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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第337回   イージェンと極北海の波浪(ノオォルデュウヴァアグ)(上)(3)
 鉄の檻に押し込められたルキアスとエルチェは、冷たい鋼鉄の床の上に腰を降ろした。ルキアスがエルチェの首の輪に触れた。
「苦しくないか」
 エルチェが首を振った。
「これであんたといっしょ。いっしょに死ねるよ」
 エルチェもルキアスの首の輪に触れた。ルキアスがぎゅっと抱き締めた。
殺された女の屍(しかばね)が運ばれていく。
「ひどいやつだ、あいつは……」
 ルキアスがぐっと唇を噛んだ。自分たちを獣扱いしてヒトと思っていない。そればかりか、同じ異端の女でも、顔色ひとつ変えずに殺す。ルキアスも戦争や討伐でいくらでもヒトを切ってきたが、軍律を守り、兵士でない民たち、特に女子どもたちは傷つけたくないと思ってきた。
 エルチェが急に震えてルキアスにしがみ付いた。
「どうした、どこか具合でも……」
 言いかけて用を足したいのだと気が付いた。ルキアスがレグを呼んだ。
「おい、用を足したいんだ、うちのやつをあの用足しの部屋に連れて行ってくれ」
 レグが檻に近寄ってきて、フンと鼻を鳴らした。
「なんか、言ってるみたいだが、おまえ、何言ってるかわかるか?」
 側にいた男に尋ねた。男が苦笑しながら首を振った。
「わかんないね、さっぱり」
「獣だもんな、わかるわけないよな」
 ルキアスが檻の鉄格子を掴んで、ガシャガシャと揺らした。
「ふざけるなっ! 俺はともかく、女に恥を掻かせるな!」
 なにごとかと天幕にいたものたちも寄ってきた。
「ル……ルキアス……」
 エルチェがうめいた。振り向くと、顔を伏せて、震えている。鉄の床に染みが広がっていた。
「あーあ、漏らしやがった、清掃、誰がするんだ?」
 レグがげらげら笑いながら檻を蹴った。ルキアスが拳をガンと鉄格子に叩き付け、エルチェの側に座った。抱き寄せようとすると首を振り、声を絞って泣いた。ルキアスがエルチェの肩をぎゅっと握って、呼びかけた。
「エルチェ」
 両膝を付いたルキアスの股間と床が濡れていった。エルチェがくしゃくしゃに泣いている顔を上げた。
「俺も漏らした、これで恥ずかしくないだろ?」
 優しく笑うルキアスに、エルチェが抱きつきながら、もっと顔をくしゃくしゃにして泣いた。
 レグが、係員が持って来た長い管に付いている筒の先をふたりに向けた。
「まったく、垂れ流しやがって!」
 その先から勢いよく水が噴出してきた。
「わあっ!」
 水の勢いが激しく、突き刺さって痛い。床に倒れたエルチェの上にルキアスがかばうようにして覆いかぶさった。
「なにをしてるんです!?」
 咎める声がして、レグが振り向いた。
「セアド助手」
 セアドが放水を止めるよう、係員に命じた。水が止まってから、訳を問い詰めた。
「その……こいつらが垂れ流したんで、洗ったんです」
 檻の中を見て、様子を察したようで、きちんと用を足せるようにしなさいと命じると、レグが不満そうにつぶやいた。
「ワァカァ上がりが偉そうに」
 もちろん、セアドに聞こえるように言ったのだ。だが、セアドは眉ひとつ動かさずに離れていった。
 少しして、獣の世話係が小さな蓋付きの桶と衝立を持ってきて、檻の中に入れた。
日もとっぷり暮れてきたころ、セアドが小鉢やら皿やらを載せた盆を持ってきた。鉄の箱の中の部屋に閉じ込められていたときにも食べたものだった。ふたりはぼそぼそと食べ出した。その様子を見ているセアドに、ルキアスが険しい目を向けた。
「おまえたち異端の民は、必ず魔導師さまたちが始末する」
 セアドが目を細めた。
「そうですか」
 檻を出て、施錠した。
「あなたがたは、アリアン様が標本にすると決めたので、もうわたしにはどうすることもできません」
 ルキアスが鉄格子に近付いた。
「標本ってどうなるんだ」
 セアドが困ったように首を振った。
「わかりません、アリアン様がどうしたいかによります」
 頭を下げて立ち去った。ルキアスが鉄格子をぎゅっと握ってから、エルチェの側に戻って、残りを食べた。
 寄り添って、空を見上げた。
「もしも、だけど」
 助かったら、ここで暮らしたいとルキアスが話し出した。エルチェが驚いた。
「えっ……でも、あんたは軍人だし……」
 故郷があるだろうしと戸惑っていた。
「うん、じいちゃんが村長で、ほんとは親父が跡、継ぐはずだったんだけど、死んだんで、いずれ俺が継ぐことになってる」
 でもとエルチェの肩を抱き寄せた。
「妹がいるから、あいつに婿取らせて、跡継いでもらえばいいから」
