『エトルヴェール島中央管制棟主任ザイビュスです。この通信を受信しているブワァアトボォウドは当管制棟の管制下に入っています。指示を電文で送信しますので、確認後、返信してください』 そこで通信は切れた。 「…イージェン…」 リィイヴはどうにも身の置き所がなくて懸命に歯を食いしばってみるものの抑えきれず震えていた。 「…でていけ…」 イージェンの震える声が漏れた。はっとみんなが見ると、肩を怒らせて怒鳴った。 「みんな、出ていけ!」 『空の船』がビビビッと軋んだ。アダンガルが声を掛けようとしたが、ヴァシルが首を振って、急いで艦橋からみんなを出した。 「どうしたらいいのか、イージェンでもわからんということか」 カサンが目を剥いて床を食い入るように見た。リィイヴが壁にドンと背中を預けた。アダンガルが食堂へ行こうと手を振った。 「何か手はないのか」 腰を降ろすのももどかしげにアダンガルがリィイヴに尋ねた。リィイヴが両手で顔を覆っていたが、ふっと顔を上げた。 「マリィンのミッシレェ発射システムを無効に出来れば…ただ…」 ぐうっと唾を飲み込んだ。 「ベェエスに病理コォオドを流されることは想定しているだろうから、発射システムを網《レゾゥ》から切り離して独立系で使用できるようにもしてるはず。だから三十隻のマリィン、二隻の空母の発射システムを物理的に破壊しなければならないと思います、それもほぼ同時に」 破壊されたことがパリスもしくはドォァアルギア、あるいはキャピタァルに報告されたら即時発射するにちがいないからだ。アダンガルもそのあたりになるとまったく理解できなかった。 「魔導師たち三十人集めて破壊できないか」 今度はエアリアとヴァシルに尋ねた。ヴァシルが苦しそうに首を捻った。 「わかりません…」 エアリアが空に目を泳がせた。 「マリィンがどこにいて、入り込める状況かどうかにもよります。入り込めればそのシステムとやらを壊すことはできると思いますが」 それにしても、ある程度魔力が強くないと難しい。エアリアが、他の大陸のことはあまり詳しくないのでと前置きしてから、名を挙げた。 「わたしとアートラン、ヴァシル、ダルウェル学院長、エスヴェルンのシドルシドゥ、アリュカ学院長、タービィティンのアディア、クザヴィエのリンザー学院長、イェルヴィールのヴィルヴァ学院長…わたしのわかる範囲ではこの九人です。他にも魔力の強いものはいると思いますが、空を飛び、同時に魔力のドームを貼って、鋼鉄を叩き壊せないと」 マレラやルカナのように空を飛べる程度ではとても無理だし、サリュース学院長でも危ういと首を振った。アダンガルが三の大陸で他にそこまでの魔力を持つものはいないなとため息をついた。 「各大陸から集めても、三十人は無理だな」 もともと素子は二百人程度だ。それも魔力で伝書を読み書きできる程度のものも含めての人数だった。 リィイヴが手元の小箱に送られてきた電文を険しい目で見つめていた。
怒りのままにみんなを艦橋から追い出したイージェンは、深い絶望にさいなまれていた。 この始末を学院は俺がうかつだったからと見るだろう。どうにかしろと責められるにちがいない。責められるのはかまわない。だが、どうにかできるのか。どうにもできなかったら……。 いつ押されるかわからないミッシレェ発射の釦(ボタン)。その恐怖と不安のもとで生きるしかないのか。このままパリスに屈するしかないのか。地上を汚染されるのを黙って見ているしかないのか。 「…ヴィルト…あんたが、いや、五人の大魔導師たちがちゃんとあいつらを始末しておかなかったから!」 こんなことになったんだと恨んだ。 「イージェン、どうしたんだ、怒鳴り声が甲板まで聞こえたぞ」 声を掛けられて艦橋の入口を見た。ティセアがぐずっているラトレルを抱えて立っていた。 「部屋に戻っていろ!」 怒鳴られてティセアが目を見張った。ラトレルがびくっと身体を硬直させた。 「イージェン……」 ティセアが近寄ってきた。 「来るな。出て行け」 ラトレルが泣き出したが、ティセアが足を止めずに側までやってきた。 「異端との戦い、大変なのだろうけれど…」 ティセアが険しい顔をして見上げていた。 「みんな、おまえが頼りなんだ、お前がそんなんでは、どうしたらいいか、不安になるだろう」 イージェンがティセアの肩に触れた。おまえに何がわかると押しやろうとした。そのとたん。 「あっ!」 …これは…! ティセアの腹の辺りから光る触手のようなものがたくさん伸びてきて、イージェンに向かってきた。 ティセアには見えていないのだろう、驚いていない。白く輝いていて、暖かい光に満ちていた。 …これは、あのときの… その触手が光の粒を放ちながら、イージェンに触れてきた。 暖かく、だが力強く、そして、なによりも厳かだった。 かつてティセアに裏切られたと絶望にすさんでいたとき、老魔導師アランドラと出会い、猛毒のシリスを仕置きに飲まされた。そのシリスの毒によって見た幻覚の中で、大地の命の息吹を感じさせてくれ、希望を与えてくれた命の光だった。 灰色の布に触れてきた触手からドクンドクンと波打つ鼓動を感じた。 命の音。生きとし生けるものの源。命の脈動だった。 イージェンが守りたいと思う気持ちの根源。