『空の船《バトゥウシエル》』で五大陸総会招集状と略述資料を全学院分書き上げたアートラン、ヴァシル、アディアの三人は、それぞれの大陸に向かって散った。 アートランは、三の大陸西側の国から北上し、北のランスを経て、東海岸沿いに南下し、最後にセラディムで渡し終える予定にした。 西側の国イェンダルクとカルマンの学院長たちは、アートランの訪問に戸惑いを隠せなかった。学院長の元には、ランスとセラディム両国からの伝書が届いていて、どちら側に付くかの決断を迫られていた。おそらく、東海岸側諸国にも届いているだろう。セラディムの第二王女を王太子の妃としたカルマンは、セラディム側に付く気持ちを固めていたようだった。西側の両国の本音としては、ランスよりもセラディムのふところの深さに期待したいのだ。だが、ランス学院長サディ・ギールを怖がっていた。 マシンナートに直接攻められたわけではない国々としては、異端との戦いが身に迫っていない。そのため、大陸内での力関係がどうなのかということのほうに気が行っていた。 経路的にはランスが手前だったが、アラザードを先に訪問することにした。 アラザードのランセル学院長は、アートランを歓迎し、茶と菓子を出してくれた。 「アリュカ殿から、アダンガル様が戻られたという伝書をもらっている」 なんとか即位できるよう手助けしたいと熱心だった。それはまずさておきとアートランが知っているならばと尋ねた。 「ランスにミッシレェが打ち込まれたのは、どういう経緯か知ってるか」 ランスを訪れる前に確認しておきたかったのだ。アートランから報復行為らしいと聞き、ランセルが険しい目をテーブルに落として、ランスの学院で侮辱を受けたことを思い浮かべていた。 「ランスがマシンナートたちを攻撃したからでは」 北海岸で騒ぎがあったことは確認していた。 「ランスはイージェン様のご指示を無視して開戦した。だから、そんな目に会ったのだと思っている」 北海岸は今も警戒を厳重にしている。バレーの入口であるパァゲトゥリィゲェイトはアラザード側にあるのだ。遠目でだが、マリィンの影がいくつか見えていた。 「ミッシレェはもう使えないが、他のアウムズは使えるからな」 アートランも引き続き警戒は必要だとうなずいた。 ランス軍は、さすがに第二王都を壊滅させられたので、アラザードへの更なる進攻を停めているが、それでも国境付近はランスの支配下になっていた。 「なんとか無効にできないだろうか」 ランセルが身を乗り出した。かなり国王や宮廷に非難されて、さすがに参っているようだった。アートランが少し考え込むふりをしてから慎重に答えた。 「今回の総会ではそこまでの審議は難しいかもしれない」 これ以上の進攻をさせない程度に考えておく必要があると厳しい見方をした。 「それが妥当だな」 がっかりしながらもランセルも同意していた。ランスはおそらく第二王都が壊滅したことで、その復旧にも金が掛かるので、侵略戦争は再考しているはずだ。アラザードと南の大国セラディムとの結びつきが強くなれば、ランスにとっては脅威だろう。 「とにかく、一刻も早くアダンガル様に即位してほしい」 ランセルとしても、それが頼みの綱だった。 招集状と資料の一揃いを渡して、ランスに向かった。 極北の海にはマリィンが何隻か浮かんでいた。パァゲェトリィゲェイトが詰まっているようだった。極北の海に近い海域に配置されていたマリィンが、バレーに入ろうとあわててやってきたのだろう。 海岸には大きな皿のような電波受信器が置かれたままだった。周辺には誰もいなかった。 どうせ使えなくしているのだしとほっておいて、ランスの王都を目指した。明け方前には到着し、学院の井戸で水を汲んで飲み、持ってきた鳥の燻製をかじった。 「起きたな」 年寄りだから朝が早いのだ。そっと窓に張り付いた。サディ・ギールはベッドの上で起き上がり、付き添いの教導師が背中に枕を入れていた。 「白湯」 教導師がはいと返事して小鉢にやかんから白湯を入れて渡した。サディ・ギールが小鉢を掴んでぶ厚く堅くなった唇に縁を付け、飲もうとしたが、手を止めて、教導師の顔目掛けて鉢の中身を掛けた。 「熱い」 「あっ!」 教導師が両手で顔を覆って床に伏せた。 「適温もわからんのか、毎日しているのに」 枕元に立てかけてあった杖でベッドの上から背中を何度も叩いた。教導師は、肩を震わせて、ひたすら謝った。 「お許し下さい!」 もういいと杖を振った。逃げるようにして教導師が出て行ったとき、窓を開けて中に入った。アートランが忍び込んだことに気が付かない。耳元でいきなり声を掛けた。 「学院長」 サディ・ギールがぶるっと震えてから皺深い目を険しくした。 「何者か」 不埒なとうなった。 「セラディムのアートラン、大魔導師の遣いだ。五大陸総会の招集状と資料を持って来た」 あんたの望み通り全学院長出席だぜとベッドの上にポンと投げた。ベッドの横に浮いているアートランをぎろっと睨んだ。 「あのふしだら女が産んだ化物か」 アートランが目を見張って呆れた。 「あんただって、《持たざるもの》から見れば、十分化物だぜ」 膝の上に置かれた招集状に目を通し、資料を読み始めた。なかなか読み進まないので、アートランが鼻先で笑った。 「ずいぶん読むのが遅いな、もうろくしてきたのか」 サディ・ギールがむうぅとうなった。 「ゆっくり読んで、どう難癖つけるか、考えるんだな」 アートランが窓際に浮いていき、窓を開けて出て行こうとして、振り向いた。 「もう年なんだから、無理しないで代理を寄こしてもいいんだぜ」 さっさと隠居しろよと言われて、サディ・ギールが杖を投げつけた。窓に当りそうになったのをアートランがぱっと掴み、ふわっと枕元に戻した。 「ものに当るなよ」 窓を出て、きちんと閉めて飛び去った。
