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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第33回   セレンと師匠と調薬庫(4)
 白々と明けてきた。ラウドとセレンが寄り添うようにして眠っていた。イージェンとエアリアはよっぴいてあるだけの薬草で調薬した。できることはほとんどやって、エアリアに言った。
「殿下を起こして、一緒に朝飯作れ」
 少し食べ応えのあるものにするよう言いつけた。エアリアがラウドを揺り起こした。
「殿下、朝食の準備、お手伝いください」
 ラウドが目をこすりながら起きた。一緒に厨に向かった。すぐ外に井戸があった。ラウドが、ざっと顔を洗い、甕の水を取替えた。芋を洗ってきて、エアリアが小麦粉を炒める側で皮を剥き始めた。うれしそうに話しかけた。
「こうしてると、子どもの頃、アナブラの離宮に行ったときのこと、思い出すな」
 アナブラは極北に近い北の州で、王室の離宮があった。子どもの頃は夏になると、ヴィルトに連れられてエアリアと一緒に滞在していた。
「そなたといたずらして、ヴィルトに芋を何百個も皮剥きさせられて…おかげで皮剥きが上手になった」
 ふと気づいたようにエアリアを見た。
「あの剥いた芋はどうしたんだっけ?」
 エアリアが苦笑した。
「蒸かして村の人たちにふるまったでしょ」
 ラウドが思い出して目を輝かせた。
「そうだった!みな、なにかお祝いごとかと驚いてたな」
 エアリアが鍋に炒めた小麦粉を入れ、干し肉で出汁をとったスープで伸ばし始めた。ラウドは、小麦粉を練って、平たくし、チーズを乗せて釜で焼いた。
「帰ったら、皮剥きではすまないな」
 ヴィルトをはじめ、父王や内務長官、大公家の重鎮たちにも怒られるだろう。半年くらい蟄居を命ぜられるかもしれないと言った。
「…そなたに会いたかったんだ。第三王女に会う前にもう一度」
 エアリアの鍋をかき回す手が止まった。
「殿下、今は使命があるから離れていますが、エアリアはいつもお側にいます。だからもう…こんな無茶は…」
 前回自分が無茶をさせてしまった。今回も自分のために。うれしくもあり、苦しくもあった。ラウドは返事をしなかった。
 セレンがやってきて、学院長室にもっていくように師匠に言われたと告げた。エアリアが首をかしげた。
「昨日からあのヒトのこと、師匠って言ってたけど…」
 セレンが青い顔で下を向いた。ラウドが自分を助けるためにそう約束したのだとエアリアの耳元で言った。エアリアが悲しげな目でセレンを見た。
 ワゴンに乗せて学院長室に向かった。大きな机に並べていると、イージェンが本を何冊か抱えて入ってきた。学院長の大きな椅子に座り、茶を注いでいるエアリアに尋ねた。
「学院に特級魔導師がひとりもいない状態というのはありうるのか」
 エアリアが少し考えてから答えた。
「ありえません、スケェィルが使えなくなるので困りますし。この大陸ではありませんでしたが、他の大陸では何回かあったようです。そのときは他の学院から派遣されています」
「そうか」
 席につくよううながした。
「食べよう」
 イージェンは茶を飲み、チーズ焼きのパンを食べた。セレンもシチューを飲んだ。ラウドとエアリアも食べ始めた。シチューを食べたイージェンが誉めた。
「なかなかうまいな」
 エアリアはしばらく極北で独り暮らしをしていたので、料理や家事はふつうの娘くらいはできた。敵に誉められるというのもなにかこそばゆい感じがした。
 食べ終わり、三人で片付けをした。学院長室に戻ると、侍従医の装束を着た男がいた。イージェンが椅子から立ち上がった。
「全部作れなくてすまなかった」
 侍従医が首を振り、処方箋と指示書の入った木の箱を受け取った。
「学院長様にはご尽力いただき、感謝しています」
 イージェンが苦笑した。
「もう学院長はやめてくれ」
 侍従医は丁寧なお辞儀をし、セレンたちにも頭を下げて出て行った。イージェンが剣と外套をラウドに渡し、懐剣をエアリアに返した。セレンに布鞄を掛け、小さな外套を着せてやり、また髪を後ろでしばってやった。
