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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第321回   イージェンと極南の魔獣《マギィクエェト》(下)(2)
『ヴァド主任、素子の死体がありません』
 落ちてくるはずの第九管区に入ったが、なにもなかったのだ。
「途中で引っかかっているのか」
 ティスラァネの小箱の位置は第九管区内だ。詳細な位置を班長に送った。
『ここです。確かに……』
 一瞬の沈黙の後、悲鳴がした。
『ぎゃああっ!』『た、助けてくれっ!』
 何人かの声とグシャッと何かが潰れたような生々しい音が聞こえてきた。搬送管内には監視キャメラも集音装置もない。なにが起こったのかわからない。
「どうした!? 誰か応答しろ!」
 処理班に向かわせたのは五人。しかし、いずれも応答がなかった。ティスラァネの小箱からの通信が届いた。
『ヴァド、俺はこんな毒気じゃ死なないぜ』
 素子の声だ。ぶるっと震えが来た。不愉快極まりない。
「そうか……メタニルでも死なないか」
 この素子もそうとう異能力が強いのだ。バレー・アーレで解剖されたイージェンという素子に匹敵するかもしれない。
「これならどうだ? 殺戮者の滓(かす)」
搬送管の一部を塞ぎ、別の経路を開けた。
「アゾトゥを流し込んでやる! 氷点下二百度の液体だ、凍りつかないわけがない!」
 凍りついた身体を床に叩きつけて粉々に砕いてやると拳を握った。

 アンフェエル最終処理場に来てから、バイアスは口を利かなくなった。呼びかけても返事もしないし、ずっと下を向いてしゃがみこんでしまい、カトルがなんとかワァアクさせようとしていたが、のろのろと歩くのが精一杯のようだった。
「あいつ、だめだな、すぐに死ぬな」
 ヒィイスがアンフェエル主任のオルハに報告した。
「そう」
 オルハが詰所でボォオドを叩き、作業量を確認した。
「ああ、だめだね、作業量足りないな」
 寝袋に充電されないから凍死してしまうだろう。
「このところ、気温が下がってるのって何でかな」
 揚げパンを食べながらヒィイスが尋ねた。オルハがカファの杯を握った。
「保管所広げるために氷穴を掘ってるけど、それが原因かもね」
 どこからか外気が入り込んできてるのかもと息を吐いた。
 作業員の食堂では食後、二杯、暖かいカファが飲める。それに、少しだけ暖房が効いているので、全員が消灯まで過ごしていた。比較的元気そうなものも何人かいて、手作りらしい盤と駒でスムコンブリィ(盤戯)もどきをやっていた。
 バイアスは夕食も口にせず、鉄管の椅子の上にぐったりと座り込んでいた。
「バイアス、少しでも食べてくれ、腹に入れたほうがいい」
 ピラトがスゥウプを口元に持っていくが、バイアスは食べない。食卓の向かい側に座っていた男が手を出した。
「食わねぇならよこせ」
 カトルが手を払うと首をすくめた。ピラトを呼んで食堂の外に出た。
「寝袋、俺のやつをバイアスに貸すから」
 ピラトが泣きそうな顔をした。後は頼むと歩いていった。足元の何箇所かに埋め込まれた非常灯を辿って処理物搬入所の方向に向かった。背中から声が掛かった。
「ワァアク時間以外の出歩きは禁止だよ」
 振り返るとオルハだった。カトルが睨んでいるのを見て、オルハが肩越しに食堂を振り返った。
「一日や二日、貸してやっても、しかたないのに。まさかずっと貸してやるつもり?」
 呆れている。カトルが答えられず黙って立ちすくんだ。
「半端なことはしないほうがいい」
 そういいながらも、ついてきてと手を振った。後を追うと、詰所に向かっていく。小箱で開けて中に入れた。
 詰所の奥の寝台棚にヒィイスが寝ていた。タァウミナァルの机に連れて行かれ、椅子に座るよう示された。詰所の中は食堂と同じ空調が効いていた。
「はい、どうぞ」
 暖かいカファの杯を差し出され、戸惑いながら受け取った。オルハは、隣に座って、ボォゥドをカタカタと叩いた。その様子を見ていたカトルが尋ねた。
「おまえも、小箱が持てるからここの配属を希望したのか」
