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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第370回   イージェンと悠遠の月《ドゥレリュンヌゥ》(下) (1)
 アーリエギアを消滅させてからふたたび二の月に戻ったイージェンは、マシンナートのインクワイァたちに向けて『最緊急通信』を発し、五つの『星の眼』と『天の網』の動作を確かめてから、『空の船』に戻ることにした。
 アートランとアディアには、先に戻っているように言ったが、どうやらふたりとも疲れてしまったのか、一の大陸の東海岸で眠っていた。そっと抱えて、そのまま運んでいった。
 『空の船』に着いたときは、すでに昼近かった。数十羽もの遣い魔が、帆柱に止まったり、甲板をうろうろと動き回っていた。誰も伝書を受け取るものがいないようだった。
 船室に入ると、厨房で気配がしていた。覗いてみると、セレンが鍋をかき回していた。
「セレン」
 はっとセレンが振り向いた。
「師匠(せんせい)」
 駆け寄ってきて、ぐったりしたアートランと知らない女の子が抱えられていたので驚いてしまった。
「アートラン……! ケガしたんですか……」
 眼を真っ赤にして震え出した。
「いや、くたびれて寝ているだけだ」
 ほっとして、鍋に戻った。
「焦がさないようにってルカナさんに頼まれてるので」
 イージェンがふたりを横にしてくるとアートランの部屋に連れていった。
 厨房に戻り、ルカナはどうしたか尋ねた。
「ルカナさんは、朝、島に行きました」
 ダルウェルから遣い魔が来たらしかった。
「師匠、昨日、ティセアさまが倒れて、大変だったんです」
 えっとイージェンが息を飲んだような音を出し、あわてて階段を降りて部屋に走り込んだ。
「ティセア!」
 ベッドの上に横たわっているティセアに、大事があったのかと震える手ぶくろを伸ばした。ティセアがゆっくりと眼を開け、見上げた。
「イージェン……? 戻ってきたのか」
 起き上がろうとしたので、支えるように背中に腕を回した。
「どうした、倒れたって」
 ティセアが腹を押さえて、首を振った。
「昨日、急に腹が痛くなって……すぐに納まったんだが、ルカナが流れるといけないから、安静にしてろと」
 イージェンが手を光らせて腹を摩った。腹の子の命の光を感じた。流れていないとほっとした。
「そうか」
 おそらく、この子は素子なのだ。昨日の迫り来る『大災厄』の予見を感じたのだろう。
「ルカナの言うように安静にしていろ」
 また出かけなければならないので、側にいてやれないがと心配そうに抱き寄せた。
「大変だな、魔導師たち」
 わたしは大丈夫だからとティセアが身体を預けるように寄りかかった。ラトレルがいないことに気が付いた。
「わたしが世話できないので、ルカナがおぶっていった」
 ティセアはやはりだるそうな様子だった。島に様子を見に行ってくるとゆっくりと横にして、部屋を出た。厨房に戻り、セレンがかき回している鍋を見てやると、鳥のガラを使ったスープだった。
「もう火を止めていいぞ」
 別の寸胴に丁寧に濾して透明なスープにし、光らせた指でかき回して、精錬した。
アートランたちが起きたら、このスープを飲ませてやれと言いつけて、島に向かった。
 島の新都中央棟に降り立つと、見張り番の島の民たちが気付いて、土下座した。
「魔導師さま……!」
 さっと中に入り、エレベェエタァで管制室に降りた。部屋の隅でヴァシルが座り込み、すすり泣いていた。
「ヴァシル」
 回りに立っていたものたちが一斉に振り向き、イージェンとわかって、棒立ちになった。
「イージェン……」
 ダルウェルが戸惑った様子で二、三歩近付いてから肩を落とした。
「どうした」
 ドォァアルギアからはユラニオゥムミッシレェは発射されなかった。ロジオンたちの暗殺や発射システムの破壊に成功したのだろう。ヴァシルが嘆いている理由がわからなかった。
「自分のせいでザイビュスが死んだと泣くだけで……よくわからんのだ」
 カサンが眼を赤くして首を振った。
「そうか、あいつ、死んだのか」
 イージェンがヴァシルの前に立った。ヴァシルが顔を上げた。くしゃくしゃに泣き崩れていて、身震いした。
「わ、わたしが……また……失態を……」
 しゃくりあげながら、話し始めた。
 ザイビュスが自分を部下と偽ってドォァアルギアの艦長室にまで連れて行ってくれ、隙をうかがってロジオンを殺す機会を作ってくれたのに、仕損じてしまった。だが、ぎりぎり発射システムの部屋に入る前に殺すことができたが、アーリエギアのレェベェル7が発動され、このままだとギアがユラニオゥム爆弾になるので、それを防ぐために発電装置の扉を手動で閉めるべく、ザイビュスと先輩という副艦長と三人で向かった。なんとか扉が閉まり始めたのだが、副艦長が取り残されそうになったので、閉まりかけの扉を支えた。その扉がとても重くて支えきれず、抜け出ることもできなくて、そのまま下敷きになるしかないと思った。
