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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第36回   セレンと鉄の箱《トレイル》(3)
 翌日は昼前から小雨が降ってきて、鈍く光る硬い素材でできた天幕を被りながらの走行となった。次第に強くなる雨に、カサンはぶつぶつと文句ばかりつぶやいていて、アリスタとヴァン、他のマシンナートたちもあきれて寝たふりをしていた。急にモゥビィルが大きく傾いた。
「きゃあっ!」「うわっ!」
 イージェンと抱きかかえられていたセレン以外の五人は互いにぶつかり合って、あやうく荷台から落ちそうになったものもいた。
モゥビィルが斜めになったまま停まった。イージェンがすぐにセレンを抱えて、飛び降りた。モゥビィルは泥の中にはまってしまっていた。他のマシンナートたちもなんとか降りてきた。カサンが前の席を覗き込んで怒鳴った。
「何してるんだ!泥にはまったぞ!」
 モゥビィルを動かしていた運転士が顔を出した。
「雨でぬかるんでたんです、しかたないでしょ」
 行法士が降りてきた。車輪のはまり具合を見て、ため息をついた。
「板積んてたっけ」
 聞かれてヴァンが答えた。
「板はないな、テント、下に敷くか」
 雨避けに使っていた天幕の布を畳んで、車輪の下に押し込んだ。運転士がひとり残り、動かした。だが、車輪は空回りして泥から抜け出せなかった。カサルとアリスタを除く三人の男が後から押すことになった。
「せーの!」
 ヴァンの掛け声で運転士がモゥビィルを動かそうとし、男たちが肩で後から押した。ほんの少し後の車輪が進んだが、すぐに戻ってしまった。
「壱号車に連絡して、モゥビィルを寄こしてもらいましょう」
 行法士が運転士に連絡させようとした。イージェンが後ろに回った。
「こうなると馬車もモゥビィルも変わらないな」
 その皮肉っぽい言い方にカサンは頭に血が上った。詰め寄ろうとしたとき、イージェンが手のひらを荷台の後に押し付けた。手のひらが光って、モゥビィルがぐっと動き、次には車体が少し浮き上がった。
「なっ!」
 皆絶句した。トンと押しやると、モゥビィルは泥から出て、道の上にドォンと音を立てて降りた。
「魔力を認めなかったら、モゥビィルはまだ泥の中ってことだよな?でも、実際にモゥビィルはどこにある?」
 イージェンの更なる皮肉に、ついにカサンの顔が青ざめた。ヴァンが泥だらけになった天幕をひっぱり上げた。
「できれば、こいつを使う前にやってほしかったな」
 イージェンがそっぽを向き、セレンを抱き上げて荷台に飛び乗った。ヴァンがアリスタに肩をすくめて見せ、天幕を荷台に上げた。泥だらけの天幕だったが、雨避けに広げた。雨はその後さらに激しくなった。
「到着はいつなんだ」
 イージェンが誰ともなく尋ねた。ヴァンがちらっと前の座席のほうを見た。
「予定では夕方には着くはず。少し遅れてるから、なんとか夜早い内には着くだろう」
 モゥビィルに乗ってみるのも経験と思ったので同行したが、慣れないことと雨に濡れたために、セレンが疲れていた。少し熱っぽい。飛んでいれば今朝には着いていた。
「セレン、もう少しで着くらしい…我慢できるか」
 出来なければ、モゥビィルを降りて、どこかで身体を乾かし、温めようと思った。頬を少し赤くしたセレンが見上げた。
「だいじょうぶです」
 それならもう少し待ってみるかと抱き直した。
 すっかり日が落ち、モゥビィルの前に付いている四つの灯りが道を照らしているだけになった。雨はまだ止んでいなかった。マシンナートたちも、身体が冷えたようで、唇が紫色になっているものもいた。
イージェンは首を巡らせて前方を見た。はるか先に海らしき揺らめきが見えた。モゥビィルの速度なら、後一刻くらいと思われた。

 果たして一刻程度でモゥビィルは開けた野原に出た。小振りになった雨の中、前方に強い光を放つ灯りがたくさん光っていて、大きな銀色の箱をふたつ照らし出していた。
「トレイルだ」
 ヴァンが見つけて指差した。みな、顔を見合わせ、ほっとした。