 親父さんもいるし、おまえの生業もあるから、ここで漁師になると言い出したので、エルチェが首を振った。
「こんな寂れた漁村なんか、あんたにふさわしくない。あんたは立派な軍人なんだから、国のために働いたほうがいいよ」
 ここで待ってるからとしがみついた。ルキアスが手を握り締めた。
「離れたくないんだ。軍人だと、あちこちに行かなくちゃならなくなる。おまえと一緒にいたい」
 うれしいとエルチェが手を握り返した。
「ルキアス」
 急に男の声がした。ルキアスがあわてて回りを見回した。
「あまりきょろきょろするな、すぐそばの木の上だ」
 魔導師に違いない。助けに来てくれたのだ。
「よく聞け」
 今すぐに助けるのは無理なので、少し待てと言われ、ルキアスが小さくうなずいた。
「掴まった後のことを話せ。口の中でつぶやくだけで聞こえる」
 夜中にいきなり湖から現れた鋼鉄の塔のこと、掴まって、発破の首輪を付けられて鉄の箱に入れられ、アリアンという若い指揮官が湖の周囲五十カーセルを焼き払うというので、その伝言を鉄の箱の外壁に書いて、リギルトに報せた。その後、鋼鉄の鳥に乗って、ハバーンルークのアプトラス平原に何かを見に行って、土やら採ってから戻ってきた。戻ってきたときに、エルチェが自分を心配してここまでやって来て、連中に見つかり、殺されそうだったので、暴れて逃げたが、また掴まってしまったと話し終えた。
「……アリアン……はたちくらいの男か」
「そうです。俺が暴れたときにケガをしたので、異端の都に行って、治療するって言ってました」
 そうかとため息が聞こえてきた。
「こちらに来ていたのだな。わかった。もう少し辛抱していろ」
 さっと葉ずれの音がして、風が枝の間を通っていった。
「エルチェ、もう少しの我慢だ……」
 きっと魔導師たちが異端の連中をやっつけて、助けてくれる。うなずいたエルチェがルキアスの胸元をぎゅっと握った。

 マシンナートが湖の側に置いたトレイルの周辺には、わずかに樹木が残っていた。だが、それ以外は、なぎ倒されたり、焼かれたりしていて、湖の周辺は荒れ地になっていた。その荒地の上を飛ぶ影が、南東六十カーセルほど離れた谷に下りていった。天幕がたくさん張られていて、そのひとつの外に、兵士が見張りに立っていた。すっと降り立つと、見張り番が槍を構えようとしたが、中から声がした。
「通していい」
 兵士たちがお辞儀して両脇にどいた。その間を通って、天幕の中に入った。
「ジェトゥ……」
 戸惑った顔でガーランド学院長アルバロが寄って来た。天幕の中には、アルバロの他に、ガーランドのリギルト、ウティレ=ユハニのレスキリ、スキロス、ドゥルーナンの魔導師たちがいた。
「学院長……様……」
 レスキリも戸惑いと憤りが混じった様子で見つめていた。
「何も聞かないことが手助けする条件だ」
 ジェトゥがいろいろと聞きたげなふたりに先に釘を刺した。アルバロがため息をついて天幕の奥の帳の内にジェトゥを案内した。レスキリも続いて入っていった。
 大きな軍机が置いてあり、バランシェル湖付近の地図が広げられていた。三人で座り、アルバロが新しい伝書を示した。
 ジェトゥが目を見張り、うなった。
「こんな威力のものを何百発も打ち込まれたら、たとえ瘴気でなかったとしても、大陸のほとんどが荒野になる」
 アルバロがこくっとうなずいた。ジェトゥが、湖のマシンナートの砦の模様を話した。
「ルキアスいう兵士とエルチェという女が、捕まって、獣檻に入れられていた」
ルキアスから聞いたアリアンというパリスの子どものことも報告した。
「すぐにリンザーに遣い魔を出そう」
 アルバロがレスキリに出すよう指示した。レスキリが了解して、帳を捲っていった。
 アルバロがふうと肩で息をした。
「リンザーがおまえにも手伝わせようと言ったときは驚いたが」
 ジェトゥが抵抗し、争いとなって敗れたら、どうすると叱ったのだ。
「わたしよりリンザーのほうが魔力が強い」
 ジェトゥが椅子の背もたれにどっと背を預けた。
「そうだが、万が一もあるからな」
 アルバロがいずれにしてもよかったと胸をなでおろした。ジェトゥが帳に目を向けた。
「ティセア様はどこにいる」
 いきなり、思いも寄らないことを聞かれて、アルバロがえっとうろたえた。
「ティセア様などここにはいない……」
 何を言い出すのやらと顔を伏せた。あきらかに嘘だとわかる。
「ルキアスはティセア様の護衛兵だった。王都襲撃のときに連れ出したのだろう」
 アルバロが首を振った。
「たしかにルキアスはティセア様の護衛兵だったようだが、王都からひとりで逃げてきたんだ。もともとガーランドの民なので、故郷に戻るつもりだったと言っていた」
 ティセアはウティレ=ユハニの王都で死んだのだろうと顔を伏せた。ジェトウは嘘だと分かったが、それ以上は追求しなかった。
「湖の見張りは、わたしがしよう」
