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作品名:異能の素子 作者:本間 範子

第304回   イージェンと南天の星《エテゥワルオストラル》(上)(3)
 旧都にはすぐに到着し、総帥邸宅裏の離着陸場に降りた。少し離れたところに旧都管制棟主任ニックスとアダンガルが立っていた。プテロソプタの扉を開けると、ふたりが寄って来た。
「ザイビュス主任!こちらの警戒レェベェルも上げますか?!」
 ニックスが新都からの指示待ちだと怒鳴った。
「レェベェル6に上げておけ!」
 アダンガルに搭乗するよう手を振った。布に包まれた長いものを持ったアダンガルがさっと乗り込んできた。後ろの座席にレヴァードが座っていたので驚いていた。
「レヴァード!?どうしたんだ、なぜ来た?!」
レヴァードが指を立てて唇に付け、すぐにまっすぐ前を向いた。
 新都に着くまで何も話さなかったが、ザイビュスは、気になるのか、しょっちゅう後ろを振り返っていた。
 到着してすぐに中央棟に入った。すでに昼すぎていた。ザイビュスが、レヴァードを客室に案内しようとした。
「今部屋を用意させるので、シャワーを浴びて着替えをしてください」
 服を届けさせるのでというザイビュスに、アダンガルが自分の部屋に届けるよう言った。
「用意していないのなら、俺の部屋で着替えすればいい」
 アダンガルが大魔導師はきっともう島には来ているから急がないとと険しい眼をした。
 ザイビュスが衣服の手配を了解して、途中の階で降りたふたりを見送り、展望室に上っていった。部屋に入り、アダンガルがタゥミナァルの机に案内した。
「服が来るまで啓蒙してくれ」
 いやと言いかけて、レヴァードが思い直した。アダンガルがさっとタゥミナァルを立ち上げた。
「俺のクォリフィケイションは教授のレベェル・シスーレだから」
 それならけっこうなデェイタが引き出せるなとレヴァードが横に座った。広報ファイルなどを見ながら、クラ吸虫病についてレクチャーしてくれと求めた。
「クラ吸虫病…シリィの風土病のひとつだな。申し訳ないが、わたしは外科専門なので、シリィの疫病についてはあまり詳しくないんだ」
 と言いながらも、ボォオドを貸してもらって、さっとベェエスからデェイタを出してきた。
「繁殖地域を消毒すると言っていたんだが、そうやって消毒したら、草木や虫や獣などへの影響はあるのか」
 アダンガルの質問に小箱を出し、医療士のクォリフィケイションを使って、寄生虫駆除に関する計画書というものを引っ張り出してきた。
「繁殖地域は島全体に渡っているが、消毒は、村ならびに周辺地域へのオキソン消毒剤散布となっている。現在はすでに全ての村は閉鎖しているとある」
 おそらく初期の頃に村の屎尿施設と排水溝に散布したのだろう。
「オキソン消毒剤は、即効性を重視した消毒薬なので、毒性が強い。撒き続ければ土壌への影響があるので、植物が生えなくなったり、虫が死んでしまったりする。散布を止めてもしばらくは影響が残るだろう」
 もちろん、地下水などに溶け込んでいくだろうから、それを飲む動物にも影響は出る。毒性低減表という図表を出したが、さすがに図表についてはわからなかった。
「この棒線が下っているのが、次第に毒性がなくなっていくのを示している」
 横に時間の経過、縦に毒性の強さを数値で示していると説明した。
「散布すると毒性がなくなるまで何年もかかるということなんだな」
 おおざっぱに言えばとレヴァードが肩をすくめた。
「この島の東側、かなりの量を散布している。今後も消毒剤の散布予定があるから、毒性がなくなることはないだろう」
食料をプラントで作るため、土壌や動植物への汚染は人体に多大な影響が及ばないのであれば、衛生面を優先すると説明した。
 訪問音がして、許可すると職員がレヴァードの着替えをもって入ってきた。
 アダンガルが受け取り、ちらっとレヴァードを見て、ユニットに入っていく。来いということかと察し、レヴァードが席を離れて、ユニットに入り、後ろ手で扉を閉めた。
アダンガルが何も言わないので、シャワーで身体を洗い、髭を剃り、下着の上にシャツとズボンを穿き、その上から裾の長い白衣を着た。立ち襟のあるメディカル分野の教授の服だった。
「十五年ぶりだ、これを着るのは」
 白衣の立ち襟のボタンを留めた。櫛で髪を梳いていると、ずっとポットの蓋の上に座っていたアダンガルが顔を上げた。
「どうしてここに」
 エヴァンスがザンディズ議長の死亡事故はレヴァードの過失ではなく、パリスとディゾンが仕組んだことだとわかり、冤罪を謝罪し、教授に復帰させるから戻ってくるよう電文を寄越したのだと説明した。
