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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第336回   イージェンと極北海の波浪(ノオォルデュウヴァアグ)(上)(2)
 商人組合ヴラド・ヴ・ラシスの本拠は、二の大陸キロン=グンドの弱小国ハバーンルークの王都郊外にある。数日前から、組合員の出入りが多くなり、会頭アギス・ラドスはじめ、幹部たちは忙しく過ごしていた。
 大国ウティレ=ユハニの王都がマシンナートに襲撃され、壊滅的な打撃を受けた。その復興のため、建材や石材、食料、人足(にんそく)などが必要となり、宮廷はその手配をすることになるからだった。ヴラド・ヴ・ラシスは、マシンナートがウティレ=ユハニの王都を攻撃することをあらかじめ知っていたため、かなりの資材や資金を溜め込んでいた。それをどうやって高く売りつけようかという算段をしているのだ。アギス・ラドスの息子ジェトゥも山のような手配の書面をものすごい勢いで処理していた。
「さすがだな、仕事は速いし、しかも、非の打ち所がない」
 ジェトゥが書いた手配の書面を見て、幹部たちが感心していた。自慢の息子を褒められ、アギス・ラドスは機嫌が良かった。ジェトゥは褒められても顔色ひとつ変えずに淡々と書面を作っていた。
 夜、父に薬湯を作って飲ませ、しばらくベッドの横に椅子を置いて書物を読んでいると、横になっていたアギス・ラドスが悲しそうに目を細めて話掛けてきた。
「ジェトゥ、どうすれば、おまえを楽しませてやれるのか」
 五大陸一豊かであると言われる三の大陸南の大国セラディムの王族以上の暮らしができるのに、なにひとつ贅沢しない。冷たく押し黙ったままの息子に快楽や愉悦を味合わせてやりたかった。ジェトゥがため息をついて書物を閉じた。
「わたしは十分楽しんでいます」
 椅子からベッドの縁に腰掛けなおして、アギス・ラドスの手を握った。
 アギス・ラドスがぎゅっと手を握り返した。
「そうか……ならいいんだが……」
 うなずいて、手を掛け物の中に入れた。
 アギス・ラドスが寝入ってから、東館の居室に戻り、寝室に入ると、ベッドでアルトゥールが寝ていた。
「まったく……いつまでも赤ん坊だな」
 冷たく言いながらも、側に横たわって、ぎゅっと抱き締めた。トクトクと鼓動が伝わってきて、いとおしさで胸が締め付けられた。
 コツンと硬い音がして、窓を見た。鷲が窓の枠に止まっていた。
 そっとアルトゥールから離れ、窓の側に立った。鷲がばさぁっと翼を広げて、飛び退き、黒い影の肩に乗った。ジェトゥが、振り返ってアルトゥールを気にしてから、窓を開けて、外に出た。
「ジェトゥ、まさか、アギス・ラドスの子どもとだったとはな」
 灰色の外套の頭巾を落とした。
「リンザー」
 クザヴィエの学院長リンザーだった。追っ手の魔力が逃亡者より強くなければ、追跡することはできないが、遣い魔を放って追いかければ、いずれは居場所が知れることはわかっていた。
「いずれ来るとは思っていたが」
 ジェトゥが左手に光の剣を出した。リンザーを倒しても追っ手は来るだろうが、それならそれで、また戦うまでだ。
「待て、魔導師同士で争っている場合じゃないんだ」
 リンザーが遣い魔の足の筒を外し、中から、幾重にも折り畳み、丸めた伝書を取り出した。
「読め」
 差し出された伝書を受け取り、開いた。すぐに目を見開き、険しい表情に変わった。
「イージェン、こんな事態にしてしまったのか。もっとうまくやれなかったのか」
 おそらく他の学院長たちもそのように思うだろうとため息をついた。リンザーがむっとして腕組みした。
「無茶を言うな。学院のこともほとんど知らず、たかだか数ヶ月前に大魔導師になったばかりで、むしろよくやっていると思わんか」
 それはそうだがと伝書を返した。リンザーが伝書を丸めて筒に入れ、ふところに入れた。
「おまえにも手伝ってもらいたい」
 ジェトウが即座に首を振った。
「学院には関りたくない。殺したいなら殺せばいい」
 ただ、黙ってやられはしないと睨んだ。リンザーが空を見上げた。
「学院がどうのなんて言ってられないだろう。マシンナートは見境なしに攻撃してくる。ここも例外ではない」
 逃亡したジェトゥにも手を貸してほしいくらい、魔力の強い特級が必要な状況だった。
「父親や息子を死なせたくないだろう? 一発でも『瘴気』を打ち込まれたら、おそらくもう復活できない」
 リンザーがすっと近寄り、腕を掴んだ。その腕を払いながら、ジェトゥが顔を逸らした。
「ヴァシルがいるだろう」
 ヴァシルの魔力の強さは自分以上のはずだった。リンザーが腕組みした。
「ヴァシルは、イージェン様の弟子になって、南方大島にいる。パリスの子どものひとりを殺すことになっている」
黙ったままのジェトウを睨んだ。
「わたしにも、パリスの子ども暗殺の指示が来ている。極北の海に向かってしまうので、バランシェル湖が手薄になるんだ。そちらの警戒に当ってほしい」
 ジェトゥがふっと吐息をついた。
「わかった。手伝おう。ただし」
 アギス・ラドスの息子であることは他のものに言わないでくれと条件を出してきた。リンザーが呆れたが、了解した。
「どうせイージェン様にはばれるぞ」
 わかっていると不愉快そうにつぶやいた。リンザーが早速だがと別の文書を渡した。その文書に目を通して、考え込んだ。