 オルハがカトルのほうに目を向けた。
「そう思う?」
 カトルが首を振った。
「インクワイァだろ、おまえは」
 オルハがうなずいて机の上に置いた小箱を撫でた。
「第四大陸のバレー・カトリイェエムで地熱プルゥム管理の担当官だったんだけど、ヒトを殺したんだ」
 カトルがぐっと口の中のカファを飲み込んだ。
「なんて……恐ろしいことを……」
 逃げるように椅子から立ち上がった。オルハはふっと口元に笑いを浮かべた。
「恐ろしいねぇ」
 性交渉のときに相手の女の首を絞めて殺してしまったとまるで他人事のように肩をすくめた。
「病棟送りとこことどちらがいいか聞かれたから、ここにしたんだ」
 カトルがぶるっと震えた。ヒトが恐ろしくて震えるなど初めてだった。
「ここはいい。欲情すら凍りつく」
 整った顔立ちで切れ長の眼は男にしてはなまめかしいほどだ。その黒い瞳を眼の端に流した。その瞳がみだらに光ったように思え、背筋が凍った。
 異常性欲者は病棟送りになって薬物治療か外科的処置を受ける。インクワイァなので優遇措置されているのだろうが、いくらここに女がいないといっても、殺人者が生きているのは間違っている。
「死刑になるべきだろう」
 カトルが不愉快そうに眼を細めた。オルハがそうだねと同意した。
「殺意はなかったって見なされたから死刑にならなかったよ」
 すっと立ち上がり、モニタの首を振ってカトルに向け、ボォウドを押しやった。
「夜間監視、やってよ、どうせ寝られないだろうから」
 えっと眼を見張った。
「レクチャー受けなくてもできる程度だよ」
 じゃあおやすみと奥の寝台棚に行ってしまった。
 カトルはしばらく呆然としていたが、椅子に腰を降ろし、渡されたボォウドを叩いて、監視システムを開いた。
 翌日朝、食堂に行くと、バイアスは少し顔色が良くなっていてスゥウプを飲んでいた。
「おはよう」
 カトルが声を掛けた。バイアスが戸惑った顔で立ち上がり頭を下げた。
「カトル助手、あ、ありがとうございました……」
 ぐすっと鼻をすすった。一晩中歩いてたんですかとピラトが尋ねると、あいまいにうなずいてふたりの前に座った。
「こんな目に合わせてしまって、俺にこんなこと言う資格ないんだが」
 ぐっと顔を上げてふたりを見た。
「ここに希望なんてない。でも、生きていてほしい」
 頼むと頭を下げた。ふたりとも答えはしなかったが、カトルの気持ちは痛いほど伝わってきていた。
『作業開始、持ち場について』
 オルハの声が食堂に響いた。
 夕方、作業終了時間の電鈴が鳴った。カトルとバイアスがアゾトゥ処理場から引き上げようとしたところにオルハがやってきた。
「ちょっと来て」
 箱車で保管所の奥まで移動した。
「氷穴掘って保管所広げてるんだけど、そっちの作業してくれないかな!?」
 ひどい騒音の中、オルハが怒鳴った。
「かまわないが、アゾトゥのほうも手が足りないだろう!」
 カトルも怒鳴り返した。
「穴掘り、元気なやつでないとだめだから!」
 あなたが一番元気だからと笑っていた。
 オルハの犯した罪を考えると同じ空間にいることすらおぞましい。しかし、ワァアクに関して言えば、作業をしないものには厳しいが、それ以外は気配りが感じられた。病人と思って付き合うしかなかった。
 穴掘りの作業をしていたものがふたり引き上げるところだった。
「明日からカトルが加わるから」
 ふたりともほっとしたようだった。ギリギリ規定の作業量はこなしていたが、かなりきつかったようだった。
「わたしも……やります……」
 バイアスがそおっと申し出た。
「へぇ……きついよ、ここは。大丈夫?」
 オルハが聞くと戸惑いながらだがうなずいた。
「じゃあ、やって」
 ざっと作業機材を確認してから、居住区域に戻った。
 食堂で待っていたピラトと夕食を食べていると、場内放送があった。
『カトル、至急詰所に来て』
 オルハの声だった。急いで向かうと詰所から出てくるところだった。
「これ見て」
 カトルの腕を引っ張って詰所に戻り、後で説明するからとにかく見てと小箱を差し出した。顔を寄せ合って覗き込んだ。
 小さな画面にパリスの顔が映っている。
