていた」 ユリエンが、罪深い堕落者の子、忌まわしい生まれで、いやしい育ちのくせにと思っていたと正直に話した。 「だが、生まれがどうのなどと、いえたものではないだろう。わたしやおまえだって、罪人の子どもかもしれないのだし」 リンザーがぐったりしながら呆れていた。 「育ちだって、学院に引き取られていなかったのだから」 ユリエンが小さく顎を引いた。 「今も勝手にわたしの椅子に座られたことは不愉快なんだが」 リンザーが訳が分からない様子で小首を傾げた。 「必要だろう、やはり。大魔導師は」 しかたないというような言い方だったが、ユリエンとしては素直には認められない風を装っているだけだった。 出かける前に王都に戻り、リュドヴィク王と徹底的に話し合って来た。その中でサディ・ギールから大魔導師承認撤回案を出すようにとの要請があったことを話すと、リュドヴィクはユリエンを叱り付けた。 王都襲撃のとき、真っ先に駆けつけてくれて、どれほど心強かったか。侮辱したことも不問に付してくれて、厳しくも懐の深い方だとわかった、そのような方を大魔導師として認めないという意味がわからんと言われた。ユリエンも受け取っていた伝書の数々からその人柄はうかがえた。ヴァシルから諫言を受けたこともあって、イージェンの存在の大きさを認めざるを得なかった。 「いいのか、サディ・ギールとは密約を結んでいるのでは」 リンザーが念を押すと、ユリエンが険しい目をした。 「ティセア姫を使って、わが王を操れだなんて」 確かに意見の違いで衝突もするが、もともと子どものときからリュドヴィクの大陸統一の誇り高き理想を実現したいと助けてきたのだ。グリエル、ウォレヴィ、ユリエンの三人にとって、リュドヴィクは主(あるじ)であると同時に友でもあった。女を餌に操ればいいなどと言われて不愉快極まりなかった。 「ああ、それは聞こえていた。確かに『操作』も学院の仕事ではあるが」 生まれや育ちにこだわるわりには下劣なやり方を勧めるのだなと苦笑していた。 「ティセア様はイージェン様の元にいてもらったほうがいい」 よその男に走ったなどと聞かせてはつらいだけだし、無理やり連れて行って苦しめたくもないとユリエンが肩を回した。リンザーがゆっくりと立ち上がって、戻っていくユリエンの後を追った。 それぞれの思惑が交錯する中、カーティアの学院の夜が更けて行った。
カーティア王都の南のはずれにこじんまりとはしていたが、きちんとした貴族の館の門構えの屋敷があった。国王側近フィーリの実家である。父親は早くになくなり、母ひとり子ひとりだった。 フィーリはずっとジェデルの側近として王宮に勤めていて、滅多に帰ってこなかったので、屋敷には母親がひとり寂しく住んでいた。だが、学院長ダルウェルが学院を放逐されていたときに所帯をもった弟子のマレラと娘が住むことになり、いっぺんに賑やかになった。 ダルウェルも五日に一度くらいは泊まりに来る。魔導師なので内緒の妻子だが、事情もあることを屋敷のものたちも承知してくれた。フィーリの母親も従者や侍女たちも喜んで世話をしてくれた。 ダルウェルが急に訪れたので、マレラが叱った。 「師匠(せんせい)、こんなところで油売ってていいんですか」 セラディムの王太子一行が来ているし、明日には条約調停式がある。しかも五大陸総会も開かれるというので、こんなところに来ている暇などないはずだった。 「そうなんだが、会わせたいヒトが来たんで」 どうぞと部屋の中に入れた。マレラが目を丸くして驚いた。 「リギルト様?!」 ガーランドの学院で一緒だった老魔導師だ。地方を巡回することが多く、土産だとみんなに地方の名物をふるまったりして、優しいヒトだと思っていた程度で、あまり関わりはなかった。 「元気そうでなによりだな」 そろそろ隠居なので、ダルウェルに挨拶したくてアルバロと一緒に来たんだと話した。 「そうでしたか、もうそんなお年でしたか」 マレラがまだまだできますよと笑った。 「子どもが生まれたと聞いたんだが」 ダルウェルが奥のゆりかごの側に連れて行った。柔らかそうなふとんの中に、ぷっくりと丸い頬をした赤ん坊が手を振り上げていた。マレラの赤ん坊のころにそっくりだった。 「おお」 リギルトがしげしげと見つめた。マレラが赤ん坊を抱き上げて、リギルトに差し出した。 「抱いてあげてください」 リギルトが戸惑っていたが、ダルウェルにも祝福してやってくれと言われ、おそるおそる受け取った。 「うわぁあん」 少し嫌がるように身体を振ったが、指を舐め始めて見上げてきた。