「バランシェル湖の鋼鉄の塔……電波の中継基地だな」
 破壊することはできるだろうが、そのとたんにミッシレェを打ち込まれるようなことになりかねないと注意した。
「やっかいだな。あちらの情報がもう少し手に入ればいいんだが」
 ジェトゥがパミナの小箱を手に入れておけばよかったと悔やんだ。
「この捕われているルキアスという兵士は……」
アルトゥールが親友と大事にしているガーランドの少年兵に違いない。ティセアを護衛してウティレ=ユハニの王都を脱出したところまではわかっていたが、バランシェル湖の守備隊に入ることになった経緯がわからなかった。
「ウティレ=ユハニ王都の襲撃を見ていて、異端の武器のことを知っているというので、守備隊に入ることになったようだ。村人たちを逃がそうとして捕まったんだ」
ということは、その村人たちの中にティセアがいるということになるのか。
リンザーが支度をしてからでいいから、バランシェル湖に向かってくれと頼んだ。仮の砦にいるアルバロたちへの伝書を書いて、先に遣い魔を飛ばした。
「わたしはこのまま極北の海に向かう」
 お互い最善を尽くそうと肩を叩いた。ジェトウが嫌そうな顔をしながらもうなずいた。
 部屋に戻って、アルトゥールの寝顔を見つめ、机で書き物をした。それを持って、アギス・ラドスの部屋に入り、枕元にそっと置いた。
 マシンナートと戦うからには死を覚悟しなければならない。これが父や息子を目にするのが最後になるかもしれないと思うと、悲しくなってきたが、ジェトウは悲しいとき、どういう顔をすればよいのか、わからなかった。
「戻って……きます、必ず」
 深く頭を下げて出て行った。

 バランシェル湖畔のトレイルラボの中で、パリスの『最緊急通信』を聞いたセアドは、ほっと胸を撫で下ろした。リィレェシステムに不備はないと思ったものの、キャピタァルーアーリエギア間の試験程度で本番実行したので、不具合などあったらと心配だったのだ。試験の後、パリスにアリアンの具合を報告し、バレーで精密検査を受けるよう、電文を送ってもらった。アリアンもパリスから言われたので、すねながらもバレーに行くことを承知した。
 バレーに行く前、アリアンは、部下たちと、ロザナとシリィのふたりを外に連れ出して、トレイルラボの側に幾つか張ってある天幕の側までやってきた。鉄格子の四角い檻がたくさん置かれていて、中に鹿や熊、狼、馬、うさぎ、鳥など数体ずつ、種類ごとに分けられて入れられていた。捕らえた獣たちが悲鳴を上げながら暴れて、檻にぶつかってガシャンガシャンと音を立てたりしていた。
「獣、捕まえたのか」
 アリアンが興味津々の様子で檻の中の動物たちをしげしげ見た。爪を振り上げて飛び掛ってくる狼にびくっと仰け反りながらも笑っていた。
「生体標本を集めてほしいと生物専門分野から依頼がありまして」
 天幕の中にいた係員が説明した。アリアンがそっかと面白がって、檻の側に立てかけてあった二股に分かれた電撃棒で、狼の腹を突付いた。
「ギャアァン!」
 電撃を受けて、ビリビリと毛を逆立てて、気絶した。
「くくっ、おもしれぇ」
 アリアンが馬やら熊やらも棒で突付いて驚かしていたが、ふと気が付いた。
「そうだ、こいつら、ちょうど『つがい』だし、標本にしよう」
 ロザナの前にやってきて、首輪を掴んだ。ロザナが恐ろしさに青ざめていたが、首輪を外したので、ほっと肩の力を抜いた。
 首輪をもったアリアンがシリィのふたりに近づいた。男が女をかばうように後ろにして、睨みつけ、女がしっかりと男にしがみ付いた。
「オスを押さえてろ」
 部下のレグがオゥトマチクの先で示すと、係員ふたりが男を両脇からがっしりと掴んだ。
「何する、離せ!」
 女も離されまいとしたが、レグに突き飛ばされた。よろけながらも倒れずにいた。レグが女の腹にオゥトマチクの銃口を押し付けた。
「逃げたら撃つぞ」
 女が立ちすくんだ。アリアンが棒のように立っている女の前に歩いていく。女はアリアンより十レクほども背が高かった。手を差し上げるようにして、女の首に輪をかけた。
「ほら、オスとおそろいだ、うれしいだろ?」
 怯えながらも女がこくっとうなずいた。
「素直でいいメスだな」
アリアンがにやっと笑って女の首輪を引っ張った。
「よく似合ってる、かわいいぞ」
 ぐいぐいと何度も引っ張られ、女が身体をぐらっと揺らした。
「やめろ!」
 男が怒鳴って、両脇の係員を払いのけた。アリアンが、男に向けて女を突き飛ばした。よろけた女をしっかりと抱きとめた。
 ロザナが恐る恐るアリアンに近付いた。
「アリアン……ありがと、わたし、なんでもするから」
 頬を赤く染めて目を伏せた。カチャッと音がして、顔を上げた。
「はっ!」
 アリアンが短身のオゥトマチクを額に向けていた。
「あ、ああっ……」
 ロザナが顎が外れたようにがくがくとさせた。
「おまえ、おもしろくない」
 アリアンが素っ気なく言い、ためらいもなく、引き金を引いた。パァアンという乾いた音がして、弾丸が額を打ち抜き、ロザナは後ろに倒れた。
「レグ、そいつら、檻に入れておけ。ちゃんと飼育しておけよ」
 レグに言いつけて、さっさと歩いていった。シリィの男はその背中をずっと睨みつけていた。


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