その頬を手ぶくろの指でさすりながら、いきなり歌い始めた。 「……眠れ、眠れよ、わが子よ。いとしきわが子よ。 いと澄みしき天空、いと清やけき大地、いと広き大海、 すべてがそなたの眠りを妨げまじと静まり、 すべてがそなたの眠りを守らんとす。 眠れ、わが子よ、微笑みつつ、眠れよ……」 空と大地と海のように、暖かく、深く、そして厳かな声だった。その歌声は、むずかる赤ん坊を眠らせ、島のすみずみにまで響き渡り、島の生きとし生けるものみなに安らぎを与えた。 「アルリカ総帥」 歌に感銘して涙が溢れていたアルリカがはっと顔を上げた。 「この赤ん坊はたしかにカトルの子どもだが、異端の技によって営みなしに出来た。カトルはこの子の母親に会ったこともないし、母親はすでに死んでいる」 そっとカトルに渡した。 「カトルはテクノロジイを捨てて、この子を地上で育てようとしている、そのことの重さ、おまえならわかるだろう」 アルリカに仮面を向けた。アルリカが戸惑った顔で仮面からカトルに目を移した。カトルが腕の中の赤ん坊を優しく細めた目で見下ろした。 「アルリカ、俺は、こいつを地上の民として育てたい」 おまえと一緒にとカトルがアルリカを見据えた。立ち上がったアルリカもまっすぐにカトルを見つめ、手を伸ばした。 「わかった……この子は……」 赤ん坊の枯れた草色の髪に触れた。 「ふたりの子として育てよう」 カトルがうれしさに泣けてきたがぐっと唇を噛み堪えた。そうしてくれるかとアルリカの肩を掴んだ。アルリカがしっかりとうなずいた。 岸で待つ島の民のところまで歩いていった。その中に堰水門(ダム)工事の作業員をやっていたものたちが何人かいた。 「監督」 バラバラッと駆け寄ってきて戸惑った顔を向けてきた。カトルが赤ん坊をアルリカに渡して、両膝をついた。 「すまなかった」 深く頭を下げた。作業員たちがしゃがみこんだ。その中のひとりが拳を振り上げて責めた。 「ほんとですよ、さんざんいいこと言って! 島のみんなのためになるからって!」 カトルが顔を上げると、みんな、泣きたいのを堪えるように目を赤くしていた。 「でも、あなたはたいしたヒトだ、逃げないで戻ってきて……」 その男が首を折った。 「島を回って、みんなにあやまってください、俺たちも一緒に回りますから」 カトルが両手で膝をぐっと握り、何度もうなずいた。 大型モゥビィルに乗って中央管制塔に向かい、地下の管制室に降りて行った。エレベェエタァの扉が開くと、アートランが耳覆いを外して立ち上がり、近寄ってきた。 「カトル」 カトルがきょろきょろと見回すと、アートラン以外に操作机に座っていた何人かのものたちが、次々に立ち上がった。 「アートラン、おまえが管制主任?」 アートランが代わりにやってたと言って、隣に座っていた中年の男を手招いた。 「ファドレス」 細身で緊張した顔でやってきた。 「ドォアァルギア副艦長ファドレスだ」 手伝ってもらってるとアートランが紹介した。カトルが手を差し出した。 「カトルです、副艦長」 ファドレスが戸惑っていたが、その手を握り返した。 「ザイビュスが、ラカンユゥズィヌゥとユラニオゥム発電所の操作システムをここに移したから、管理がしやすくなってるはずだ」 アートランが、まだ必要だからなと腕を組んだ。 「ザイビュスが……」 ドォァアルギアの爆発拡散を防いで命を落としたことは報告書で読んでいた。 「アートラン、カーティアに行くぞ。ここはカトルたちに任せろ」 イージェンに促されて、アートランがカトルに管制主任の耳覆いを渡した。 「食糧プラントの一部が操業停止してるから、復旧させてくれ」 自給できるようになるまでの間、食わないわけにはいかないからなと肩をすくめた。 「わかった」 カトルが了解して耳覆いを付けた。 イージェンがぎこちない手付きで赤ん坊を抱えているアルリカに近寄った。 「総帥、その子に乳母をつけてやれ」 子どもを産んだばかりの女ならば乳が出る。アルリカがはいと承知した。
