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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第381回   イージェンと五大陸総会(上)(1)
 広々と広がる澄んだ青空、ところどころに小さな白い雲が浮かび、ゆっくりと羽根を広げた鳥が飛んでいる。白い波を蹴立てて走る船の甲板で、理《ことわり》の書を開いて、ある箇所を指差した。
「ここのところ、ぼくの知ってる言葉と同じ概念かどうか、知りたいんだけど」
 隣にはエアリアがしどけなく座っている。
 だが、エアリアは、何も言わずにただ微笑むだけ。
「教えて」
 すうっと消えていく。
「シリィの娘と所帯を持って、ヒトの営みをするといい」
 背中からイージェンの声。振り向くと、大柄な黒い外套を着て立っていた。どこまでも澄んだ翠の瞳。鋭い表情だが、声は優しかった。
「あれ、仮面は? 外してもいいの?」
 いきなり真っ暗になり、遠くに小さな光が見えた。
「……あ……」
 導かれるように、そちらのほうに向かって行った。
 光の中に入ったとき、身体のあちこち、特に頭部がひどく痛みを感じていた。目を開けると、眩しくて、よく見えなかった。
「リィイヴ、わかるか」
 覗きこんで、呼びかけてくるものがいた。
「レ……ヴァード……さん?」
 ああそうだとほっとしたような声が聞こえてきた。
「よかった、意識が戻った」
 レヴァードが目を細めて見下ろしていた。その向かい側にくしゃくしゃに泣いているエアリアの顔が見えた。
「エアリア、無事……だったんだね……」
 手を差し伸べようとしたが、腕が上がらない。察したエアリアがそっとその手を握り締めた。
「リィイヴさん……よかった……」
 掌を光らせて、手を包み込んでくれた。暖かいものが流れ込んできて、痛みが消えて行った。
 二ウゥルほどぼんやりと過ごした後に、集中治療室から一般病棟に移った。モニタが運ばれてきて、イージェンの『最緊急通信』から、緊急集会、教授以上の会合の様子までが流れた。最後に、協議会議員になるようにというイージェンの電文を読んで、大きなため息をついた。
「いっぺんで疲れただろう」
 レヴァードがリィイヴが指先や頭、腕、胸などにつけている検査装置からのバァイタァルを見ながら、抗生物質の点滴の落とす量を調整した。
「ユラニオゥムが落ちなくて、よかったけど、これからのほうが大変ですね」
 レヴァードがベッドのすぐ側に簡易椅子を持ってきて座った。
「おまえも『空の船』に戻りたかったよな」
 リィイヴがええと言いながら、天井を見上げた。
「でも、イージェンはヒト使いが荒いから、楽はさせてくれませんよ」
 ふっと苦笑した。
「そうだな」
 レヴァードも苦笑して手先をリィイヴの首筋と手首に当てて脈を診た。
「イージェンは、五大陸総会があるからって、地上に戻った」
 どうやら、学院長たちを全員集めて戦後処理について話すらしいがと心配そうな顔をした。リィイヴも眉を寄せた。
「きっと、もめるでしょうね」
 ゆっくりと首を傾けてレヴァードを見た。
「ぼくはずっとイージェンの助けになりたいと思ってきました。これからもです」
 レヴァードが目を見張った。
「ふたりでイージェンの助けになるようがんばりましょう」
 レヴァードがそうだなとうなずいてから、ところでと改まった。
「たまには地上に息抜きにいけるよな」
 レヴァードがほわぁんとした顔で目を輝かせた。リィイヴがぎょっとして、口元をゆがめた。
「言っておきますけど、誰も『ショウカン』には付き合わないと思いますよ」
 わかってるってとレヴァードがリィイヴの手を握り締めた。
 入れ替わるようにしてエアリアが入ってきた。ベッドの脇の椅子に腰掛けて、そっと手を伸ばしてきた。
「リィイヴさん、ほんとうは『空の船』に連れて帰りたいのですけど」
 つらそうな顔でリィイヴの頬に触れた。リィイヴがその指先が心地よく、目を閉じた。
「いいんだ、ここで……がんばるよ」
 エアリアが腰を浮かしてわたしもここにと顔を近づけてきた。
「学院の代表として、三者協議会の議員になりましたから、ここで働きます」
