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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第378回   イージェンと艱難の道《ディフィスィルヴワ》(下)(1)
 一の大陸と五の大陸を任されたルカナは、五の大陸から回ることにした。まずイェルヴィール学院長ヴィルヴァを訪ね、学院長室で『一揃い』を渡すと、ヴィルヴァはあっという間に読み終え、ふうと肩で息をした。
「大災厄の予兆が来たときはどうなるかと思ったが」
 よかったと学院長机の上に座っている男の赤ん坊を膝の上に乗せた。
「こいつらも『ひきつけ』を起こしたようになって、しばらく大変だった」
 赤ん坊の鼻を指先でピンッと弾くと、ダァァッとむずかるような声でその指を握ろうと手を伸ばした。握る寸前にさっと逃れ、また握る寸前にと繰り返していた。
「ダァアアアッ」
 ふっとヴィルヴァが苦笑した。『空の船』で会った時は仏頂面で普段もそんな感じなのだろうと思っていたので、こんな風な顔もするのかと意外だった。
「ラトレルは大丈夫だったか」
 ラトレルもひどく泣いていたが、今は大丈夫ですとルカナも笑った。ヴィルヴァが急に真顔になった。
「総会ではイージェン様も大変な立場になるだろうな」
 ええそのことでとルカナが承認撤回の話をした。
「もちろん、わたしは撤回などしないし、トゥル=ナチヤのほかの学院には釘を刺す」
 もし、他の大陸で大魔導師として戴けないのなら、五の大陸に来てもらうまでだと険しい目をした。
 なるべく早く届けないといけないので出発することにした。ヴィルヴァはさきほどの赤ん坊を抱っこして出てきた。
「気をつけて」
 ヴィルヴァが手を振り、飛び去るルカナを見送った。庭の方から三十半ばほどの小柄な男が五歳になるオルタンシアの手を引いてやってきた。
「学院長」
 気が付いた赤ん坊がその男の方に懸命に身を乗り出した。
「おいで、アトル」
 男が優しい声で呼ぶと、ヴィルヴァがひょいとアトルを投げた。ふわっと浮いたままくるくるっと頭から回って男の腕の中に届いた。
「カーティアで総会が開かれる」
 ヴィルヴァがまたしばらく留守にすると言うと、男が大変だねと東の空を見上げた。
「この間は私が遠出をしていて会えなくて残念だった。今度はいるときに来てくれるといいのだけど」
「ああ、おまえを見たら、きっと、驚くな、目を剥いて」
 顔を失い仮面となった今でも、ヴィルヴァにはあの少年の顔が見えるのだ。ずっと目に焼きついて離れない。 
 あの顔。
 ヴィルヴァがあの顔が目に浮かぶと空を見上げた。