ドゥオールの学院長ゾルヴァーは不在で、王都にはいなかった。本人に渡すようにと指定されていたので、後回しにしようと、東海岸の国々を訪れた。北リド・リトス国、東オルトゥムと南下した。東オルトゥムのメレリ学院長は四十そこそこの白髪で痩せた男だった。 「いらっしゃい、アートラン? ひさしぶりだねぇ」 大きくなってと頭を撫でようとした。子ども扱いされて嫌そうに首を振り、一揃いを渡した。 「アダンガル様が戻られたって伝書が来ていたけど、ご様子はどう?」 柔らかい物腰で女のような口調で尋ねてきた。盛籠に盛られていた果物をもらうぜと掴んで、がっとかじりついた。 「会ってないんでわからないけど、元気だと思うぜ」 即位する気満々だと口はしを歪めると、メレリはそれはよかったと笑った。 メレリとしては、ランスからの脅迫めいた伝書が不愉快だった。もちろん、屈する気はない。見た目とは違って中身はかなりきつい性格なのだ。 「アラザードの姫様って、もう三十路でしょ、子を産むには遅いね」 アリュカは王太子の生母を正妃にするつもりのようだけど、最初からナリア姫が正妃でもいいのにと唇だけで笑った。 「そんなの俺にはどうでもいいことだ」 まだ子どもとはいえ、側室たちもいる。この先妃も増えるだろう。ナリア姫が産むと決まったわけでもないのにと内心苦笑して東オルトゥムの学院を出た。 セラディムに到着したときには、大陸をほぼ休みなくぐるっと一周したので、さすがに疲れていた。 アリュカに渡して、少し休もうと学院に向かったが、学院長室にはいなかった。もしや、王宮を出ているのかと思ったが、手繰ると学院長室の続きの部屋にいた。扉を押して入ると、広いベッドに横になっていた。寝てはいなかったので、気が付いて、身体を起こした。 「アートラン、どうしたの」 寝間着なので、あわてて白い布を纏った。 「具合でも悪いのか、陽が高い内から横になってるなんて」 アリュカが腹を押さえながら、ため息をついた。 「『大災厄』の予兆が来たときに、痛くなって……」 でも、ミッシレェは落ちなかったのよねと腹をさすった。 「やっぱり、孕んだのか」 腹の子は総会のときに出来た子だ。わかってはいたが、アダンガルのこともあるし、マシンナートのこともある。子どもを産んでいる暇などないだろうと呆れた。 「落ち着いてからだと年のことがあるから、今のうちかなと思って」 「そいつも素子なんだ」 腹を指差した。 「ええ、この子たちだけどね」 指先を腹にちょんと付けた。命の脈動が伝わってきた。心臓がふたつ、双子だった。 「ふーん」 無関心そうに鼻を鳴らし、袋の中から招集状と資料を出して渡すと、アリュカはさらっと読み終えた。 「よかったわ、『天の網』、動くようになって」 五つの『星の眼』も操れるとなれば、各大陸の大魔導師の死後、そのままだった算譜の記録を更新することができる。 「このところ、天候算譜や海流算譜に誤差が出てきていたから、この先どうなるかと心配だったの」 自然災害は鎮化しないが、それでも、海嵐の進路や規模を算出し、防災や避難をして被害を最小限にする助言はしていたし、農作物や魚介類、家畜の出来なども予測して、占いと称して行政の方向性を動かす資料としているのだ。 「ランスのじじい、大魔導師承認の撤回決議提出するつもりだぜ」 あいつも苦情文を寄越してたと、腕を組んだ。 「あいつって……サリュース殿のこと?」 こくっとうなずいた。 「イージェン様が思うとおりに動いてくれないからね。しかたのないヒト」 アリュカがふうとため息をついた。アートランが扉の方を向いた。軽く扉が叩かれ、副学院長が入ってきた。アートランに気が付いて、はっと頭を上げたが、ひどく強張っていた。 「学院長様、どうやら……動きそうです」 アリュカが誰かハーネス将軍宅にやり、お連れするようにと命じた。 「俺が行ってくるぜ」 アートランがさっと窓に寄った。 「お願いするわね」 了解して窓を出た。アリュカが着替えるからと副学院長を部屋から出してベッドから降りた。まだなにか違和感がある。 「流れるかも」 素子でもそういうことがあるかしらとだるい身体で支度を始めた。
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