「…教授に復帰させて、いずれ大教授選で当選するように応援してくれるそうだ」
 アダンガルがバッと腕を伸ばし、レヴァードの胸倉を掴んだ。
「それで戻ってきたというのか!テクノロジイを捨てると言っていたのに!」
 父の年頃ほどに年上とはいえ、かわいらしさも感じていて側に置きたいとすら思っていたのに、結局地位や名誉を餌に釣られたのかと怒りが湧いて来た。レヴァードがため息をついた。
「冤罪の謝罪は受ける。だが、戻る気はない」
 断りに来たんだとまっすぐにアダンガルを見つめた。
「あなたこそ、どうなんだ。すっかりマシンナートだぞ」
 厳しく締まった顔つきを見せた。アダンガルが驚いて目を見張った。
啓蒙を受ける中で、インクワイァたちの地位と職位を知った。大教授が大公家ならば、教授はいわば貴族や将軍のようなものだとわかった。レヴァードのことを女好きで少々お調子者のところがある気安い性質(たち)だと思っていたが、厳格な教授の顔も持っていたのだ。
「俺がテクノロジイを信奉するとでも?」
 ばかばかしいと手を振った。
「少し気持ちが揺らいだことは否定しないが」
 ふうと息を吐いた。
「民を飢えと病で死なせる非情な為政者だと非難するだろうな、おじいさま…だとしても」
 テクノロジイは使わないときっぱりと言った。
 ユニットを出ると、訪問音が鳴っていた。ザイビュスだった。入れるとじろっとふたりを見てからアダンガルに近寄った。
「ずいぶん鳴らしたんだぞ、気が付かないわけないが」
 相変わらずアダンガルには無礼だった。
「ふたりで何してたんだ」
 アダンガルが手を振った。
「レヴァード教授がシャワーを使っている間に顔を洗っただけだ」
 ザイビュスが怒っているような目を向けた。急にレヴァードに向き直った。
「早く行かないと、エヴァンス指令が待っています」
 わかったとレヴァードがザイビュスに続いた。アダンガルも追った。
 最上階の展望室に入ると、エヴァンスが扉のすぐ側に立っていた。レヴァードが頭を下げた。
「エヴァンス指令、お久しぶりです」
 十五年ぶりだった。エヴァンスがレヴァードの手を取った。
「レヴァード君、苦労させたな」
 はっと顔を上げた。エヴァンスが申し訳なさそうに眉をひそめていた。錯乱して死刑にしてやるとわめき散らしていたあのときと同じ顔だったが、年を重ねた分の皺が増えていた。
「事件の経緯は電文の通りだ。必ずパリスとディゾンの違反行為として追求するから」
 どうかゆるしてほしいと手を握ったまま、肩に手を掛け、頭を下げた。
 レヴァードが首を振った。
「あの事故が故意だったとは、考えもしませんでした。謝罪いただき、気持ちが晴れました」
 謝罪の気持ちを受け取った。エヴァンスがうれしそうにうなずき、担当官たちの席に連れて行った。
 レヴァードがお辞儀すると、長椅子に座っていたひとりが立ち上がった。小柄で少し体型が丸く、顔も膨れていた。
「レヴァード、無事でよかった」
 レヴァードが少し首を傾けた。
「オッリス大教授、お元気そうでなによりです」
 オッリス大教授はかつてレヴァードが悪性腫瘍の摘出手術を執刀した患者だった。
「君の手術のおかげだよ、転移もなく元気だ」
 堅く握手して、座ってくれと勧めた。
 エヴァンスの隣に座っていたガラントが尋ねた。
「マリティイムがデェリィイトされたとき、素子に助けられたという話だが」
 トリストとのやり取りではテクノロジイを捨てたと言っていたなと不審な眼を向けた。レヴァードがうなずいた。
「ええ、あの場では近くに素子がいるかもしれなかったので、そのように言いました」
 アダンガルが目を見張った。
…レヴァード…やはり、釣られたのか…
 殺してやろうかと怒りが湧き上がってきた。
「なるほど、地上対策ミッションでは素子研究も行う予定だ。君から有益な意見が聞けそうだが、どうかね」
 シリィに素子を排除させるために、素子は恐ろしいものではないと啓蒙する必要があるので、そのためにも弱点を探る研究は必要なのだ。エヴァンスが尋ねるとレヴァードが手を振った。
「素子研究はトリスト大教授がされるでしょうし、わたしの意見など聞きたくはないでしょう」
 研究の邪魔をしたし、どういうわけか昔から嫌われていますから、自分と協働するのは嫌がるでしょうと断った。
エヴァンスがふっと笑いを漏らした。
「なにやらいろいろとあって、検体がすべて消失してしまった。妊娠した検体も返してしまったし、改めて手に入れなくてはならない。素子と何日か一緒に生活していた君の意見は貴重だろう」
 トリストとうまく行かないようなら、トリストを外すとエヴァンスが言った。ティセアを返してしまったことに加担したことは問わないようだった。