その鼓動はすでにない身体を思い起こさせた。 …そうか、おまえは… イージェンはティセアに宿っている子どもが呼びかけているのだと感じた。 …俺にがんばれと言っているんだな… 怒りと絶望に強張っていた肩の力が抜けた。 「そうだな、言われるとおり。俺がうろたえてはだめだな」 イージェンがふっと息をついた。 「ああぁう、わぁあう」 泣きやんだラトレルが手足をばたばたさせた。 「ラトレルの機嫌も直った」 ティセアが笑いながら手を伸ばしてイージェンの仮面の頬にそっと触れた。イージェンがラトレルを片手でひょいと持ち上げて、操舵管の前の盤にすとんと置いた。ティセアを抱き締めて、仮面を顔に近づけた。 「ティセア」 髪を撫でながら、仮面をティセアの頬に押し付けた。ラトレルが首を傾げるようにしてふたりを見た。 「イージェン…ラトレルが見てるぞ」 ティセアが恥ずかしそうに目を閉じて、イージェンの愛撫を受けた。
食堂に集まっていた連中が不安と苛立ちを感じながらもどうすることもできすにいると、ティセアがラトレルの手を引いて入ってきた。ラトレルは、オムツをした尻を振りながらよたよたと歩いていた。 「歩くようになったんですか」 エアリアが席を立って近づいた。ティセアが手を離すと、ラトレルがぐらっと揺れてへたりこんだ。 「まだ伝い歩き程度だな」 ティセアが腰を降ろしてラトレルを抱き上げた。 「イージェンがみんなに艦橋に来るようにと」 早く行けよと笑って出て行った。互いに見合ってから、あわてて席を立ち、走って艦橋に向かった。 艦橋ではイージェンが操舵管の前に立っていた。 「椅子を用意した。適当に座れ」 素っ気無いが落ち着いたいつものイージェンだった。みんな、内心ほっとして適当に散らばって座った。 幕にはパリスの顔が映っていた。 「まず言っておきたい。俺はパリスに屈する気はない。地上を明け渡すことはこの惑星の死を意味する。それが明日なのか、百年先か、千年先かはわからない。だが、次に『瘴気』で汚染されたら、二度と地上に住めなくなる。それに、たとえ『瘴気』を使わなかったとしても、『瘴気』以外の汚染物質によって汚れることは目に見えてる。そんなことになれば、ようやくここまで回復したのに、一気に崩壊に向かう」 何度も同じ過ちを繰り返してこの惑星の自然を破壊してきたんだ、これ以上はこの惑星が持たないと盤を撫でてパリスの画像を消した。 「どうあってもミッシレェの発射を防がなければならない。だが、万が一発射されたときのことも考えておく必要がある」 幕に水球が現れ、すっと小さくなって、水球を取り巻く小さな赤い光点と、青い光点、銀色の光点が現れた。 「赤が通信衛星『南天の星《エテゥワルオストラル》』、青が二の月、銀が一の月だ。この二の月に『天の網《レゾゥデスィエル》』があるらしい。この大魔導師の道具が使えれば、防衛網が敷けるんじゃないかと思う」 それはあくまで推測なので、これから行って見てくると指差した。 「動かないかもしれないんだよね」 リィイヴが険しい眼をした。イージェンがうなずき、トントンと盤を叩いた。 「それでも試してみないことにはな」 ヴァシルがエアリアに目配せすると、エアリアが尋ねた。 「さきほど、パリスが、アルティメットと素子は『外』からやって来たと言っていましたが……アルティメットとは大魔導師のことですよね。どういうことか、説明していただけませんか」 素子が魔力が使える時点で普通のヒトとは違うことはわかっている。だが、それは、ヒトの中で魔力を持って生まれたということだと思っていたのだ。イージェンが考えて込んでいた。ヴァシルが不安で強張った顔を向けてきた。 「師匠、わたしも知りたいです。わたしたちは……その……病のようなものなんですか……」 パリスに『細菌』のようなものと言われた。この惑星を侵蝕し、乗っ取ろうとしていると。エアリアもヴァシルも内心ひどくうろたえていた。 イージェンがゆっくりと前窓に向いた。 前窓の幕には水球がゆっくりと回っていた。 「……確かにヴィルトたち大魔導師は、この惑星のものではない。『外』からやって来た。だが、俺たち魔導師はこの惑星の命の粒から出来ている。そこにヴィルトたちの魔力の粒、すなわち素子が組み込まれたんだ。他のヒトたちと同じく空と海と大地の『理(ことわり)』と恵みによって生まれたことに変わりはない」 エアリアとヴァシルが伏せていた顔を上げた。 「マシンナートがどれほどすぐれたテクノロジイを使い、生活を便利にしたりアウムズで強くなったりしても、ヒトにとってほんとうに必要なのは命の源を形作る空と海と大地なんだ。それを汚してしまうテクノロジイからこの惑星を守る。俺はその力を与えられたことを誇りに思う」 かつては魔力などあってもなにひとつ思うとおりにならないと憤り、魔導師に生まれたことを恨んだこともあった。だが、今はこの力の意味がわかる、おまえたちも迷うな、誇りをもって戦えと叱咤した。エアリアとヴァシルが両膝を付いて最敬礼した。 「はい、師匠、誇りをもって戦います!」 床に額をつけて力強く宣言した。
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