澄んだ茶色の瞳に自分の顔が映っていた。胸が熱くなり、眼が真っ赤になった。 「よいものだな」 リギルトがしみじみといい、マレラがはいとうなずいた。 「なんという名前だ?」 ダルウェルがそれがとマレラと顔を見合わせた。 「アランドラと付けた」 リギルトが強張った笑いを見せた。 「それはそれは、またあやかるにしてもずいぶんだな」 ダルウェルが、イージェンにもやめておけと言われたがと頭をかいた。 「丈夫であの年まで長生きしてくれればと思って」 リギルトが優しい目でアランドラを見つめた。 「そうだな、丈夫で長生きしてくれ、アランドラ」 ふたりもいつまでも仲良くなと言って、アランドラをマレラに返した。 マレラがうれしそうに見送る中、屋敷を飛び立った。学院に戻る途中、リギルトが頭を下げた。 「ダルウェル、ありがとう、これでいつ死んでもいい」 ダルウェルがまさかと手を振った。 「まだまだやれるだろう、アルバロが、人手が足りないだろうからここでスケェィルの番や文書の整理をさせたらと言ってくれたし」 リギルトがえっと眼を見張った。 「この国で働けと?」 ダルウェルがうなずいた。 「娘と孫の側で、余生を過ごせばいい」 リギルトが甘えていいのだろうかと戸惑ったが、どうせ、それほど先は長くない。残りわずかなときを娘と孫の側で過ごせるならと喜んで受けることにした。
翌朝早くから執務宮の儀式殿では、調印式の準備が行なわれていた。式は、カーティアのセネタ公の進行で進められ、無事終了した。午後からは祝宴が開かれるとのことで、晴れやかで賑やかな空気に包まれていた。 逆に同じ王宮内でも学院では緊張が高まっていて、ピリピリとしていた。 開会前に昨日顔合わせにいなかったサディ・ギールのために、入場したものが名乗りにいくことになった。先に席についたサディ・ギールの前に立ち、国名と名前を名乗ってから、自分の席に着いた。 「これではまるでサディ・ギールに『挨拶』しているような……」 リンザーが隣のアルバロにぼそっとつぶやいた。アルバロも不愉快そうに目を細めていた。 最後に五の大陸イェルヴィールのヴィルヴァがカンダオンのテェーム、シヴァンのアグリエルと三人でやってきた。 「五の大陸イェルヴィールのヴィルヴァだ、右がカンダオンのテェーム、左がシヴァンのアグリエル」 テェームとアグリエルが小さく顎を引いた。ほかの学院長たちは、ひとりひとり自分で名乗ったのだが、ヴィルヴァはふたりを部下のように紹介した。 「おまえ、目上への礼を欠いた無礼者だったな」 サディ・ギールが皺の間でぎろっと眼を剥いた。どうせゾルヴァーから『競い合い』のことを聞いたのだろうと、ヴィルヴァが険しい顔でサディ・ギールを睨みつけた。 「魔導師の世界、魔力が強いものが上に立つ」 年など関係ないと後ろのふたりに顎をしゃくって、席に向かった。フィナンドが不愉快さで拳を震わせていた。 全員が着席し、議長のダルウェルがクリンスに手を振った。クリンスが出て行き、しばらくして灰色の外套に包まれたイージェンがゆらっと入ってきた。 「起立」 ダルウェルが号令を掛けると、ガタッと音を立てて全員立ち上がった。サディ・ギールも杖にすがり、フィナンドに手を借りながら腰を上げた。 「イージェンだ、遠方からの来訪に感謝する」 小さく頭を下げた。着席するよう手を動かした。 ダルウェルが議長机の中央に立った。コホンと咳払いしてから口を開いた。 「紀元三〇二五年八の月十二日、五大陸学院総会の開会をここに宣言する。議長は開催会場一の大陸セクル=テュルフ・カーティア学院長ダルウェルが務めさせていただく。承認いただきたい」 みんなが縦になっている名札を取って次々に音高く横置きした。全員横置きにしたことを確認してから、ダルウェルが承認感謝と言ってから、手元の総会招集状の議題を読み上げた。 「このたびの議題は、 一、 マシンナートとの争い《マシィナルバタァユ》の経緯と結果の報告、 二、 戦後処理について、 三、 『星の眼』ならびに『天の網』の運用について。 以上を討議すること」 名札で机をカタンと叩いたものがいた。ケルス=ハマンのアルスランだった。発言許可も取らずに話し出した。 「その議題を討議する前に、わたしが提出した決議案を総会に掛けていただきたい」 今朝ほど改めて提出したと鋭い眼付きでダルウェルを睨んだ (「イージェンと五大陸総会(中)」(完))
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