学院の外には、フィーリが二頭の馬を連れて待っていた。エアリアを見て目を見張った。
「そちらのお嬢さんは?」
 答えずにイージェンが馬にセレンを乗せ、ラウドとエアリアにも乗るようにうながした。
「あいつらには気を抜くな」
 フィーリがうなずいてから、セレンに茶色の巾着を差し出した。
「お弟子殿、道中これをどうぞ」
 セレンがためらっていると、イージェンが受け取って中を見た。焼き菓子が入っていた。セレンに渡した。
「礼を言え」
 セレンがお辞儀した。
「ありがとうございます」
 フィーリが馬にまたがり、先導した。イージェンが馬の鼻先を回し、歩き出した。ラウドもそれに続いた。王宮の裏門でフィーリが護衛兵に門を開かせた。
「じゃあな」
 イージェンが短く別れを告げた。フィーリが馬から下り、ひざまずいて深く礼を尽くした。
 王宮を出てから、早足で石畳の路を進み、王都のはずれに向かった。宿の近くに数頭の馬が固まっていた。速度を落とし、ゆっくりと近づいた。ヴィルトたちだった。飛び出そうとしていたイリィをヴィルトが押し留めた。
 イージェンが筒に入った書簡をエアリアに渡した。
「これを仮面に渡せ」
 エアリアが受け取った。鞭で前方を指し示しながら、ラウドに言った。
「行け」
 ラウドが一瞬ためらい、セレンを見た。セレンは下を向いたままだった。
「セレン」
 ラウドが声を掛けると顔を上げた。
「何か仮面に伝えることはないか」
 セレンは何も言えず、馬のたてがみにしがみついた。
「リュールは俺が預かってるからな」
 ラウドが馬を走らせた。瞬く間にヴィルトたちのところまでやってきた。馬から下りるやいなや、イリィが駆け寄り、地面に頭をこすり付けて泣き出した。
 ヴィルトがまっすぐにイージェンを見つめていた。イージェンもヴィルトを見ていた。サリュースが声を荒げた。
「ヴィルト!なにをしてるんだ、ヤツを!」
 ヴィルトがサリュースを無言のまま手で制した。イージェンが馬を回し、走り去った。
 エアリアが渡された筒をヴィルトに差し出した。受け取ったヴィルトが開けて、何枚かある書簡に目を通した。
「ヤツからのか!なんと言ってきたんだ!」
 サリュースが奪い取ろうとしたのをヴィルトが止め、ラウドに言った。
「殿下、今回の暴挙、相当の罰を覚悟しなさい。わたしも一度戻りますから、一緒に帰りましょう」
 そして、ふたりが乗ってきた馬のくつわをエアリアに渡した。
「君は南方海戦を見てきなさい、詳細な報告書を作って送るように」
 ラウドが青ざめた。
「戦場に向かわせるのか!危険すぎるぞ!」
 さすがにエアリアも顔色を失った。実際の戦争を見たことはなかった。イリィたちも止める中、ヴィルトがきつく言った。
「わたしの後継者、大魔導師になりたいのだろう。人の生き死にをつぶさに見て、冷静に解析、対応できなければ、その資格はない」
 夕べ姿が見えないのでサリュースを問い詰めたところ、ラウドを救出に向かわせたと聞き、ふたりの浅はかさに脱力した。エアリアは、冷静に判断して、サリュースの命令を拒否し、自分に報告しなければならなかったのに、行ってしまった。イージェンが変わり者でなければ、確実にふたりは死んだか虜囚となっていただろう。サリュースもエアリアも鍛え直さないとならないと再認識した。
 ラウドがエアリアの外套を外し、自分の外套を着せた。
「無事に戻ってきてくれ」
「はい…殿下もお気をつけて」
 ラウドは抱きしめたいのを我慢していたが、見つめ返してきたエアリアの瞳が濡れているのを見て身体が動いていた。エアリアの小さな身体を包み込んでしっかりと抱きしめた。
「エアリア」
 イリィが困ったような顔をした。ラウドの気持ちはわかっていたが、みなの目のあるところで抱きしめてしまうほどとは思わなかった。
「殿下、行きますよ」
 ヴィルトが声を掛けた。ラウドがゆっくりエアリアを放した。
ラウドは、馬上から何度も名残惜しそうに振り返っていた。遠ざかるその姿が見えなくなってから、エアリアは馬に乗り、南方を目指した。
(「セレンと師匠と調薬庫」(完))


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