「ザイビュスが、なんとか支えてやるから、その隙に抜け出ろって」
 荷物を扉の下に押し込んで、一瞬の隙を作ってくれた。自分は抜け出られたが、ザイビュスは扉の向こうに取り残されてしまったと泣き伏した。
「わたしのせいで、わたしのせいで」
 イージェンがヴァシルの襟首を掴んで吊り上げた。
「そうだな、おまえのせいだな、ザイビュスが死んだのは」
 拳を作って、ヴァシルを殴った。
「ぐあっ!」
 吹っ飛ばされて壁に激突し、壁が大きくへこんで、ヴァシルの身体が減り込んだ。
「おい! いくらなんでもそこまで!」
 ダルウェルが驚いてイージェンの腕を掴んだ。その手を振り払い、ヴァシルの前まで歩み寄った。
「ヴァシル、今日は悔やんで泣いていていい。だが、明日はもう泣いていられないぞ」
 やらなければならないことがたくさんあると叱られた。
 きつい言われようだったが、今のヴァシルにはむしろ有難かった。下手に慰められるより、ずっと心に響いた。
……きちんとワァアクをやり遂げろ……途中で投げ出すようなことはするな……
 ザイビュスの叱咤が思い出された。
「……はい、師匠(せんせい)……申し訳ありませんでした」
 額を床につけて最敬礼したその頭をイージェンが屈みこんで、ポンポンと軽く叩いた。

 時は遡り、空母アーリエギアがイージェンの魔力によって消え去ったとき。
アートランとアディアは、光の粉に分解されて、仮面の下に吸い込まれる様を離れた海上から顔を出して見上げていた。
「すごい」
 アートランが、これが大魔導師の魔力かと改めて感心していた。アディアが水に浸かるのは苦手なのか、それとも疲れが出たのか、ぐったりとしていた。イージェンがふたりの頭の上に降りてきた。
「俺はマシンナートに通告してくる。ニの月からならできそうだ」
 ふたりは『空の船』に向かえと指示した。
「わかった」
 アートランがぐったりしたままのアディアを小脇に抱えて、潜って南下した。
 半ばほど来たところでがくっと速度が落ちた。少し休まないと持ちそうになかった。
 一の大陸東海岸の岩場に近づき、洞窟のような窪みに入り込んだ。平らになっているところにアディアを横にした。
「アディア、少し休んでいくから」
 アディアがうなずいた。アートランが潮溜まりにいる少し大きめの蟹を二匹捕まえた。
「食うか」
 生のままガリッとかじり、バリバリッと音を立てて食べながら、アディアに差し出した。
「そのまま食べられるものなんですか」
 アディアが起き上がりながら眼を丸くして受け取った。
「ふつうは茹でたり焼いたりして中身だけ食べる。でも、この殻が身体にいいんだ」
 殻は粉にして家畜の餌に混ぜると滋養になると説明した。
「そうですか、ターヴィティンでは、よほど海岸沿いでないと海のものは食べないので」
 知りませんでしたと口の中に入れて食べようとした。
「いたっ!」
 生きたままだったので、唇を鋏で挟まれてしまった。アディアがあわてて口から離そうとしたが、きつく唇を挟まれ取れなかった。
「なにやってんだよ」
 アートランが呆れて指で蟹をピシッと弾いた。蟹がピッと離れたが、アディアが涙目で腫れ上がった唇を押えていた。
「そんなの、すぐに治せるだろう」
 そうですけどとアディアがすねたように眼を伏せた。アートランがアディアの手を掴んで唇から離し、舌を出して、アディアの唇をペロッと何度か舐めた。たちまち腫れが引いていった。
 アディアは真っ赤な顔でアートランを見つめていた。はっと仰け反った。
……やばい、まずいことした。
 好意があると誤解していた。この先何されるのかしらとドキドキしていた。
 裸同然にされてしまったし、顔覆いの下も見られてしまったし……もしかしたら、いいえ、そんな、はしたないこと……だめだめっ……ああ、でもでも、アートランがどうしてもっていうなら……。
 アディアはそんなことを考えていた。アートランとしては、四足(よつあし)が怪我をしたときに舐めて治してやるような程度のことだったのだが、年頃の女の子相手にすることではなかった。
……まったく、女ってやつはどうしてこう思い込みが激しいんだ。
 相手の気持ちを確かめてから考えればいいのに、勝手にあれこれと想像を逞しくして悩ましげにしている。自分もセレンには同じようなことになるのに、棚に上げてあげつらっていた。
 アートランがそれ以上何かすることもなくまた食べ始めたので、アディアも弾き飛ばされた蟹を手を伸ばして拾い、今度は気を付けて甲羅に歯を立てて、バリバリッと食べた。
「無理しなくていいぜ」
 アディアが首を振って、懸命に噛み締めて食べていた。せっかくアートランがくれたのに、食べないと嫌われてしまうかもと思っているのだ。無理して誤解を解くこともないかとほおっておくことにした。
「少し寝る」
 すぐに深い眠りについた。アディアはしばらく恨めしそうな恥ずかしそうな顔で寝顔を見ていたが、そっと側に添い寝した。


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