 五の大陸は五大陸の中では一番小さいが、ルカナにとっては、一日で回りきるにはしんどく、翌日の夜になって、ようやく東海岸方面に戻ってきた。
「少し休みたいけど、早く配らないと」
 『空の船』に魔導師が誰もいない状態なのだ。自分が一番近いので、一日でも早く帰らなくてはと頑張って夜明け前に一の大陸西側のルシャ・ダウナに到着した。
ルシャ・ダウナの学院長ベリエスは、困った様子で資料を読んでいた。もちろん、出席はしなければならないので総会のことではないようだ。もしかしたら、エスヴェルンのサリュース学院長からなにがしかの伝書が来ているのかもしれない。
 東バレアス公国の学院長はもうそろそろ隠居の予定だったので、後継者とふたりで参加する旨の書面をルカナに渡した。
 ようやくエスヴェルンに着いたが、かなり疲れてきていて、学院裏庭の花壇の側でうずくまり、ぐったりしていた。
「ルカナ、どうしたんです?」
 頭の上から声がした。第二特級のシドルシドゥだった。
「ああ、シドゥ、大魔導師様の遣いで書面一式持って来たんだけど、あちこち回ったから、疲れちゃって」
 茶を持っていくから、部屋で休んだらと言ってくれたが、学院長に渡して戻らないとと立ち上がった。
「学院長様なら、カーティアに行ってますよ」
 条約締結の席に立ち会うため、ラウド王太子夫妻に随行していったのだ。
「カーティアに……」
 すでにこの大陸のバレーはないというものの、この時期に学院を離れるなんて身に迫ってないのだわと肩を落とした。
「何か、恐ろしいことが起きそうな感じがしましたけど、納まりましたね」
 シドルシドゥがそのせいで具合が悪くなったものがいるので仕事が溜まってしまって大変ですと疲れた様子だった。
 やはり茶をもらうことにした。久しぶりに自分の部屋に入り、はあとため息をついた。すぐにシドルシドゥがヤカンと茶器を持ってきて、自分の分とふたつ入れて、ルカナに渡してくれた。気になっていたことをそれとなく聞いてみた。
「ねえ、あたしが留守の間、なんかあった?」
 殿下の婚礼式に出られなくて残念だったわとゆっくりと茶を含んだ。
「その婚礼式でのことなのですが」
 嫁いできた王女が頑なで婚礼式のしきたりに従わず、祝宴での挨拶も出来ずに引きこもってしまって、散々だったと話した。
「そんな……」
 ルカナが、殿下がお気の毒だわと目を赤くしたので、シドルシドゥが手を振った。
「でも、その後、殿下がとても大切にされてるってわかってくださって」
 ご夫妻で外遊されるまでに打ち解けられたから大丈夫と笑った。ならよかったとほっとしたルカナに小声で王太子妃が行方知れずになったときのことを打ち明けた。
「まさか」
 ルカナがそれでリュリク公がイージェンを尋ねて来たのだとわかった。サリュースがもしやラウド王太子を廃そうとするのではと心配になって、相談に来たのだろう。
「殿下が学院長様の思うようにならないときがあるからだろうけど」
 ルカナが相変わらずいじわるだわと杯を飲み干した。シドルシドゥが悩ましい顔をして、掌の中の杯を見つめた。
 ごちそうさまと杯を盆に戻し、出発するわと立ち上がった。シドルシドゥも盆を持って廊下に出たが、玄関まで来なくていいからというルカナに小さく顎を引いて、その後ろ姿を見送った。
 ルカナは朝、日も高くなった頃にカーティア王都に到着した。ダルウエルの分もあるので、先に学院に向かうと、学院長室の学院長の椅子にクリンスがぐったりと座っていた。
「学院長様は?」
 クリンスがルカナを見て、ほっとした顔をし、ここに座っていてくれと頼んだ。
「学院長は執務宮で条約締結書の作成しにいってる」
 総会の準備もあるし、もう忙しすぎてわけわからなくなってるよと首を振った。
「エスヴェルンとかセラディムですればいいのに」
 恨みがましく文句を言った。東バレアス公国とルシャ・ダウナからひとりづつ手助けに来てくれたので、少しは助かっているが、それでも手が足りなかった。宮廷や軍部、後宮から問い合わせや『しきたり』の確認など昼夜を分かたずやってくるので、学院長席を空けるわけにいかなかった。
「だめよ、わたしも文書を学院長様に渡したら、『空の船』に戻らないといけないのよ」
 クリンスがぐすっと鼻をすすった。
「じゃあ、せめて、これ少しでいいから、手伝ってくれ」
 全学院長分の名札を作らなければならなかった。木で出来た白い三角柱に丁寧に焼き彫りするのだ。
「こんな手間のかかること、手伝っている暇ないわ」
 そんなこと言わずにと名簿を渡そうとするのを押し返した。半べそをかいているクリンスを置いて、執務宮にダルウェルを探しに行った。
 ダルウェルは国王執務室にいたので、国王側近のフィーリに呼び出してもらった。ダルウェルは控室で一揃いに目を通し、クリンスのようにぐったりした。
「おきるときは一遍とはよく言うが」
 いくらもてなしは必要ないと言っても部屋の準備は必要だ。全大陸からやってくるので、到着の日時もバラバラだろうし、全員揃うまで何日かかかるだろう。
「『空の船』にアートランかヴァシルが戻ってきていたら、こちらに手伝いに来てもらいます」
ダルウェルがそうしてくれと頼んだ。サリュースは迎賓館の客室にいるというので、一式を置きに行った。早くエスヴェルンに戻るようにと散々に言われ、早々に引き上げて、南の海に戻って行った。

 南方大島南側の南ラグン港沖合いに停留していた『空の船《バトゥシェル》』は、港に入港していた。縄で繋がれていて、桟橋に舷梯が降りていた。甲板の手すりや帆柱には遣い魔たちがたくさん留まっていた。到着したルカナはまずティセアに挨拶をと気配を手繰り、厨房にいるとわかって、顔を出した。
「ティセア様、ただいま戻りました」
 ラトレルをおぶったティセアが振り向いた。
「ルカナか、ご苦労だったな」
 見たことのない娘が青菜を刻んでいた。
「そちらのものは」
 島の娘だと紹介した。娘はマシンナートの黄色いつなぎ服を着ていた。他にも男三人に来てもらっていると前掛けで濡れた手を拭き、ポケットから名簿を出して見せた。
「イージェンがカサンに伝書のようなもので手伝いを選んで寄越すようにと指示したそうだ」
 おそらく、通信網《レゾゥ》を使ったのだろう。階段を上がってきたものがいた。
「奥方様、お部屋の掃除、済みました」
 マシンナートのつなぎ服を着た背が高く浅黒い肌の若い男が頭を下げた。ティセアが廊下に出てきて、ご苦労とねぎらってから、ルカナを紹介した。
「ニィイル、魔導師が帰ってきた。ルカナだ」
 エアリアとリィイヴが療養棟に入り込んだときに出会った島の青年だった。気が効いて信用できるものということで、従者頭になっていた。ルカナが少し胸を逸らして厳しく注意した。
「くれぐれも粗相のないように勤めなさい」
 ほかの者たちにも目を配るよう言いつけた。ニィイルはルカナを見て、なぜか顔を赤くしてあわてて土下座した。
 ルカナは、甲板に戻り、遣い魔たちから書筒を外して、すぐに中身を確認していった。『一揃い』を受け取る前なので、『大災厄』が来たのではないかという緊迫した問い合わせがほとんどだった。それについては返さず、筒の返却だけすればよかった。島の近くなので、遣い魔用の鳥を呼び寄せるのも簡単だった。死んだ鳥は手伝いのものに渡した。
「締め方、わかる?」
 ルカナがニィイルに尋ねた。すっかり啓蒙されているので、もしかしたらできないかもと心配したのだ。
「俺はしたことないですけど、別のものができます」
 習いなさいとうながすと素直に頭を下げた。やはり顔を赤くしていた。
「熱でもあるの? 顔が赤いけど」
 ニィイルはぎょっと驚いてからあわてて首を振って鳥を三羽ほど持って船室に駈け戻った。


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