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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第347回   セレンと南海の魔獣《マギィクエェト》(下)(3)
 唇を震わせていたリィイヴが装着ディスプレイ装置を毟り取るように外して、左眼を覆った。頬に涙が流れた。
「リィイヴ……」
 レヴァードがつらさを察して胸を痛めた。エアリアが手を伸ばして、左眼を覆う手のひらに光る手を重ねた。
「リィイヴさん……」
 温かい光が染み込んで来て、リィイヴの口元に笑みが浮かんだ。
『レヴァードさん』
 リィイヴが自分の声に戻して呼んだ。レヴァードが台座に近寄ると、リィイヴが頭をゆっくりと振って、大きくため息をついた。
『ごまかせるのは明後日の夜までです。それ以降はどうなるかわかりません』
 そうだなとレヴァードがエアリアを見つめた。
「どうする、イージェンが戻ってこなくても、実行するしかないぞ」
 エトルヴェール島に戻ったアートランに連絡を入れることにした。
『レヴァードさん、お願いがあります』
 なんだと聞き返した。
『寝ていられないので』
 覚醒剤を処方してくださいと頼んできた。レヴァードがやめておいたほうがいいと思いながらもうなずいた。
「わかった」
 薬を取りに医療班の階まで行くからと出て行った。エアリアがリィイヴの胸に触れた。
「あなたにつらいことばかりさせてしまって」
 その手を握って首を振った。
『これはぼくじゃないとできないから』
 エアリアが側にいて、身体に触れてくれていると、気持ちが落ち着くし、勇気も湧いて来る。
「早く『空の船』に戻れるよう、がんばろう」
 エアリアが何度もうなずいた。その様子をサンディラが険しい目つきで睨みつけていた。

 アートランとルカナが、南方大島の新都管制棟の中央管制室に降りていくと、ザイビュスが仮眠していて、カサンが見張番をしていた。
「もうひとりいないときついな」
 深夜にリィイヴからの連絡が来て、成りすましは明後日の夜までと言われ、ザイビュスはさきほどまで根を詰めてワァアクしていた。夕方にはファランツェリをプテロソプタで迎えにいかなければならなかった。
 アルリカ総帥は、島民たちとの話し合いに向かっていていなかった。アルシンはカサンの側の椅子におとなしく座って紙に学院や周辺諸国への謝罪文を書いていた。子どものたどたどしい文章だが、少なくともカーティアやエスヴェルンは謝罪を受け入れるだろう。
「あんたはこのくらいのガキに好かれるみたいだな」
 アートランがからかうとカサンが少し頬を赤くしてフンとそっぽを向いた。
「俺も嫌いじゃないぜ」
 くしゃくしゃの頭に手を入れて、もっとくしゃくしゃにした。
「こ、こらっ!やめろっ、ばかもんがっ!」
 振り払おうと頭に手をやり、身体も振ったので、その仕草がおかしいらしくてアルシンが声を上げて笑った。
「笑われたじゃないかっ!」
 真っ赤になって怒ったが、アルシンが喜んでいるので、苦笑して小さな頭を撫でてから、ボォゥドに手を戻した。アートランが離れかけるとぶつぶつとつぶやいた。
「セレンがその……気にしてたぞ、あ、あの……マリティイムでのこと」
 アートランがちらと振り返った。セレンをとても心配していた。
……ほんとに、こいつ。
 不埒な気持ちなど少しもないんだな。
 アートランが目を和らげた。
「夕べ、たくさん触ってやったよ」
 カサンがまた真っ赤になったが、すぐにそうかとほっとした顔をした。
「俺とルカナ、旧都でファランツェリを出迎える」
 準備しにいくとふたりで出ていった。
 午後になってザイビュスが目を覚ました。
「アートランとルカナは先に旧都に向かったぞ」
 了解と目を擦って、ユニットに入った。シャワーを浴びて戻ってきて、カサンに戻ってくるまであと少し監視を頼んだ。