ヴァシルに島に残るように命じ、ヴァンを連れ、『空の船』に戻った。船をゆっくりと浮上させて、一の大陸セクル=テュルフを目指した。 カサンが寝起きのくしゃくしゃの頭のままで船室を出てきて、廊下を歩いていたヴァンとぶつかった。 「わっ、ヴァン、戻ってたのか」 ヴァンがカサンの後ろから出てきたセレンに気がついて、アートランも帰ってきたと伝えてやった。 「アートランも帰ってるの?」 セレンがうれしそうにカサンに頭を下げて、下の階に走っていった。 「船、動いてるのか」 わずかな揺れを感じてカサンが尋ねると、カーティアに向かって飛んでますとヴァンが艦橋を指差した。イージェンが船長室にいるというので、扉を叩いた。正面の船長席にイージェンが座り、机の縁にアートランが腰掛けていた。 「セレンが探していたぞ」 カサンに言われてアートランがそっかと机から降りて、窓から出て行った。 カサンが椅子を引き寄せて座ると、イージェンが外部記憶媒体《ヴァトン》を渡した。 「それは教授以上を集めた会合の様子だ。再生してみろ」 カサンがポケットから小箱を出し、その横の穴に入れて、再生し、じっと見入っていた。 「リィイヴとレヴァード、キャピタァルに……」 真っ先にテクノロジイを捨てると言い切って、がんばってきたのだ。つらいのではとカサンが目を赤くした。 「おまえはどうする」 三者協議会の議員になってキャピタァルに行くかと言われて、固まった。しばらく押し黙っていたが、ふっと肩の力を抜いた。 「もし許されるなら、わたしは、この船にいたい」 カサンがヴァトンを抜いて返した。 「そうだな、おまえにはここでセレンの相手をしながら、理《ことわり》の書をデェイタにしてもらうか」 後でタァウミナァルとボォウドを持って来ようと言われて驚いた。 「テ、テクノロジイを捨てさせるのではないのかっ!」 もちろんとうなずいた。 「ひとり、ふたりなら、すぐにでも捨てて、畑を耕し、網で魚を獲って暮らせと言うが、すくなくとも六千万はいるマシンナート全員にすぐに捨てて、地上で暮らせといっても無理だ」 『今』の地上にはそれだけのヒトを養っていく力がないと肩で息をした。 「それに、まずワァカァにきちんと状況を説明しなければならない。地上のことも、パリスがなにをしようとしていたのかも、まったくといっていいほど知らないんだからな」 地上の説明をするためにも理《ことわり》の書をデェイタ化してレクチャーの資料にする必要があると説明した。 「本当は紙に書写させたいんだが」 六千万部も無理だろうと苦笑した。それを聞いて、魔導師だって無理だろうと呆れた。だいたい、理《ことわり》の書といっても、さまざまな分野に分かれていて、それぞれに何百冊、何千冊とあるのだと聞いていた。もちろん、デェイタ化するにしても、全てというのには何十年も掛かりそうだった。 「……使わざるをえないということだな、今はまだ……」 そういうことだとイージェンがヴァトンを握りパシュッと音をさせて光の粉にした。それをじっと見ていたカサンがぽつりとつぶやいた。 「ふたりには悪いが、そうさせてもらう」 それにしても、ひとりでするには時間がかかるぞと悩ましげに顎に手をやった。 「ドォァアルギアの乗組員たちにエトルヴェール島の育成棟でやらせようと思ってる。交代制で畑仕事や漁の手伝いをさせるつもりだ」 おまえも、用桶の始末や食事の当番はするようにと言いつけた。ぎょっと目を剥いて、はあっとため息をついた。 「わかったわかった」 急にカサンが窓の外に遠くを見るような目を向けた。 「まったく知らなかったとはいえ、ラカン合金鋼がアルティメットの魔力で作られていたとは驚くばかりだ……結局、わたしたちは、素子たちの手の内であがいていただけだったんだな」 イージェンがそうだなとつぶやいて机の上の伝書の束を見始めた。 「朝飯がまだだろう? 食ってこい」 カサンがそうすると椅子から立ち上がった。
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