 リィイヴが目を開いた。右目は茶色、左目は灰色だった。
「そう……じゃあ、ぼくたち、ずっと一緒にいられるんだね」
 エアリアがきれいな青い眼を細めて微笑んだ。
「ええ、ずっと、一緒です」
 頬を寄せて触れ合わせた。少ししてエアリアが顔を離して、椅子に座りなおした。
「落ち着いて来たら、『南天の星』まで飛んでみようかと思います」
 リィイヴが驚いて穴が開くほど見つめた。
「リィイヴさんも一緒に行きましょう、深い海に潜ったときのように」
 今度は星の海ですと言われ、リィイヴはうれしくて涙が出てきた。
「きっと、きっとだよ」
 こくっとエアリアがかわいらしくうなずいた。
ビィイクルにも乗らず、気密服も着ないで、星の海に行き、この惑星を見る、この眼で。
そのときのことを思い、リィイヴはがんばろうと胸を熱くした。

 キャピタァルのパァゲトリィゲェィトから、一台のマリィンが出航し、北上して、エトルヴェール島の南ラグン港に向かった。翌日には到着し、入港した。
あらかじめ到着の連絡を入れていたので、港には大勢の出迎えが集まっていた。
「おまえたち、ほんとうにいいんだな」
 マリィンの艦橋でカトルがピラトとバイアスに念を押した。ピラトがバイアスと顔を見合わせて、うなずきあった。
「ええ、俺たちはカトル助手に付いて行きます」
「俺はもう助手じゃない」
 カトルが苦笑してふたりを抱き寄せた。
「ありがとう」
 イージェンがカトルの肩を叩いた。
「いい部下を持ったな」
 イージェンの腕には生まれてまだまもない赤ん坊が抱かれていた。その赤ん坊をカトルに渡した。
「さあ、いこうか」
 昇降口に向かって艦橋を出た。梯子を登り、蓋を開けて外に出た。
 少し湿った空気で、空は薄く曇っていた。雑多な臭い。ピリピリとした刺激が肌に刺さるような感じがする。ほんの少し前に離れたばかりだったが、ようやく戻って来られたという気持ちになった。
 渡し板をゆっくりと歩き、桟橋に降りた。その桟橋の端に大勢の島民たちが待っていた。その中のひとり、すらっとした背の高い女が、短い黒髪を揺らして走ってきた。
「カトル!」
 カトルが目を見張り、速足で近寄った。
「アルリカ!」
 アルリカが立ち止まり、うれしそうに目を細めて見上げたが、腕に赤ん坊が抱かれているのに気が付いて、首を傾げた。
「その赤ん坊は」
 カトルが軽く腕を揺すった。
「こいつは俺の息子で……」
 言い終える前にアルリカの平手がカトルの頬に飛んだ。驚いて目を丸くしていると、アルリカがぎりっと歯軋りした。
「妻も恋人もいないといっていたのに! わたしをだましたんだな!」
 その怒鳴り声に驚いて、赤ん坊が泣き出した。
「ふっぎゃぁぁああっ、ふぎゃぁああ」
 カトルがあわてて揺すったが、ますます激しく泣き出した。困っているカトルにむっとした顔でアルリカが背を向けようとした。
「待ってくれ、アルリカ、こいつはたしかに俺の息子なんだが、その、違うんだ!」
「何が違うんだ! ほかの女に子を産ませていただなんて、そんなふしだらな男だとは思わなかった!」
 アルリカは泣き声になっていた。二年前にはすでに恋人同士になっていたのだ、その間に他の女もと睦んでいたとはと悲しくなった。
 ファーティライゼーションのことをどう話していいかわからず言葉に詰まっていた。カトルの背後にゆらっと灰色の布が現れた。
「大魔導師様!」
 アルリカが一、二歩引き下がり、桟橋の上にひれ伏した。
「アルリカ総帥、立ってくれ」
 イージェンがうながすと、アルリカがゆっくりと立ち上がった。
「大魔導師様、どうか、島の民のためにお力を貸してください」
 胸に手を当てて深く頭を下げた。
「島の民に元の生活に戻る気持ちがあれば、俺の力などなくとも、やっていけるだろうが、それでも困ったことがあれば、言って来い」
 そのときは、力を貸そうとアルリカとカトルの前までやって来た。アルリカが丁寧に礼を尽くした。
「ありがとうございます」
 イージェンがカトルからむずかっている赤ん坊を受け取った。
「ふぎゃあ、ふぎゃぁぁ」


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