「プテロソプタ、操縦できるのか」
 カサンは操縦できるが、代わりにやってやるわけにはいかない。
「あなたのトレイル運転と同じだ。レクチャーと仮想操縦訓練は受けた」
 好奇心が旺盛なザイビュスは、職位内で申請できるかぎりのさまざまなレクチャーや訓練を受けていた。なんとかするとザイビュスは淡々としていた。
「そんな危険なことまでする必要ないんだぞ」
 ザイビュスが短身オゥトマチクをつなぎ服のポケットに入れた。
「どうなるか……見届けたいからな」
 地上がユラニオゥムで破滅するのか、テクノロジイが滅ぼされるのか。
「それも個人的興味か」
 ああそうだと小箱を内ポケットに入れて、管制室を出た。
 中央棟裏にあるプテロソプタの離発着場の一機に乗り込んだ。黒眼鏡をかけ、耳覆いをして、防護兜を被り、離陸した。天候が荒れていれば難しいが、風も弱いので、なんとかいけそうだった。
『こちら、ヴォレ三号機、ザイビュス、この通信をもって、新都帰還まで、通信を切断する』
『新都中央管制室、カサンだ。了解した』
 気をつけていけと注意した。
『視界良好、現在一七四〇時、まもなく日没』
 西の空から海にかけて赤く染まっていた。大きく膨らんで見える太陽が水平線に向かって落ちていく。
 日が沈む。
 そういう表現ができるのは地上にいるからだなと大きく旋回して、ドォァアルギア接岸地点を目指した。
 ドォァアルギア接岸地点にはコンマ五ウゥルで到着した。着陸はドォァアルギアの艦上なので、それほど難しくはなかった。海からの風もわずかだ。着陸完了すると、離れた場所にいたものたちが寄って来た。
「ザイビュス主任ですね!? 荷物を積み込みます!」
 食料やら服やらだろう、銀色の箱が次々に運ばれてきた。最後の箱は細長くほかのものより小さかった。ひとりで運んできたのだが、乗せるときにうっかり縁にぶつけて落としてしまった。
「ちょっと、なにしてんのよっ!」
 後ろから来ていた十二、三歳くらいの女の子が怒鳴りながら走ってきた。箱を落としてしまった職員を蹴りつけた。
「壊れたらどうすんの!」
 抵抗もせずにただ蹴りつけられていた。
「止めなさい、ファランツェリ」
 背の高い細面の男がファリンツェリの両腕を後ろから掴んで止めた。
「離してよ、兄さん、こいつ、いらない」
 別の職員呼んでとなおも蹴りつけていた。
「ザイビュス主任、面倒をかけます」
 ロジオンが深くお辞儀した。ザイビュスも頭を下げた。
「ファランツェリ様を旧都に送ったら、ワァアクに戻りたいんですが」
 いいですよとロジオンがうなずいた。
「あとは、付き添いのものに世話をさせます」
 ザイビュスが総帥居城に侍従長とか侍女とかいうシリィの職員が残っているので、そのものたちが世話をすると説明した。
「啓蒙されているので、心配いりません」
 そうですかと了解した。
「ファランツェリ、あまりわがまま言って、困らせないようにしてください」
 ロジオンがたしなめると、ファリンツェリはぷいっとそっぽを向いて、職員の手を借りてプテロソプタに乗り込んでいった。ロジオンがほっとした顔をしたのをザイビュスが眼の端で捕らえていた。恐らくわがままで手を焼いていたのだろう。体よく厄介払いできたというところなのだ。
「新都管制室に手が必要でしょう? こちらから職員を送りましょう」
 ザイビュスが首を振った。
「啓蒙されたシリィがけっこう使えますし、いずれ閉鎖しますから」
 わかりましたとロジオンがうなずいた。
 上昇していくプテロソプタから下を見ると、ロジオンが見上げていた。ファランツェリが窓に張り付いて手を振り、応えるように手を振っていた。
『コンマ四ウゥルほどで到着します』
 ザイビュスがしばらく我慢してくださいと言うと、ファランツェリがにこにこしてうなずいた。
 夕日に向かって飛ぶような形になったので、ファランツェリはきれいととても喜んでいた。
『記録ビデェオ撮っておいて』