 モゥビィルが近づくと、トレイルの側から何人か寄ってきた。運転士と行法士が降りた。イージェンが降りて、トレイルから離れていこうとした。アリスタが留めた。
「待って、どこにいくの」
「どこか、宿を探す」
 アリスタがヴァンと顔を見合わせてから言った。
「トレイルに泊まればいいわ、お湯も出るし、食事もあるわよ」
 イージェンがちらっと後に視線を振った。周囲にはほとんど家がない。港まで行かなければ宿屋などないようだった。もちろん飛んでいけばたいしたことはなかったが、またぞろ好奇心が頭をもたげた。
「世話になるか」
 アリスタがにこっと笑ってトレイルの入口へ連れて行った。斜めの板を登り、中に入った。モゥビィルを格納する倉庫らしく、何台も並んでいた。何人かが作業していて、イージェンたちに気づき、じろじろ見て、眉をひそめて、ひそひそと話しあっていた。 
 アリスタに付いて倉庫から中への通路に入った。狭い通路を少し行くと、取っ手のついた扉があった。取っ手を押して中に入った。真っ暗な部屋だったが、カチッと音がした後、急に明るくなった。両腕に抱きかかえていたセレンが驚いてイージェンにしがみついた。天井に白く丸い灯りが点いている。
「ここ使って。今着替えもって来るから」
 透き通った丸いガラスが嵌め込まれた窓、狭い場所に、椅子とテーブル。鈍い銀色で無味な室内。奥に出口とは別の扉があり、狭いが寝台らしいものもあった。荷物の頭陀袋を床に置き、外套だけ脱ぎ、セレンを椅子に座らせた。奥の扉を押した。ガタッと音がして、開き、小さな灯りが点いた。手前に白い椅子のようなものがあり、奥には壁から管のようなものが出ていた。アリスタが戻ってきた。着替えと大きな手ぬぐいを持ってきた。
「一番小さいオゥバァオゥルもってきたけど、それでも大きいかも」
 奥の扉を開けた。白い椅子の蓋を開けた。
「ここはユニットっていうの。これ、ポット、用を足すものよ。終わったら、ここのボタンを押すと水で流してくれるから」
 ポットの横には白いくぼみがあり、そこにも釦があって、水を出して手を洗うところと説明された。壁に丸い銀色の円があった。
「それと、これがシャワー、このボタンでお湯が出るの、止めるときはもう一度押して。温度はぬるめにしておくわね」
 ボタンで数字を設定した。
「さっぱりしたら食事しましょ。後で、ヴァンが迎えにくるから」
 そう言って出て行った。イージェンは頬の赤みは消えたが青白い顔でうつむいているセレンを抱き上げて、ユニットに連れて行った。シャワーの前に降ろした。
「ひとりでできるな?この釦を押すと湯が出てくる、もう一度押すと止まる」
 着替えと手ぬぐいをポットの横の手を洗うくぼみに置き、出て行こうとした。セレンがしがみついた。
「いや、師匠、こわい、ここ、こわい」
 狭くて白い部屋は不気味ではあった。
「大丈夫だ、俺はすぐ外にいる。濡れたままだとよくない、身体を洗って着替えないと」
 引き離そうとしたが、首を振り、離れなかった。
寝ている間に着替えさせてやったことはあったが、身体を見られるのは嫌だろうと思ったのだ。
「…わかった、ここにいるから」
 先に濡れた上着やズボン、下着も脱いだ。腰を下ろして、指がかじかんでいるのか、うまく脱げないセレンを手伝った。湯を出してみた。細かい穴の中から湯が噴出してきた。温かい湯だ。滝で身を清めるように降り注ぐ湯で頭や身体を洗った。
「目をつぶれ」
 セレンは言われたとおりに目を瞑った。降り注ぐ湯の下に連れて行って、顔や髪や身体をすみずみまで洗ってやった。指や腕、足を湯で温めながら揉んでやった。濡れた服を湯で洗い、ユニットの床に広げた。大きな手ぬぐいでセレンを覆うようにして拭いてやった。着替えは確かにセレンには大きめだった。裾や袖を何重にも折り込んだ。おそらく子どもがいないのだろう。
ユニットの外に出ると、着替えを済ませたヴァンがいた。マシンナートのつなぎ服を着たふたりを見て言った。
「けっこう似合うじゃないか」
 イージェンがお世辞にそっけなく言った。
「服なんて何着ても同じだ」
 ヴァンが呆れたように苦笑した。
「まったく、食えないヤツだ」
 一緒に来るように言われ、その部屋を出た。通路は途中で少し広くなった。何人かとすれ違った。みな、同じような灰色のつなぎ服を着ていて、ヴァンと軽く会釈を交わしていた。ガラス板がはまった扉の前で止まった。