 そうしてくれると助かるとアルバロがほっとした。リンザーが暗殺に回ってしまったので、自分かレスキリが行かなくてはと思っていたのだ。
「悟られないようにしてくれ」
 ジェトゥがわかっていると立ち上がった。
 天幕の外に出て、飛び立とうとしたとき、レスキリが近づいてきた。
「学院長様」
 ジェトウがフンと顔を逸らした。
「わたしはもう学院長ではない」
 レスキリがはいと下を向いた。
「ひとつだけ、聞かせて下さい」
 返事をしないでいると、レスキリがかまわず尋ねた。
「イリン=エルンを見限ったのは何故ですか」
 ジェトゥが薄く曇っている夜空を見上げてから、頭巾をかぶった。
「王太后様の死とともに、あの国は滅びるさだめだった、だから、滅びたんだ」
 そう言い切られ、レスキリが首を振り、涙を零した。
「そんな……」
 ジェトゥが飛び上がり、瞬く間に消えた。

 極北の海は、空に灰色の帳が下りていて、冷たい風に氷の粒が混じり、気温もまだ低かった。初夏とはいえ、流氷が張り付いている岸もあり、小さなセティシアンや小型のルトゥルド(海獣の一種)がわずかに生息しているのが見られる程度だった。
 マシンナートの空母アーリエギアは、当初聞かされていた二の大陸寄りの海域ではなく、ほぼ三の大陸沿岸に近い位置に停留していた。クザヴィエのリンザー学院長は、アーリエギアが確認できる位置、上空三百セルほどで停留して、見回した。三の大陸寄りのもっと低空位置に気配を感じた。すっと降りていくと、灰緑の布を被った小柄なものも近寄ってきた。
「クザヴィエのリンザー学院長様ですね!? ターヴィティンのアディアです!」
 リンザーが頭巾を落として、間近までやってきた。
「リンザーだ、よろしく」
 こちらこそとお辞儀して、足元の空母を見下ろした。
「イージェン様がいらっしゃるまで、どこからか見張らないといけませんよね」
 アディアがずっと空中から見張るのも大変ですけどと困ったように見回した。大海原の只中だ。こそりと隠れてうかがうような障害物はない。
リンザーが空母の近くを泳いでいる小型のセティシアン、ドゥルゥファンの群れを見つけた。
「あれに紛れて近付こう」
 大きい船なので、逆にすぐ近くのほうが見つかりにくい。
「海の中で見張るんですか?」
 アディアは砂漠の大陸出身なので、泳ぐ修練はほとんどしたことがなかった。いくら魔力で包むとはいえ、長時間水の中に漬かるのは避けたいことだった。
「わたしが見張る。すぐ側ならもしかしたら中の『声』を拾えるかもしれないしな」
 灰緑の外套を脱いだ。胴着に細身のズボン、長靴の男の出で立ちだった。外套をアディアに渡し、一番近い陸地である三の大陸の岬で待機するようにと指示した。
「三日以上待つようだったら、一度陸(おか)に上る」
 それまでは海中で見張ると言い残し、降りていった。その決断の速さと行動力にアディアがはあとため息をついて陸地を目指した。
「エアリア殿は別格としても、リンザー様もすごい魔力なんだわ。ああ、わたし、もっと頑張らないと」
 大魔導師が指名してくれたのだから、是が非でもこの暗殺を成功させなくてはとリンザーの外套をぎゅっと握り締めた。
 アーリエギアからは数十カーセル離れた海域に潜ったリンザーは、ドゥルゥファンの群れを呼び寄せた。数十頭の群れがふたつほど寄って来て、その群れの中に紛れて、空母の底近くまで泳いでいった。驚いたことに、底は割れていて、出入り口があった。小型の海中船が近付いていた。その海中船が入ると、底の板が閉まるようになっているのだろう。
……この船の外殻はラカン合金鋼だが、あの出入り口からなら入り込めるな……
さきほど、上から見た感じでは、甲板にも昇降口がありそうだった。無理やりこじ開けようとすれば、警報が鳴る仕組みだろうが、なにかに紛れて入り込むことは出来そうだった。そっと小型の海中船の後ろに付いた。
 やはり海中船が入ってから底が閉じた。『耳』を澄ましてみたが、わずかに動力の音が聞こえてくるだけだった。さすがにラカン合金鋼を通して声を拾うのは難しいのだなと底から離れ、海上もうかがえるところに出てきた。
「嫌な感じだ、この中にユラニオウム動力がある……」
 この極北の海と南方大島、さらに極南島で同時に行動を起こさなければならない。合図を送ると精錬した水晶をもらったが、合図をもらったときにその三箇所で時差なく暗殺ができるかどうか。いちかばちか。
「確実な方法などないとはいえ……」
 不安でしかたがない。失敗は地上の最後だ。
「イージェン……」
 『天の網』が動くようにと願うしかなかった。
(「イージェンと極北海の波浪(ノオォルデュウヴァアグ)(上)」(完))


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