『…都市機能集中管理によって、より効率的に資源や動力源の配分と利用が可能となる。安全性もこれまでと変わらない。むしろ強固になるだろう。諸君は安心してバレーでの生活を送ることが出来る』
 このような通信ができるということは、強硬派が逆転したに違いない。エヴァンスの啓蒙ミッションは廃止になるのではないか。
『これはおとといの日付の最新情報だが、わたしを罷免した議員たちが殺戮者アルティメットと交渉した。地上へのテクノロジイの展開を認めさせようというものだったが』
 モニタに灰色の仮面を被り灰色の布ですっぽり覆われた大きな男が映し出された。
『これが殺戮者アルティメットだ』
 かすかに聞こえていた声が大きくなる。
『……テクノロジイを捨てること。それ以外おまえたちの生きる道はない…』
 ブチッと映像と音声が切れた。一瞬の暗転の後、ふたたびパリスが現れた。
『諸君、殺戮者アルティメットや素子との交渉など無駄だ。やつらに聞く耳などない。やつらは『細菌』のようなものだ。『外』からやってきて、この惑星を侵蝕し、ついには乗っ取ろうとしているのだ』
 そして、アルティメットを恫喝してパリスの演説は終わり、中枢主任ヴァドが各位への電文を送ると説明した。
 オルハにも届いた。
「……なんだかねぇ、同意書提出しろだって。パリス議長に服従するって宣言しろってことだね」
 上が変わってもあんまり関係ないなぁと苦笑した。
権力者が変わって影響があるのは、インクワイァだけだ。それも助教授以上の立場のものだ。助手や研究員(フェロゥ)はラボやチィイムの主任に付いて行くだけで、自分の意志でどうなるわけでもない。それに、ほとんどのマシンナートにとっては地上がどうなろうと関係なく、生活に何の変化もないだろう。これまでの千数百年と同じように過ごしていくだけだ。
 だが、カトルにとっては関係あった。
「地上が焼け爛れるかもしれないって……」
 カトルの胸がズキズキと痛んだ。アルリカやアルシン、啓蒙していた島の連中。ユラニオウムの嵐に襲われたら。
 オルハが聞き逃したところを説明してくれた。
「通信衛星ビィイクル打上げに成功して、全バレーとキャピタァル、空母やマリィンを繋ぐ網《レゾゥ》が確立したって」
ソロオンが打ち上げたのか。
「自分こそがマシンナートに未来を与えられる指導者だってさ」
オルハが同意書を送信したと小箱をひらっとさせた。
「ワァカァ向け報道ファイルは明日かな」
 どうせ操作された当たり障りのない内容だろう。エヴァンスは教授向けの情報を教えてくれていたので、階層にあわせての情報操作がどれほどひどいかはわかっていた。
 ヒィイスが詰所に入ってきた。
「そいつ呼び出してたけどなんかあったのか?」
 オルハが首を振った。
「別に。バイアスの作業量気にしてたから、確認してやっただけ」
 しらっと嘘をついた。そっかと深く追求せず椅子に腰を降ろした。
 食堂に戻り、食べかけのスゥウプやパンを口に入れた。
食事はそれなりに出るが、栄養価などは考えられてないし、栄養補助食品や薬も出ない。そのため、栄養不良や過労になり、病気になりやすい。病気になったり怪我をしたりしても充分な治療は受けられない。作業量のことも、規則で決まっているから、オルハにもどうにもできないのだろう。 
 ここに来た夜、三人、寝袋に充電してもらえなくて、翌朝冷たくなっていた。作業量こなせないということは、病気か身体が弱っているか、生きる気力がないかだから、朝まで持たないのだ。それを見て、バイアスが放心状態になってしまった。カトルが寝袋を貸してやると、一晩ぐっすり寝て、少し元気が出てきたようだった。今日の作業はきちんとこなしていたし、自分からきついといわれた作業場への配置換えも願い出た。
今夜は寝られるなとほっとしながら、カファを飲んだ。
寝袋の格納所に向かおうとしたとき、アンフェエル処理場内に警報が響き渡った。
『緊急警報、上層地区より搬送管に侵入者、アゾトゥを注入中、搬送管出口より流出、付近より退避』
 抑揚のない女の声だ。詰所からオルハとヒィイスが飛び出してきた。


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