「ここがランチルゥムだ。坊やに美味しいもの、食わしてやるからな」
 ヴァンがセレンの頭に手を置こうとした。その手をイージェンが叩き払った。ヴァンが驚いて手を振った。
「すいぶんと嫌われたもんだな」
 扉を開けた。長テーブルが十ばかり並んでいて、一番奥のテーブルにアリスタがいた。寄っていくと、アリスタのほかにも若い女がいた。ヴァンが話しかけた。
「ファランツェリ、てっきりマリィンにいると思った」
 ファランツェリは、ずいぶん小柄で子どものような顔をしていた。
「ふたりが弐号車に来るっていうから、わざわざ『陸(おか)』に上がってきたんだよ」
 アリスタがイージェンたちに座るように椅子を示した。細い金属でできた椅子は座り心地が悪かった。四角い銀色の盆の上には皿と椀がいくつか乗っていた。
「どうぞ、召し上がれ、うさぎの肉じゃないけど」
 アリスタがくすっと笑った。イージェンがセレンの前の盆から椀を取り、指を突っ込んだ。赤い色をしたスープのようだった。
「何するの?!」
 ファランツェリが目を丸くした。かなり熱い汁だ。指でかき回す。毒や薬の類は感じられない。指を出して、舐めた。少しヘンな味がするが、一応食べられそうだった。スプーンで具をすくった。玉ねぎと人参は大丈夫だったが、茶色の肉のようなものはやはり味がヘンだった。一口かじって、ぺっと床に吐いた。
「ちょっ、ちょっと!」
 ファランツェリが身を乗り出した。イージェンが茶色の肉のようなものを自分の椀に移した。揚げパンもちぎって食べ、これも自分の皿に移した。皿に盛られた焼いた肉も一口かじって、自分の皿に中身を乗せた。最後に白濁した液体も少し飲み、セレンの盆から外した。結局玉ねぎと人参が入った赤いスープだけが残った。
「食っていいぞ」
 イージェンがスプーンを渡すと、セレンが受け取って、飲み始めた。三人は唖然とした。イージェンが独り占めしたのかと思ったヴァンが肉を食べながら言った。
「おかわりならあるから、その子にも食べさせてやれよ」
 だが、イージェンは首を振った。
「ヘンな味がする」
 ヴァンがぎょっとしてもう一度肉を食べた。アリスタたちも食べたが、別におかしなところはなかった。
「別におかしいところはないけど」
 イージェンはテーブルの横にあった、水さしから水を杯に入れて飲んだ。残りをセレンの盆の上に置いた。イージェンは何も食べようとしなかった。
「いつも食べている肉と違う味だ、スープもヘンな味がするが、なんとか許せる範囲だ」
 アリスタも意味が解らず首をひねった。ヴァンが小さく首を振った。
「おいしいのに、もったいないなぁ」
 ファランツェリがイージェンの皿に集まっている肉にフォークを刺して自分の皿に持ってきた。ヴァンも一緒になって皿に移した。
「ところでさぁ、軍務監が変わったの、ユワン教授知ってるかなぁ」
 ファランツェリが肉を小さく切ったのをもぐもぐと食べながら言った。アリスタとヴァンが驚いた。
「変わったって、誰に?」
「バルシチス教授」
 アリスタがスプーンを落としそうになった。
「大教授選の対立候補じゃない?」
 アリスタが言うと、ファランツェリがうなずいた。
「そう、バルシチス教授がデェイタを収集して報告書作ることになるってわけ。今回のミッションの成果をユワン教授にひとりじめさせないってこと」
 ファランツェリがスプーンを振り回しながら続けた。
「でる杭はなんとやらでしょ。あんな青二才に大教授になられてたまるかって」
「そう、じゃあ、ユワン教授に乗り換えはやめておいたほうがいいわね」
 アリスタが少し残念そうに言った。ヴァンはまじめな顔でちらっと後を振り返った。別のマシンナートたちが何人か食事をしていた。
「軍務監はサエラ教授が来ることになってた。ユワン教授とは同室だからな、成果は実質ユワン教授のもののはずだったのに。こりゃあ、もめるな、ユワン教授、黙ってないだろう」
 どうやらマシンナートたちの間でも権力争いのようなものはあるようだ。ユワンの奇妙に丁寧な微笑を思い出した。


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