 付き添ってきた職員がすぐに携帯用の記録キャメラを出した。旧都上空に近づくころには、日はすっかり沈み、青紫の空になっていた。すぐに黒布に星光りを散りばめたような空に変わるのだ。
 旧都の総帥居城近くの離発着場は、丸く囲むように置かれた投光器が光っていて、その真ん中に降りていった。回転羽根が完全に止まってから、扉を開いた。先に職員が下りて、ファランツェリを抱き下ろした。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
 ファランツェリがはっと声の方を見た。総帥侍従長のランヴァトですと胸に手を置いて頭を下げた。すらっと背の高い黒髪の二十代半ばの男だった。その横にいた小柄な若い女も挨拶した。
「いらっしゃいませ、お嬢様、侍女のルカナでございます」
 じろっとルカナを見てから勝ち誇ったような顔をして、ふふんと鼻先で笑ってさっと歩き出した。
「早く夕食の支度してよ、おなか空いた」
 後ろの職員たちがあわてて銀の箱を降ろした。ザイビュスが箱を降ろし終わると同時に離陸させて、南に向かって飛び去った。
 ランヴァトが先導して総帥居城の正面玄関に着いた。大きく開け放たれていた、その扉のところに両膝をついて出迎えていたものを見て、ファランツェリが驚いた。
「あれぇ?あんた……」
 金髪で紫がかった青い眼の少年。
「いらっしゃいませ、ファランツェリ様」
 両手を付いて、頭も床に擦り付けた。アートランだったっけと覗き込んできた。
「どうしたの、アダンガルと一緒に帰ったんじゃないの」
 アダンガルがエヴァンスを裏切って大魔導師と一緒に立ち去ったというところまで知っていた。
 アートランが肩を震わせた。
「置いてかれました……」
 眼を真っ赤にしてすすり泣きしていた。
「そっか、捨てられちゃったんだぁ」
 ファランツェリがいじわるく笑い、顔を伏せたアートランの前にしゃがみこんだ。
「じゃあ、あたしの従者ってのになる?」
 アートランがはっと顔を上げた。
「ほんとですか!ぼくをファランツェリ様の従者にしてくれるんですか?!」
 ファランツェリがうなずいて顔を近づけた。アートランがうれしそうに顔を崩した。
「いっしょうけんめいお仕えします!」
 床に頭をこすり付けるようにお辞儀したアートランにくすくす笑ってランヴァトの後に付いていった。
 ルカナがおかしくて噴出しそうになるのを堪えていたが、ついに声を殺し、腹を抱えて笑い出した。気が付いたアートランがルカナの額をピンと指で弾いた。
「いったいわねっ!」
 アートランがぎろっと眼を剥いた。
「絶対に他のやつらに言うなよ」
 早く仕度だと手を振った。はいはいと答えて、後ろから付いていったが、後でヴァシルに教えてやろうとにんまりした。
 花を飾った中庭に椅子とテーブルを整え、エレクトリクトォオチではなく、揺らめくたいまつをたくさん据えていた。中庭に入ってきたファランツェリが物珍しさにへぇと感心して見て回った。
「こんなんだ、お城って」
 画像では見たことがあったが、実際に訪れるのは初めてだ。もっともこの居城はせいぜい地方の州総督の屋敷程度だったが、ファランツェリには十分物珍しいものだった。
 部屋は木材と白い自然石材で作られていた。中庭の揺らめく炎で浮かび上がる花や樹木、白い柱に巻きつく蔓草などがきれいに見えた。
「お召し替えされますか?」
 ルカナがこんなものですがとドレスを広げて見せた。
「これって『お姫様』の着るもの?」
 ほんとうはエアリアが娘の格好をするときのもので、たいしたドレスではない。だが、ルカナは、はいとにっこりした。
「じゃあ、着てみる。シャワーはあるんだよね」
 寝室の隣部屋に移動式のユニットが設置されていた。 
 ルカナの後ろにいたアートランを手招きした。アートランがなにごとかとおずおずと近寄った。


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