「タニア議長肝入りなのにいいんですか」
 担当官の中では一番若いセヴランが身を乗り出すようにした。エヴァンスがうなずいた。
「地上対策の人事はわたしが全権を担っている。それにタニアもどちらが有能かわかっているよ」
 レヴァードが深々と頭を下げた。
「タニア議長に復帰の挨拶をしたいので、一度キャピタァルに戻りたいのですが」
 ほかにも復帰の挨拶をしたいものたちもいるのでと頼むとエヴァンスが少し考えてからいいだろうと許可した。
「ありがとうございます」
 礼を言い、小箱に教授のクォリフィケイションを転送してもらった。
「トリストは先日火災事故で負傷した部下と一緒にキャピタァルに戻っている」
 ラスティンは、かなり酷い火傷を負ったので、皮膚移植しないといけないのだ。
「アルティメットとの会談は長引くだろうから」
 終わる前に帰ってきてくれればいいと言うので、なるべく早くに戻りますと打ち合わせた。
 展望室を出ようとエレベェエタァに向かうとアダンガルが寄って来た。気が付いたザイビュスが追っていった。
「レヴァード教授を見送りに行きます」
 エヴァンスに断り、閉まる寸前の箱に飛び込んだ。アダンガルがかなり不愉快な顔でレヴァードを睨み付けていた。一階に降りたとき、レヴァードの腕を掴み、玄関広間の奥にある休憩所の方に引っ張っていった。ザイビュスが追いかけようとすると、アダンガルが手を振って追いやった。足を止めて、ふたりをじっと見ていた。
 アダンガルがレヴァードを壁に押し付け、あまり声を荒げるわけにはいかないので、首を曲げ、顔を近づけて問い詰めた。
「おまえ、どういうつもりだ、さっき断りに来たと言っていただろう」
 レヴァードが手を挙げ、アダンガルの頭に触れた。ぐっと引き寄せて耳元で囁いた。
「…」
 アダンガルがはっと目を見開き、目を細めた。
「…そうか…」
 背中に手を回し、抱き締めた。
 ずっと見ていたザイビュスがぶるっと震えた。
 アダンガルがゆっくりと離れ、肩を叩いた。
「気をつけて行って来い」
 レヴァードが顎を引いた。
「行ってくる」
 レヴァードが数歩離れてから、お辞儀した。
「失礼します、アダンガル様」
 さっと肩を回して玄関に向かった。途中でザイビュスとすれ違いざま、声を掛けた。
「見送りご苦労」
 ザイビュスがあわてて頭を下げた。自動扉が開き、外に出て行った。
 しばらく見送っていたアダンガルにザイビュスが寄ってきた。
「何を話していたんだ」
「いちいちおまえに言わないといけないのか」
 アダンガルが不愉快な目を向けてエレベェエタァに戻っていく。箱に入るとザイビュスも入ってきた。
「言えないことを話してたのか」
 アダンガルが壁に寄りかかり、腕を組んだ。
「いい加減にしろ」
 ぴしゃりと言われてザイビュスが不満そうな顔を伏せた。
 エレベェエタァが最上階で止まった。展望室にはエヴァンスだけが残っていた。
「アダンガル、旧都見学、途中になってしまってすまなかったな」
 エヴァンスが呼び戻したことをあやまった。
「気になさらずに」
 軽く頭を下げ、窓に寄った。どこかにアートランがいるのだろうが、まだ何も呼びかけてこない。早くここから出たかった。また優しくしてもらうと離れ難くなってしまう。エヴァンスがすぐ隣に来た。
「美しいな…テェエルの自然は」
 エヴァンスは感慨深げだった。眼下に広がる緑の絨毯。だが、島の東側はすでに薬剤で汚染されている。
「セラディムはもっと美しい。ジェナイダが地上の美の極致と言っていた」
 必ず君のものにしてあげるからと目を細めて見上げてきた。
「おじいさま…」
 言ってしまおう。
「まだその時じゃない」
 耳元でアートランの声がした。どこにいるのかと窓の外を見回した。
「棟の一番上にいる。仮面が接触してからだ」
 エヴァンスがアダンガルを新都に呼び寄せたのは、大魔導師に会わせて為政者としてテクノロジイを採用すると言わせたいからだ。
「その席でテクノロジイは使わないと言ってくれ」
 …それではおじいさまの立場が…
 あの老獪な連中の前で恥を掻かせることになる。
「あなたが気にすることじゃない」
 そうだがとうなだれた。
 エヴァンスが手を握ってきた。はっと見下ろした。握ってきた手がかすかに震えている。大魔導師と会うことで緊張しているのだ。
「アダンガル、わたしを助けてくれるな?」
 アダンガルが黙って手を握り締めた。
 その様子をザイビュスがじっと見つめていた。
(「イージェンと南天の星《エテゥワルオストラル》(上)」(完))


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